林間教育通信(「東大式個別ゼミ」改め「シリウス英語個別塾」)

私立中高一貫校生徒を対象とする英語個別指導塾。小田急線の東林間駅(相模大野と中央林間の隣駅)から徒歩3分。

新ipod touchでお勉強(Cambridge辞書が安い)

2011年03月10日 | 英語学習
ipodtouchおよびiPhone用の辞書ソフトが今安い

とりあえず
Cambridge Advanced Learner's Talking Dictionary 
Cambridge Phrasal Verbs Dictionary



をあげておく。3月7日から3月11日(金曜日)までではないか。
すべて230円だ。(米ドルだと1.99ドルだそうだ)。

私はとりあえずPhrasal 辞書を購入しておいた。Advancedのほうは別のソフト会社の同じ辞書(ただし音声無し版)を1700円で購入しているので、敢えて買わなくても良いんじゃないのかなと、考え中だ。

Longmanほど有名な辞書じゃないけれども、買っておいて損ではないのでは! 『ジーニアス英和』を使いこなしている人ならば、Cambridge Advancedは決して難しくありません。(Phrasal Verbのほうは初めて購入したので、まだ評価不能)。

育伸社の方とーー『シリウス発展編』について

2011年03月09日 | 英語学習
今日、育伸社の方が、わざわざ我々のような超小規模塾のところまでお出でになった。ちょっとびっくりであるが、楽しいひとときであった。当然、『シリウス発展編』の話題で盛り上がる。

*『シリウス発展編』を利用している塾は、関東圏では当ゼミのほかには一つしかないということ。

*某有名中高一貫校で、『プログレス』と『シリウス』の両方を採用していたが、ふたつを両立することは出来ないので、『プログレス』を切ったら、俄然生徒の英語力が向上したこと。

*関西の野球の強い私学で、『シリウス発展編』が何人(何十人?)の生徒で大成果を上げていること。


もちろん一番注目すべきは、『プログレス』と『シリウス』のうち『シリウス』をとって『プログレス』を切った話である。私たちも、その方針で正しいと考える。神奈川県でもいくつかの有名中高一貫私学は『プログレス』を採用しているようだが、こういう決断を見習ってほしいものだとつくづく思うのである。

我が塾生にも、『プログレス』(あるいはBやT)と学校の勉強は適当にやることにし、『シリウス』に焦点を絞るようにと呼びかけているのである。大事なのは本物の英語力を育て、一流大学に合格することではないか。そのためには、特別な天才を除き、まずは体系的な文法力を構築する方がベターなのだ。

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西きょうじの誤訳・再び、culturalとは何か?

2011年03月09日 | 英語学習
ちょっと前になるものだが、西『英文速読のナビゲーター』の第2章「双子の作り方」のCultural Variationsの意味と訳について論じたことがあった。この記事との関連で、ご意見もあったことであるので再度とりあげてみよう。また、西のテキストの文章も再度アップしてみよう。

前回は"the cultural variations”がおそらくは「双子の出生率の差異」を指しているだろう、そしてそういう生物学的な現象を「文化的差異」と訳して良いモノだろうかと述べた。(西の誤訳か? 英文のミスか?とも書いてみた)。そのときの私はあまり辞書を持っておらず、結局はよく分からなかったのである。だが幸いなことに、今ではipod touchにたくさんの辞書が搭載されている。今回、とくに参考になったのが、The American Heritage Dictionaryである。

culturalを次のように定義してあるのだ。

Cultural =Of or relating to culture or cultivation


Oxfordの辞書とは異なっており、culturalもcultivationと関連しているというのだ。

さらにcultivatedをひけば、さまざまな動植物の成長に関わる非常に広い語彙があることがわかる。(これも写真参照のこと)。結論的に言えば、"the cultural variations”が「双子の出生率の差異」を意味しているのでしょうし、「出生的差異」とでも訳すべきでしょう。

つまり、"the cultural variations”を「文化的差異」と訳すべきではなく、西きょうじはちょっと誤訳していたということになる。


――――――――――――――――――――――――――――――――――
次にOzaさんのコメントを検討してみよう。(テキスト全文を書き写すのは大変なので、テキスト(西『英文速読のナビゲーター』)の写真を取ってアップしておきました)。

>ま、とにかく、この文のculturalは、普通に、「文化的」とかに訳せば十分です。

真面目に議論するのであれば、上の「ま、」のような表現はいただけませんね。もう少し基本的な日本語を勉強しておいたほうが良いでしょう。馬鹿にされてしまいますよ。そのうえで議論すれば、「「文化的」とかに訳せば十分です。」というのは、問題外の暴論でしょう。私のブログ記事の最大の論点は「cultural」の内実に関わることだからです。

>写真を本文中で、「ここがメインテーマ」とマークされているところは、日本語にすれば、「人種的な背景が、双子の生まれる確率を決定しているようにも考えられる」ということです

これについては、賛成です。

>がしかし、これにたいしてこう反証する人もいるだろう、として紹介されているのが以下の文で、"It could be argued against this that it is differences in climate rather than in racial factors that cause the cultural variations.

