林間教育通信(「東大式個別ゼミ」改め「シリウス英語個別塾」)

私立中高一貫校生徒を対象とする英語個別指導塾。小田急線の東林間駅(相模大野と中央林間の隣駅)から徒歩3分。

英文法教育と甲野善紀の「稽古」論

2012年03月23日 | 教養英語
昨年、慶應大学の大津教授(小学校英語反対派)が、北海道新聞に英語教育についての意見文「日本の学校英語教育ーー文法定着へ演習強化へ」を寄稿していた。 基本的には、いまもこの文章の考えを支持している。だが、突っ込みどころが無いわけではない。

大津教授はいままでの文法訳読方式がまずかったのは、学習英文法の不整備と演習不足であると述べる。前者はともあれ、後者はどうであろうか? 私は、演習強化を重視する氏の姿勢を根本的に否定するものではない。だが、いままでの演習の方法に何の問題もないのかといえば、ちょっと違うようには思う。演習強化しようという筋トレ的な発想だけでは「英語を使える日本人」は産まれないのではないかという気がするのだ。

ところでさきほどマックで珈琲を飲みながら、以前古本屋で購入した甲野善紀の本をながめてみた。すると、かなり興味深い文章があったので紹介したい。
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探求的な練習に意義がある(148-152頁)からちょっと抜き書きしよう。

桐朋高校のバスケットボール部の金田監督も、私と出会ってから押しつけるような教え方ではなく、みんなに考えさせるような方法に練習方法を切り替えたそうです。そうしてみるとその方が実際楽で、生徒もやる気になって、人生観も変わったと言われていました。(148-149)

初めから2時間やると決めて、義務感で稽古を続けたとしても、それはむしろ感覚を鈍らせることにしかなりません。素晴らしい芸術作品を作った画家が、自分にノルマを課してやろうとしたでしょうか。(中略)それは単なる繰り返しではないはずです。おそらく自分の中の「これだ」というイメージに合うものを必死で探していった結果そうなったのでしょう。(151)

私が武術の稽古の中で、「基本が大事だ」と言って何度も繰り返し反復稽古することに疑問を抱いているのはそのためです。だいたい基本の重要性というのは、かなり使えるようになってからでないとわからないものです。それが実感されたときは、もはやノルマとしての基本ではありません。毎回毎回が反復ではなく、探求になっていて
(後略)(151)


甲野の稽古論は一種のアートの追求であり、英語教育などとはちょっと質やレベルが異なってはいるとは思う。だが、私たちの教育方法の矛盾を根本的に指摘している文章にも読める。そして、英語の基本例文を何度も何度も音読させ暗唱させ、即座に和文英訳できるように準備させるという私たちのやり口が必ずしも最善ではないかもしれないとも思わせる。

学習者の独りひとりがもっている普遍的な文法意識を触発し、表現したい、コミュニケーションしたい、読んでみたいという気持ちにさせるような文法練習があれば良いのだが。

甲野の議論は、私立中堅校の生徒の学力再建にはあまり参考にはならないかもしれないだろう。英語を必要としない生徒には、英語を無理強いさせないほうが良いという処方箋が与えられることが予想できるからだ。しかし、私立上位校の生徒に対する英語教育を考えるとき、示唆するモノがあるように思う。「演習強化」といったありきたりの結論ではなく、もっと自由で伸びやかな方向で英語学習を解放したいものである。多種多様な興味深い英文を、大いなる知的興奮で読み解いていく生徒を育てたいものだ。

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