14年前の今ごろ、とある病院のリーフレットのデザインを担当した。
そのリーフレットは病院全体の紹介をするのではなく、診療科目のひとつだった
“肛門科”だけを特化して案内をするリーフレットだった。
要するに、肛門科を受診するのは一般的にはまだまだ抵抗があるようなので、
それを少しでも緩和できるツールを作って欲しい・・・というわけ。
どんなモノを作ればいいか・・・色々と考えあぐねいて思いついたのが、天使だった。
お尻を見せても嫌悪感がないのは、天使ぐらいだろう。
じゃあ、その天使をマスコットキャラクターとして登場させて説明させたら、どうだ?
・・・というわけで、思いつきと勢いだけが取り柄のワタシは、その安易なひらめきを
頼りにリーフレットの制作に取りかかった。
こういう時のひらめきは、案外正しいのかもしれない。
レイアウトも文章も配色もキレイにまとまり、クライアントの医院にも気に入って
いただき、比較的短時間で完成したことを憶えている。
天使を登場させることは自分で決めたことなので、自然な流れで自分でイラストを描いた。
それまでも必要とあらば、用途に合わせていろんなイラストを描いていたのだけど、
天使を描くのは、おそらくその時が初めてだった。
元々、コピー(文章)を書きたくて広告業に入った人間なので、どちらかといえばイラストは
苦手だったのだが、この時は比較的スムーズに描けた記憶がある。
だが、このリーフレットのデザインが終わって、無事に印刷工程に進めた後、ちょっと考えた。
どうして、簡単に天使を描けたのだろう?
上述したように、さほど絵が得意ではないのに、この時だけはチャチャチャッと描けたことが
不思議に思えてきたのだ。
しばらくして、印刷会社からリーフレットの完成品が届いた。
その出来立てホヤホヤの刷り見本を手に取って眺めているうちに、その理由が分かった。
この天使は、娘をモデルにしていたのだ。
当時、娘は生後半年足らず。
だから、描いた天使のようにまだ立っていないし、首さえも据わっていたかどうか・・・という頃だ。
だから正確にはモデルではないのだけど、それでもワタシが描いた天使は、娘がモデルだった。
とどのつまり、10数年後の成長した娘を思い浮かべながら描いたのだった。
それまでのワタシがデザインしたモノといえば、雑というか乱暴というか直線的というか、
とにかく独りよがりな空気を持ったモノが圧倒的に多かった。
より多くの人に広く伝える・・・というのが広告の大前提なのに、“分かる人だけが分かればいいや”
という逆行甚だしい考えが垣間見えるような勘違い野郎だったのだ。
当然、そんな拙い考えの上に立って作ったモノが評価されることなんてあり得なかった。
その頃に作ったモノが今でもいくつか残っているのだけど・・・いやぁ、ヒドいっす(笑)
今思い返せば、この天使を描いた辺りから変わりはじめたような気がする。
その直接的な原因が、娘が生まれて“人の親”になったことだったのか、それは自分には分からないけど、
何かが少しずつ自分の中で変わりはじめたのか、この頃から柔らかいイメージのデザインや、万人に
受け入れられるモノをもっと真剣に腰を据えて作らなければ・・・と思いはじめたような気がしている。
先日、14年ぶりに、このリーフレットを改訂した。
診療時間や住所の地番の変更等の修正は施したが、14年前に描いたこの天使は、引き続き
新しいリーフレットにも登場することになった。
天使のモデルになったワタシの娘は、来月、中学3年生になる。
14年前に娘の未来を予想して天使を描いたわけだけど、14年後の天使のモデルは、予想とは
ちょっとイメージが違っていて、今は育ち盛りだからか、顔も身体も柔らかい曲線を帯び
はじめた様子。
おまけに、最近ではワタシがイラストの制作で煮詰まったら、美術部の彼女にアドバイスを
請うこともしばしば(笑)
天使を描いたあの頃には、想像もしていなかった未来に、ワタシは今、いるのかもしれない(笑)
そのリーフレットは病院全体の紹介をするのではなく、診療科目のひとつだった
“肛門科”だけを特化して案内をするリーフレットだった。
要するに、肛門科を受診するのは一般的にはまだまだ抵抗があるようなので、
それを少しでも緩和できるツールを作って欲しい・・・というわけ。
どんなモノを作ればいいか・・・色々と考えあぐねいて思いついたのが、天使だった。
お尻を見せても嫌悪感がないのは、天使ぐらいだろう。
じゃあ、その天使をマスコットキャラクターとして登場させて説明させたら、どうだ?