ここも賛成です。

>以下の西先生の訳は100%誤訳です。
「文化的差異を生じさせるのは、人種的要因の差異よりはむしろ気候の差異であると論じることができる」

>この人は、"that cause the cultural variations"のthatが指しているものがit is differencesのitだと解釈しており、それが間違いです。thatはただ単にracial factorsを説明しているだけです。


ここは全く同意できません。

なぜならば、後半はthat以下が強調構文であると西が論じているからです。強調構文なのに「thatが指しているモノがit」であるはずがないではないですか。また、thatが直前の racial factorsだけを指しているというのは、あまりにも不自然です。


it is differences in climate rather than in racial factors
that causes the cultural variations    (別冊9頁参照のこと)

that causes the cultural variationsのthatが指しているのは、 differences (in climate rather than in racial factors) となるでしょう。(It is A that VO.の強調構文だということです)。


>で、itが本当に意味しているのは、直前に述べられた、"the thing which plays a part in determining how likely a mother is to have twin babies"です。

またもや、「で、」ですか。これは悪い癖ですから早く治しましょう。

それはさておき、このozaさんの議論は決定的なミスがあります。もし、西が誤訳であるというのであれば、西の仮主語説(最初のIT)*強調構文説(次のit is ….that )を真っ先に批判すべきでしょう。ところが、それを全く言及しないのは、どういうわけなのでしょうか? しっかり、西の本を読んだのでしょうか?

西が誤訳であると大胆な主張をするのに、西の明快な日本語を理解できないというのでは、申し訳ないですが、Ozaさんの解釈は検討に値しないということになります。

私は、西の構文解釈については、間違っていないと考えます。


なぜ1対1個別指導なのかー『シリウス発展編』徹底活用のために

2011年03月08日 | 英語学習
私たちの塾(東大式個別ゼミ)では、いろいろと指導方法を模索した結果、英語の授業の場合は、1対1の個別指導が最適であるという結論に到達しました。

最大の理由の一つは、「シリウス発展編」という中高生向けの基礎力養成のための最高の教材を最大限に活用したいがためなのです。

『シリウス発展編』とは育伸社が学習塾用に出版している中学生用の英語問題集のことです。(残念ながらHPでは紹介されていません)。中学生向けなのに、いや高校生向けと比較しても、かなりボリュームたっぷりなのが、この問題集のすばらしいところです。

私たちは、この問題集を徹底的に活用し、英語の基礎力を構築させていきたいと思っているわけです。徹底的に活用するというのは、単なる問題集として利用しているのではないのです。むしろ、英語例文・構文集として捉え、生徒に暗記暗唱(インプット)させ、かつ和訳をみて瞬時に英訳(アウトプット)できるようにまで持っていきます。もし全部インプットして、アウトプット可能な状態最強にまで持ってくれば、最強の例文集だと言って良いでしょう。

しかし、一つ二つ欠点があるのです。最大の欠点は、どんなに出来る生徒様でもあの分厚さから途中で挫折しやすいということなのです。やや退屈な側面があることも否定出来ません。

同じ事は、『シリウス発展編』を高く評価している、天流仁志『親と子の最新大学受験情報講座』(ディスカバー) でも指摘されています。

*「ただし、教科書以上に使いこなすのは難しく、『シリウス発展編』は開成中学でもテストの平均点があまり高くない」(125頁)

*「十分な数[=熟語や構文の数]が収録されていますが、それをしっかり覚えている生徒はなかなか見られません」(160頁)


良い参考書であるが、使いにくいというわけです。残念ながら、天流さんは「シリウス発展編」の克服法までは提示してません。


たしかに独学あるいは集団式の授業では、『シリウス発展編』は使いこなしがたい問題集なのです。また、私たちの経験から言えば、1:2の個別指導でもやはり使いにくい場合があったと言わざるを得ないのです。(1:2の授業のときには、当ゼミでも『シリウス発展編』を完全活用していませんでした)。

しかし、1対1の集中特訓的個別指導で活用すると、これが違ってくるのです! 千本ノックの超スゴイ問題集へと変貌するのです。(続く)


シリウス英語個別塾(by 東大式個別ゼミ)(<==新HPを宜しく)

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情報化時代に正しい学習法や辞書選びが普及しないのはなぜだろう?

