林間教育通信(「東大式個別ゼミ」改め「シリウス英語個別塾」)

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「なぜラテン語の訳がないのですか」ーーBBC World Book Clubを聞きながら思ったこと

2010年09月22日 | 教養英語
今日は涼しい天気でした。天気予報でも、残暑はもうすぐに終わりを告げるそうです。涼しいと、散歩ができます。私は散歩するときには必ず iPod を携帯し、 Podcast を聞きます。自宅で塾をやってると、かえって最新ニュースから遠ざかってしまいますから、散歩は貴重な情報タイムです。毎日散歩出来る日々が戻ってきて、うれしく思っています。

さて、今日はニュース番組などは選ばず、お気に入りの BBC World Book Club という1時間近くある長時間番組を聞くことにしました。著名な世界的大作家たちがゲストに呼ばれ、世界中の視聴者が様々な質問をするコーナーです。『薔薇の名前』で有名なイタリアの記号学者・作家エーコの番組を選びました。エーコは現在80才近いですが、話の中には「ダヴィンチコード」も出てきますので、それ程昔に録音されたモノではないでしょう。(オリジナルの放送は2007年12月)。

さてその中で非常に興味深く思ったことがありました。それはある読者の質問なのですが、なぜエーコは『薔薇の名前』の中で、ラテン語については翻訳を併記しないのかというものです。私はまだこの作品を読んでませんが、おそらく日本語ではラテン語の邦訳があるのでしょう。しかし、少なくとも原書のイタリア語にはラテン語の文章のイタリア語訳は併記されていないようです。(ただし、あるトルコ人女性の質問からわかったのだが、この小説のトルコ語訳にはラテン語の翻訳も併記されているそうです。確かドイツ語訳にもラテン語の翻訳が載っているようですが、英語版には翻訳が掲載されていたのかどうなのか、ちょっと覚えていません)。

この質問に対するエーコの答えは、読者が頭が悪いと思い込んでいるのは出版社くらいのものであり、本当は読書家というのは難しいものがあれば逆にやりがいが出てくるのだ、というのです。

そうきたか! ラテン語なんかちょっと苦労すれば読解できて当たり前だ想定しているのか。

私は学生時代、 Herbert Marcuseの『美的次元』という本を原書で読んだこと思い出しました。うろ覚えですが、その方にはフランス語が翻訳されず、そのままありました。確かドイツ語もあったと思います。 Marcuseの他の著作も、どうやらそんな感じで、英訳はない。ヨーロッパの知識人は、英・ドイツ語・フランス語などができるのは当然なのでしょう。イタリア人の高級読者家ならば、ラテン語も読めて当然なのでしょう。

考えてみれば、エーコはイタリア人で、 BBC の英語番組に出演し、自分の作品の英訳を朗読したり、質問に英語で答えているのです。ドイツのギュンター・グラスがこの番組に出演した会がありますが、もちろんこれも英語です。ヨーロッパ人やアフリカ人の知識人・作家ならば、英語は話せて話せて当然なのでしょう。その延長上の上に、ラテン語くらい読者は読めるという発言があるわけです。


ところがもし日本の作家がこの番組に出てくれと言われたら、おそらく誰も出演できないでしょう。海外でもっとも有名な現代日本の作家と言えば村上春樹でしょうが、おそらく絶対に出演を引き受けないでしょう。村上に公共放送で話をする程の英語力があると思えないですね。多和田葉子はドイツ語番組なら引き受けるかもしれませんが、英語番組では出ないでしょう。(では、水村美苗は?ーーたぶん、受けないでしょう。。。)  

ヨーロッパの知識人の間では、隣の国の言葉いやラテン語の用の古典語はできて当たり前。ましてや英語ならば、今ならば誰でも話せる。しかし、最高の言語的センスと学問・教養を身につけているはずの日本人作家にとっても、英語等のヨーロッパ言語で話すのは至難の技です。いや、壁だと言っても良いでしょう。

うーーん、日本人は大変だなあ、と思います。

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