・・・というわけで、思いつきと勢いだけが取り柄のワタシは、その安易なひらめきを
頼りにリーフレットの制作に取りかかった。
こういう時のひらめきは、案外正しいのかもしれない。
レイアウトも文章も配色もキレイにまとまり、クライアントの医院にも気に入って
いただき、比較的短時間で完成したことを憶えている。
天使を登場させることは自分で決めたことなので、自然な流れで自分でイラストを描いた。
それまでも必要とあらば、用途に合わせていろんなイラストを描いていたのだけど、
天使を描くのは、おそらくその時が初めてだった。
元々、コピー(文章)を書きたくて広告業に入った人間なので、どちらかといえばイラストは
苦手だったのだが、この時は比較的スムーズに描けた記憶がある。
だが、このリーフレットのデザインが終わって、無事に印刷工程に進めた後、ちょっと考えた。
どうして、簡単に天使を描けたのだろう?
上述したように、さほど絵が得意ではないのに、この時だけはチャチャチャッと描けたことが
不思議に思えてきたのだ。
しばらくして、印刷会社からリーフレットの完成品が届いた。
その出来立てホヤホヤの刷り見本を手に取って眺めているうちに、その理由が分かった。
この天使は、娘をモデルにしていたのだ。
当時、娘は生後半年足らず。
だから、描いた天使のようにまだ立っていないし、首さえも据わっていたかどうか・・・という頃だ。
だから正確にはモデルではないのだけど、それでもワタシが描いた天使は、娘がモデルだった。
とどのつまり、10数年後の成長した娘を思い浮かべながら描いたのだった。
それまでのワタシがデザインしたモノといえば、雑というか乱暴というか直線的というか、
とにかく独りよがりな空気を持ったモノが圧倒的に多かった。
より多くの人に広く伝える・・・というのが広告の大前提なのに、“分かる人だけが分かればいいや”
という逆行甚だしい考えが垣間見えるような勘違い野郎だったのだ。
当然、そんな拙い考えの上に立って作ったモノが評価されることなんてあり得なかった。
その頃に作ったモノが今でもいくつか残っているのだけど・・・いやぁ、ヒドいっす(笑)
今思い返せば、この天使を描いた辺りから変わりはじめたような気がする。
その直接的な原因が、娘が生まれて“人の親”になったことだったのか、それは自分には分からないけど、
何かが少しずつ自分の中で変わりはじめたのか、この頃から柔らかいイメージのデザインや、万人に
受け入れられるモノをもっと真剣に腰を据えて作らなければ・・・と思いはじめたような気がしている。
先日、14年ぶりに、このリーフレットを改訂した。
診療時間や住所の地番の変更等の修正は施したが、14年前に描いたこの天使は、引き続き
新しいリーフレットにも登場することになった。
天使のモデルになったワタシの娘は、来月、中学3年生になる。
14年前に娘の未来を予想して天使を描いたわけだけど、14年後の天使のモデルは、予想とは
ちょっとイメージが違っていて、今は育ち盛りだからか、顔も身体も柔らかい曲線を帯び
はじめた様子。
おまけに、最近ではワタシがイラストの制作で煮詰まったら、美術部の彼女にアドバイスを
請うこともしばしば(笑)
天使を描いたあの頃には、想像もしていなかった未来に、ワタシは今、いるのかもしれない(笑)