2011年03月06日 | 英語学習
世の中はインターネット時代である。あらゆる物事の知識やノウハウは、インターネットを通じてアクセスできるようになったはずである。例えば、ここ何年か私は万年筆に興味を持ち、日常的によく使ったり、購入したりしている。そういうことが簡単に可能にできるようになったのもインターネットのおかげだ。インターネットがあるからこそ、万年筆屋のおやじさんのところに通わなくても「手入れ」の仕方を学ぶことが出来るようになったのだ。「手入れ」というのは、要は、万年筆は時々洗って水につけておきなさいというだけのことだ。こんな簡単なノウハウも昔は普通の人は知り得なかったのだ。それがネット時代では至極簡単に入手可能になった。

ところが、勉強法については、何故か新しいノウハウの普及がほとんど進んでいないのに驚いてしまう。先日、浪人が決まったばかりの早稲田志望生と面接した。英語はある程度の基礎力はあるようだが、高校での英語の勉強の仕方がちょっとまずかった。というのは、英文解釈を勉強をするにあたって、分らない単語を全て調べる「作業」をしなければならなかったからだ。

語学学習にあたって、単語の意味調べ作業ほど空しくて辛いものはない。そういった作業をしたからと言って、学習者の語彙が豊富になるというわけでもないのだ。どうしても止むを得ない時、例えば、どうしても読みたい文章があるが、単語解説がないという時だけ、単語の意味調べをすればよい。勉強のエネルギーは、音読や多読・多聴のような、本当の語学学習にとっておきたいものである。

単語調べなどは英語学習にはほぼ無意味だというのは、もはや常識ではないのか。そう言いたいところだ。しかし、現実にはまだまだ少数派のようである。相変わらず、単語調べや和訳といった作業が、高校英語の中心になってしまっているようである。なぜなのだろうか?

単語調べが今なお英語学習の主流になっているの理由は想像がつく。一つには、高校の英語の先生が、生徒へのサービスをサボりたいからである。先生が自分で単語の意味を調べたり、生徒に出す宿題を考える手間を省くことができるからである。それに、生徒の成績をつけやすい、つまり生徒管理しやすいといったメリットもあるだろう。

しかし、理由はそれだけではない。どうやら、英単語の意味調べのような単調な作業が有意義であると信じている先生や英語学習者がまだまだ存在しているようなのである。インターネット情報化時代にとても不思議だ。だが、これが現実なのだ。


ところで先日、『ジーニアス英和辞典』のような英和辞典は、普通の中堅進学校の生徒には難しすぎると言った文章を書いたのだが、「高校生」「英和辞典」とインターネットで検索してみると、「高校生には『ジーニアス英和辞典』が最適です」といったケシカラン投稿記事ばかりでできてしまうのだ。なかには英語を教えている人ですら、そういう見解を支持してしまうのは、呆れるばかりである。

実は、英語辞書に関する適切な情報はすでに発信されているのである。たとえば、以前にも紹介したが、電子辞書にも詳しい沖縄大学の関山准教授のものである。三省堂のHPにある一連の記事も非常に参考になるし、写真も参照してもらいたい。

「情報量の制約こそが冊子辞書のメリット」「情報を増やす以上に減らす勇気を」といった文章もあって、私としては非常に喜ばしい。しかし、こういう専門家の声は、大多数の英語学習者や英語教師に届いていないようなのだ。適当な検索語をGoogleしても、関山先生の文章には到達しない。むしろ、私のブログのほうが先に検索されてしまうくらいなのだ。なぜなのか??? 

「基礎が大事だ」とか「無理に背伸びするな」といったことは、ごくごく当たり前の学習法の基本なのに、なぜ普及しないのか? 不思議だが、これが現代日本の英語学習状況なのである。


P.S. 関山の記述を読むと、『ビーコン英和』が初心者には良いようである。amazonでチェックしてみると、2008年と新しい。また中古だと1000円未満で購入できるようだ。これから入塾する中高生には、この辞書を勧めることを検討してみようと思う。

高校生向け英和辞典とは?

2011年03月01日 | 英語学習
町田の本屋さんに寄ってみた。店頭では目立つところに英和辞典のほか和英辞典、古語辞典が山積みされている。町田市の私立高校・都立高校のお勧め辞書も写真のように張り出されている。

推薦されている英和辞典・和英辞典をみて、私はちょっと悲しく残念に思われた。



いずれの高校も、国立早慶上智当たり前というようなトップクラスの受験高ではない。せいぜい中堅進学校レベルの高校である。60~70%以上の生徒は中学一年生からやり直す必要がある生徒ばかりであると想像がつく。大半の生徒は、写真に見られるような『ジーニアス』『ロングマン』『ウィズダム』などは、ちょっと難しすぎて使いこなせないはずなのである。

これらの高校の先生方は、最新の様々な辞書に精通しないのではないだろうか? 生徒の実力を無視して、自分の英語力を基準に辞書を推薦したりはしていないだろか? 辞書の使い方を指導しているのだろうか? 

『ロングマン英和辞典』を絶賛する人は、次のように述べている。「私は米国で働いているため毎日のように英文に触れており、辞書を使う機会も多いのですが、ロングマン英和辞典はこれまでになく実用的で使いやすい」「日々英語ビジネスの中で仕事をしています。普段はOALDを使っていますが,意味を見つけ出すだけでなく,その単語の全体像を素早く把握したいときにこうした英和辞書[=『ロングマン英和辞典』]は便利です」 これでは生徒用ではなくて、高校教師用の英和辞典ではないか。そんな辞書を生徒に買わせてはいけない!

それではどんな辞書が普通の高校生に相応しいのか。紙の辞書ならば、なるべく易しくて見やすいものが良いと私は考える。以前にも述べたように『ニューヴィクトリーアンカー英和辞典』『アクセスアンカー英和辞典』などである。ちょっとできる生徒だとしても、『グランドセンチュリー英和辞典』で充分だろう。これらの辞書は語彙が多すぎないから使いやすいのだ。また、間違いやすいポイントをコラムで詳しく説明してくれるので、日々の学習に最適である。(なお、専門用語や難解な言葉については、電子辞書等で調べてみればよい)。

ちょっと粗くて見にくい画像だが、『ジーニアス』と『アクセスアンカー』でRememberという言葉を引き比べて見た。どちらが中堅高の生徒にふさわしい辞書なのか、彼らの実力を知っている人ならば、一目瞭然ではあるまいか。

『ジーニアス』『ロングマン』『ウィズダム』を買うのは、英検準一級や東一工外や早慶上智を狙えるようになった段階でも決して遅くはない。高校教師は変な見栄(?)をはるのではなく、高校生の基礎学習の支援をしてもらいたいものである。

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基礎英語力のチェック問題

2011年02月28日 | 英語学習
当塾にはじめて訪問する高校生に英文法力をチェックしてみると、その大半が中1レベルから怪しい。とくに中堅レベルの私立一貫校の生徒の場合に顕著だ。中高一貫教育の悪いところが出てしまった形である。(高校受験を経ている生徒さんの場合は、もう少し良い場合が多い)。

よって当塾では、ほとんどの生徒さんに中1からの英文法の再構築をがんばってもらっている。

ここで、中学レベルの基礎英文法力の目安を示しておこう。下の画像は、最初の面接時に和文英訳試験で用いる予定の文章である。念のためにもう一度書くと、英文法の問題集を解くのではなく、与えられた和文を瞬時に英語に出来るのかがポイントとなる試験である。



別にとりわけ難しいではないとは思うのだが、残念ながらこのレベルが出来ないのだ。


しかし、集中訓練で頑張れば、短期間でモノにすることが可能だ。某国立大学(卒業するためにはTOEIC600点以上が義務づけられている大学です)に推薦合格したM君だが、当所は全然英語が出来ていなかった。中堅私学の悪い典型例みたいな生徒だったのだ。それがたった4ヶ月の集中授業で中学英語を終了できたようだ。さきほど終えた授業で試験しみたのだが、彼はすべてほぼ瞬間的に正解英文を言うことが出来たのである。これが出来れば、今後の英語学習は明るい。

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我が国の英語教育論に欠けているもの(1)

2011年02月15日 | 英語学習
最新号の『エコノミスト』(2011年2月22日号)をみると、立教大学の松本茂が日本の英語教育の問題点を指摘している。あまり鮮明ではないので前ページアップロードしておこう。(ipodtouch2010年版をカメラを使用し、スキャナーソフトで多少修正を試みてみたものだ。おそらくIphoneならばより鮮明になるのだろう)





日本の高校では他の東アジアの高校と異なり、海外の大学にどれだけ合格させられたのかを競い合ったりはしないと述べる。あるいは、日本の大学の国際的評価が低くなっている、日本の大学でも英語の授業が受けられるようになることが必要だといった問題を指摘する。そして、グローバルに活躍する人材に関するイメージを共有する事が大事だとか、国家レベルの施策が必要だと言った結論を述べる。

こういった指摘それ自体は必ずしも的外れというわけではないだろう。しかし、英語教育に関する具体的な教育的提言もなしに,日本の高校から海外の大学に合格できたら良いとか、日本の大学で英語で専門を学べるようにすべきだとか、大学の英語教育専門家にしてはあまりに無責任な発言ではないか。日本の高校生や大学生は、現状では英語の授業に着いていけるはずがない。当然、ギャップを埋めるための政策を提言しなければならなかったはずだがこれを怠っているのだ。

「基礎英語1」を再開する

2011年02月05日 | 英語学習
木村松雄の「基礎英語1」についてはたびたび苦言を呈してきた。あまりにも難しすぎたので、小学6年生に使用してきた基礎英語も一旦は中断したということも述べた。しかし、2月からは「基礎英語1」を再開を試みることにした。

再開の理由は、次の通りである。

(1)中学一年生用の教科書をほぼ終了したので、読んだり聴いたりして楽しいテキストが新しく必要になったこと。
(2)文法問題集『シリウス標準篇(VOL 1)』を、ほぼマスターしたこと。
(3)(2)の段階で『基礎英語1』(2月号)を見てみると、以前感じたほどには難しく思われなかったこと。

木村・基礎英語1には不満が多いのだが、利用できるモノならば利用したいとういのが、本当の気持ちだ。現段階では、”使える”教材のように見えたのだ。


さて、学校用教科書の中1英語の最後は一般動詞(DO動詞)の過去形である。「基礎英語1」もちょうど同じテーマに取り組んでいるので、ちょうどよかった。写真(←最近購入した最新版のIPOD TOUCH(第四世代)のカメラで撮影した。写真は荒いが使えると思います。いかがでしょうか?)を見てもらいたい。




難しさも適度かなと私は感じたわけだが、他の先生や生徒さんはどのような感想をもつのだろうか。

これらの本文テキストに文法練習が加わる。今週のテーマは不規則動詞である。


うちの授業では、これらの文法練習に変形練習を加える。とくにWh疑問文にしてそれに答える練習に力点を置いている。

Where、When, What timeといった疑問文に作り替えるというのは、中高生でもなかなかできなかったりするのだが、小六のE子さんは非常に良くできる。週一回60分のみの授業だったが、よく健闘してくれたなと思う。4月からは「基礎英語2」に挑戦してもらおう。

小学生の英語必修化論争がよくありますが。。。

2011年01月21日 | 英語学習
近年、小学校の英語必修化をめぐって、たびたび議論が行われる。

今日(2011年1月21日)の産経ニュースの[金曜討論]もそのひとつである。

小学校の英語教育必修化をめぐり、立教大教授と上智大教授が激論

登場する面子はほとんど同じであり、議論もほとんど深まりを見せることはない。

しかし、結論は分かりきっている。学校英語教育推進派の見解はナンセンスな空論にすぎないのだ。


日本人が英語を話せないのは、小学生のときから英語を勉強していないからではない。(1)英語の絶対的な勉強量が足りないこと、(2)英語を話せる機会が少ないこと、(3)英語教育が全国民対象であること、(4)少人数授業の安価な英語コースがないこと、(5)大学生(以上)の英語教育プログラムが実質的に整備されていないことが主な原因なのだ。


現状において現実的な英語教育の改革は、公立小学校で英語教育を実施することではなく、むしろ公立中学の英語の時間を週4回に回復すること(できたら週5回)である。なぜ、そういう当たり前の提案をせずに、小学校英語の必修化をたくらむのかちょっと理解に苦しむところだ。だが、塾屋の私から言わせれば、その理由はほぼ見当がつく。要するに、教育産業の子供英語部門のエージェントがロビイストとして活躍しているから、小学校英語論が勢いを持っているのである。子供、つまり幼稚園児や小学校低学年を市場ターゲットとして抱き込もうというのは、業界の常識である。当然、なるべく多くの小学生に英語を学んでもらいたいのだ。

子供英語にとりわけ熱心なのが、縞滋郎で有名なベ社である。上智大学の吉田先生もベ社の恩恵に預かっている大学教授の一人である。要するに大人の利害が一致し、子供を英語教育市場に誘導しようとしているようにしか見えないのである。


英語を普通程度に話せるようになる(ここでは、英検1級程度の英語力で良いとする)ためには、中学校から頑張れる機会さえあればよい。こういう当たり前のことを、国民が知ることが出来ないのは、非常に残念である。

東女の入試英語は丁寧に精読を

2010年12月19日 | 英語学習
本文を読まなくても解けるのがMARCHの英語問題だと前回には書いた。立教を例に挙げたが、法政などにもそういう傾向がある。

しかし、成蹊や東京女子大は違う。パラグラフ、あるいは文章全体に視野を広げる必要はない。だが、問題に関連する箇所の本文を丁寧に読んでいかなくてはならない。常識で解ける問題ではないのだ。しかし、恐れることはない。東女は、どの行を読めばよいのかということまで、わざわず指定されているからだ。

まずは2010年のIの1番から


「我々は人類をどのようなものだと考えていますか」という問いに対して、A,B,C,Dから選ぶ選択式の問題だ。B,C,Dのいずれも紛らわしい。そこで本文を読む。1-3行目を読めとご親切に書かれてあるので簡単だ。



一番出だしの「知性のと言うことになると」という箇所を見逃さなければ正解は簡単だ。正解はB(ほかの動物よりも頭がよい)である。

(続く)

英語教師とリベラルの考え方(続編) (青学の「ひめゆり退屈」問題)

2010年12月15日 | 英語学習
英語教育となると、前回書いたように、なぜかアメリカ民主党的なイデオロギーを私は感じてしまう.アメリカの英語教育関係者を支配しているのが、アメリカに民主党であり、リベラルマインドだからではないかと想像する。

しかし日本の英語教師は、移民や留学生に英語を教えるアメリカの人の英語教師とは違う。もっと社会の中核に関わる人たちである。だから、アメリカや英語は好きだが、アメリカのリベラリズムは嫌いだという人も少なからずいるんじゃないか。日本人の英語教師は、アメリカン・リベラリズム一辺倒の日本の英語教育に満足できるのだろうか。

ちょっと考えてみれば判るけれども、日本の英語関係の大御所といえば、リベラルには國弘正雄がいるかもしれないが、保守には渡部昇一がいる。ともに1930年生まれだ。渡部昇一がアメリカン・リベラリズムについてどう思ってるのか私はよく分らない。(こういう英語関係の保守の論客がアメリカン・リベラリズムと正面から対決してくれたら面白いと思うんだけれども、おそらくあまりないか、ほとんど無いんじゃないかな。誰か教えてください)。けれども、日本のリベラルとか、左翼については、大反対の姿勢であることは確かで、そうなると、やっぱりアメリカン・リベラリズムだってそんなに好きじゃないだろう。

まとめてみると、日本の英語教育で用いられる英文はアメリカン・リベラリズムのものが多いけれども、日本の英語教師は必ずしもそれに共感を覚えているものばかりではないだろうし、渡部昇一のように日本的保守・右翼(反左翼、反中国、反韓国)を支持する人も少なからずいるのではないか、ということになる。ではどうしたらいいのかと言われると、私に答えがあるわけではない。ただそういう不満がくすぶっているに違い無い、そしてそれを単に隠蔽するだけではダメなんではないかという問題提起をするにとどまる。以上が私の問題意識であり、作業仮説である。

さて、こういった問題意識を持ちながら、2005年に大きく問題になった青山学院高等部の英語の入試問題をもう一度読んでみようと思うのである。これは、沖縄に修学旅行に言った日本人の高校生が、ひめゆりの証言が退屈であるという内容を正直に綴った感想文(英語)を書いたという設定の文章である。(写真参照のこと)

この入試問題は、大いに問題になり、青山学院高等部側は即刻に謝罪した。しかし、英語教育と沖縄ひめゆりについての本格的な検討には入っていないようだ。青学英語教師を支持する意見も、青学英語教師バッシングする側も、英語教育についての配慮がちょっとなさすぎるように思えたのだ。(続く)

一流校ではどのような英語教材を用いているのか? (続)

2010年12月10日 | 英語学習
ブログの話題を再び一流高校の英語教材に戻す。もちろん例のドーキンスの英文である。

まずどのような問題が出されているのか。

実を言うとすべて選択問題だ。たとえば、”comes of age”、”superstition”、the truth finally dawned on one of themといった語句や文章の意味について、適切な英文記号を選ぶというものである。もちろん、英文全体の内容一致問題というのもある。


授業ではオーソドックスに英文和訳やその文法的な解説を行っていくようだ。

せっかくだから英文にもちょっと踏み込んでみよう。私はちょっと難しいと思ったのは、第二段落の最初の所だ。

Today the theory of evolution is about as much open to doubt as the theory that the earth goes round the sun, but the full implications of Darwins revolution habe yet to be widely realized.

とくに the theory of evolution is about as much open to doubt as the theory [=地動説](以下略) のところ。 

as much open to doubt as というのを「地動説と同じように進化論も疑わしい」というふうに解釈すると、訳がわからなくなる恐れがある。書き手が進化論をラディカルに支持しているという文脈をよく理解できていないと、この as as 比較文の真意はよく分らなくなるからだ。このあたりについても、先生はよく解説していたようで、生徒は理解できていた。(もっとも、アメリカで、ダーウィンの進化論が今なお激しい批判の対象になっているということを読み手が知っていれば、この文章は実はもっと難しくなってしまうような気もする)。


さて、このドーキンスをとりあげるような授業をどうやって評価しようか。おそらく多くの方々が賛成していただけると思うが、高度な英文読解の授業であるが、それを十分に生かし切っていないと感じるのではないか。というのはこれだけ難しい英文を扱っても、結局のところ英文法的解説と英文和訳に終始する授業すぎないからだ。昔の原仙作の『英標』もこんなものだったのかもしれないが、私はどうも中途半端に思えてくる。どうせ英語長文を学ぶのであれば、(a)英文和訳の訓練だとか、徹底的な音読学習に向いている教材を選ぶのか、(b)あるいは、精神的思想的背景について学ぶことのできるような授業にすべきではなかったか。結局のところ、英語長文をインプットや和訳をするには、この英語はちょっと長くて難しすぎる。また、ドーキンスや進化論的思想について学ぶには、少々テキストが短すぎるように思われる。

もし仮に英語を通じて精神的文化的あるいは思想的な背景を学ぶことに重点を置くのであれば、もう少し異なる教育方法論があるのではないか。例えば、バラエティーに富んだ英文を次から次へと読ませるよりも、もう少し時間をかけてドーキンスの思想につき合ってみる。あるいは、教師が思想的背景について説明をしたり、参考資料をあらかじめ読ませておくのはどうだろうか。(テストに出題されるのであれば、生徒は参考資料を読むであろう)

もし仮に私が一流高校の教師であれば、ドーキンスはちょっと難しすぎるので遠慮したい。(ドーキンスを教えるためには、ダーウィンや進化論ばかりでなくキリスト教と無神論、原理主義などについても解説する必要があるのではないか)。そして、Oxford出版のVery Short Introductionのシリーズであるとか、Britannicaの易しい英文を使って、進化論とダーウィンを巡る背景知識の習得を目指したいものである。進化論や氷河期といったいくつかのテーマーーこれらは大学入試英語によく出てくるテーマであるーーに絞った方が良いと思うのは、生徒にとって有益であるばかりでなく、教える教師にとってもその方が準備しやすいと考えるからである。

なお、予備校の英語教師の著作で言えば、以前紹介した、ロジカル・リーディングで有名な横山雅彦 やとくに古藤晃のものが参考になるであろう。



余談

私は原仙作『英標』を学んだ最期の方の世代ではないかなとも思う。もちろん全部やった。伊藤和夫の『英文解釈教室』ほどではないが、非常に印象的な参考書であった。どんな英文だったかは覚えていないが、モーム、ラッセル、フォースターなどを読んだような記憶はある。今になって思えば、ああいう難しい英語をやる必要はあまりない。ドーキンスはそこまで難しくない。だが、高2向きではないように思う。

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来年に出そうな英文(「集合的知性」TIME、「10台がアルツハイマーのケア」CNNより)

2010年11月30日 | 英語学習
TIMEをみると、Forget IQ: The Emerging Science of Collective Intelligence
という記事がある。

読みやすくて興味深いテーマだ。来年、どこかの大学で使われそうな気がする。

Assembling a team is an art, one that involves intuitive thinking and ― let's face it ― a lot of guesswork. A new study, however, is transforming this critical task into a science.
Though knowledge on group intelligence is still in its nascent stages, it's long been known that an individual's intelligence speaks volumes. Past studies have shown that it can predict everything from educational attainment to how likely a person will end up being an unwed teen parent. When British psychologist Charles Spearman introduced the concept of general intelligence in 1904, he was likely just as emphatic about the word intelligence as he was with the word general, as he saw intelligence as a measure that can predict performance in multiple domains. In other words, consistency is key. (More on Time.com: It's True: We Shop Till it Hurts)
Cut to 2010, and group intelligence is fast emerging as the next frontier in this field. Schools and companies are increasingly learning the value of teamwork, and researchers like Carnegie Mellon University organizational psychologist Anita Williams Woolley are searching for ways to boost group performance.
In one crucial development, Woolley and several collaborators found that a group's collective intelligence can indeed be measured and used to predict performance in different realms. She worked with MIT researchers Christopher Chabris, Alexander Pentland, Nada Hashmi and Thomas Malone for the study, which was recently published in the journal Science. (More on Time.com: Is Genius Born or Can It Be Learned?)
“In the same way that it is for individuals, there is this consistency that characterizes how groups perform,” Woolley says. “We saw that groups who did well in one task did well in others too.”


With love and fear, Alzheimer's youngest caregivers watch over parents

The circumstances creating these young caregivers have several factors, she said. About 10 percent of Alzheimer's cases begin to show symptoms before age 55, according to the association. That means adults in their 30s, 40s or 50s grapple with the disease while their children are younger. Parents having children later in life could be another factor, Drew said.

自然な英語よりも、アウトプットを意識したインプット

2010年11月11日 | 英語学習
前回は英単語三つで言いたいことを表現しなさいと書きました。ちょっと補足しておきます。

>「鎖国していたころの日本人は実は平和で豊かな国だったのだ」ならば、ジャパン、クローズド、ピース・ピース!

ずいぶん無茶苦茶な英語というか、英単語の羅列です。しかし、日本の鎖国について知っている人であれば、これでも理解してもらえはずです。しかし、このようなブロークンな英語表現でも結構難しいのです。なぜかというと、「鎖国」と言う言葉を和訳しようと思ってもなかなかclosedだとかclosed the doorといった易しい言葉が出てこないからです。普通に日本で勉強した人ならば、「えー、うー」とか言って戸惑ってしまうのが普通でしょう。会話(=アウトプット)が難しいというのは、一つにはそういうことがあるんですね。日本の学習環境では、文法を学び例文暗唱をしっかりとやったとしても、なかなか瞬時に適切な英語がでてこないものなのです。


ここで英語学習者さんの議論をもう一度ふりかえってみましょう。

>「There is a cat under the desk.」
と実際の使用場面やその文の現す機能を考慮しない文を音読させても、実際に学習者が英語を話せるようになるとは思えません。

>実際に英語を使用してコミュニケーションを取らせるようにすることが目的だと思います。


要するに、「不自然な英語」ではなく「自然な英語」を学べば、英語でコミュニケーションできるようになるという考え方です。たしかに”For here or to go”レベルの日常的慣用句だとか、「トイレ」の表現などについては、「自然な英語」を学ぶのも良いでしょう。(2010年12月号の『クーリエジャポン』(12月号)では、森巣博が「越境者的ニッポン」でトイレの英語表現の考察をしています。なお、「教授のひとりごと」というブログではくわしい紹介がされています)。

しかし、「英語を話せる」というのは、慣用句やスラングを知っているとかではなく、もうちょっと別のレベルのことを求めているわけですよね? つまり、ちゃんとコミュニケーションをとりたいのですよね? もしそうだとしたら、「自然な英語」を学ぶか否かではないでしょう。一番のポイントは、アウトプットを意識したインプットを積み重ねていくことではないでしょうか

自然な英語をインプットすれば、自然な英語がアウトプットできるという反論があるかもしれません。しかし、文法を体得していない段階で、自然な英語を学ぶことが本当に効率的でしょうか?自然な英語を学ぶことによって文法をインプットできるのでしょうか?たとえば、木村基礎英語の7月号(2010年7月号55頁には次の文章が有ります)。

Where are the boxes with yutaka and stuff like that?

これは私に言わせれば、ちょっと長すぎます。なにしろ7月の段階ですから、まだ中学1年生の一学期ですよ。主語が複数の時はareだけれど単数になるとisになるが曖昧な段階、Whereを使った疑問文が言えない段階、be動詞と一般動詞がまだおぼつかない段階です(※)。それをいきなり、「浴衣とかそんなものがある箱はどこですか」という文章をやってしまうのです。これはちょっと厳しすぎます。どうしても覚えるとなると、「文法を意識しない丸呑込み」になるでしょう。丸呑みの丸暗記では、英文法のインプットはでません。つまり変形練習はできないので、アウトプット能力の向上には全然つながらないのです。だからまずはWhere are the boxes?くらいのシンプルな英文から始めるべきです。シンプルな英文はアウトプットし易いからです。

「自然な英語」は、ある程度基本文法を習得してから頑張ってみましょう。そしてそれをいきなり使いこなそうなどとは思わず、シンプルな英語のアウトプットから始めてみようではないですか。

次回は、私の体験を踏まえ、「文法学習のない語学学習」について考えてみます。


(※)私立上位校の生徒になると頭ではわかっています。しかし、瞬時に英語を言えるわけではありません。ちなみに中2の御三家トップ・レベルの生徒でも、He have とか She going toとかになってしまいました。そのくらいアウトプットは難しいのです。