りきる徒然草。

のんびり。ゆっくり。
「なるようになるさ」で生きてる男の徒然日記。

揺れる想い。

2011-07-07 | Weblog
1993年、6月。

とある女友達から、僕は女の子を紹介された。
2才年下の女の子で、歯科衛生士をしている娘だった。
名前は、Mちゃん。

おとなしい女の子だった。

女友達と3人でファミレスに行った。
しかしMちゃんは自分から話すことはほとんどなく、こちらが話しかけると
言葉を選ぶように慎重にゆっくりと敬語で話す子で、その最中も終始うつ
むき加減で、僕の眼を見ながら話すことはなかった。

つまらない女だな。

10代の頃の僕なら、きっとそう感じたと思う。
でも、当時23才だった僕には、どこかしら気になるような雰囲気をもった
女の子に映ったのだった。

しかしその頃の僕は、彼女どころの生活ではなかった。
広告制作会社のデザイン課に勤め、毎日毎日毎日毎日、徹夜か深夜残業の日々。
早く帰宅できてテレビが放映されていた日など、あまりの嬉しさに涙腺が緩んだ
こともあった。

俺、何やってるんだろう・・・。

社会に出て2年余り。
念願の広告業界に入ることは出来たものの、理想と現実の壁に見事にブチ当たり、
自分がどれだけちっぽけな存在かということを、とことん思い知らされる毎日
だった。
本当にやりたい仕事と現実の仕事のギャップに迷い、20代なら当たり前のように
遊べるはずの時間もなく、拷問のように長時間デスクに座り続けて、大型量販店
のチラシを制作し続け、まるで世界から取り残されてゆくような感覚に陥っていた。

実家では、親父が大病をし、以前と比べて身体がひとまわりも小さくなった。
そんな親父の身体を目にして、自分が“長男”であることを否応に突きつけられ
はじめていた。

俺、今のままでいいのかな・・・。

今思えば、あの頃、周囲の環境や人間関係を通して、僕の内部が、少しずつ少し
ずつ変わりはじめていたのかも知れない。
でも、それを素直に受け止められない自分がいることも事実だった。

そんな時に、僕はMちゃんを紹介された。

しかし真夜中まで自転車操業のような毎日だったので、会う時間はもちろん、電話
をする時間さえもままならなかった。
それでも、何度か電話した。
今考えても、よくそんな時間を作れたと思う。
よほど時間の使い方が上手かったのか、それとも、単に女性に飢えていたのか、
それは今でもよく分からない(爆)

そんな感じで、2~3度電話で話した後、僕はMちゃんをドライブに誘った。

ちょうど今ごろ・・・7月上旬の土曜日の夜だった。
僕は仕事を早め(かなり早め)に切り上げると、即行でアパートに帰って、
その前年に友達から格安で譲ってもらったオンボロ車のエンジンキーを回した。

まるで浜田省吾の「もうひとつの土曜日」じゃん。

そんなふうに車内で一人でにやけながら、夜の広島の街を、一路、Mちゃんのアパート
へと向かった。

約束の時間にアパートの前に立っていたMちゃんを助手席に乗せると、僕らは呉へ向
かった。
海岸線に沿った国道を走りながら、いろんな話をした。
相変わらず、Mちゃんの方から饒舌に話しかけることはなかったが、それでも何度か
電話で話したことが功を奏したのか、Mちゃんの声色も口調も、初めて会った時より
も明るく楽しそうだった。

「これ、誰ですか?」

これがMちゃんが自分から話しかけてきた最初の言葉だった。
Mちゃんが尋ねたのは、カーコンポから流れる音楽のことだった。
たしか、佐野元春か、浜田省吾か、サザンオールスターズのどれかだったと思う。
仕事漬けで最新の流行歌はもちろん、古い曲にも興味が薄れていた当時の僕は、この
3組のミュージシャンしか聴かない人間になっていたのだ。
僕がミュージシャンの名前を答えると、Mちゃんはバッグの中をゴソゴソしはじめた。
そして目当てのものを手にしたのか、Mちゃんは、「あの・・・」と小さな声でつぶ
やきながら、バッグの中からおそるおそるそれを取り出した。

1本の、カセットテープだった。

「ん?」
僕は少し不審がちに横目で見た。するとMちゃんは初めて会った時のような慎重さの
見本のような口調でこう言った。
「この歌、好きで・・・持ってきちゃいました」

僕は、こういう行為に弱い。

どんなプレゼントよりも、どんなキレイな服で現れるよりも、女の子がドライブを
楽しみにしていた証しとして、これほど分かりやすい行為はないからだ。
僕はすぐにカセットテープを取り替えた。

流れてきた曲は、聴いたことのある歌だった。
仕事場の先輩のデスクに置いてあったラジカセから、最近FMで頻繁に流れていた曲だった。

「揺れる想い」か・・・。

僕は、辛うじて知っていたその歌のタイトルを独り言のように口にした。

「好きなんですよ、わたし・・・ZARD」

僕の独り言に答えるように、Mちゃんはそう言った。
まるで何かをクリアしたように、さきほどとは少し違って明るい口調になっていた。

それから呉までの道中、僕の車の中では ZARDが流れ続けた。
屋台通りで食事をし、アレイからすこじまのレンガ倉庫群を散策し、灰ヶ峰から宝石箱のような
呉の夜景をいっしょに眺めた。その間、ずっと移動中の車の中ではZARDの、坂井泉の、あの透き
透るようなボーカルが流れ続けていた。

当時の典型的な広島の若者のデートコースを回って、Mちゃんのアパートに戻ってきた時、時計の
針は天を指して日付が変わっていた。
正直に言えば、その時、僕は少し迷っていた。このまま帰すべきなのか、どうか・・・。
しかしそんな僕の不埒な葛藤を知ってか知らずか、Mちゃんは僕に礼を言って、助手席のドア
を開けた。

「あ、これ!」

僕はとっさにカーコンポからカセットテープを取り出した。
するとMちゃんは、手を縦にして身体の前で軽く横に振った。

「それ、いいです・・・よかったら、どうぞ。今日のためにダビングしたものだから・・・」

少し戸惑いながらも礼を言うと、もう彼女を引きとめる勇気も言葉もタイミングも失った僕は、
クルマのギアをシフトさせ、ゆっくりとMちゃんの前からクルマを動かした。

いい娘だと思った。
また会いたいと思った。

でも、そんな気持ちを心の中に持ちながらも、僕は再び、Mちゃんのことはもとより、友達の
ことも何も他のことは考えられないほどの仕事の渦の中に巻き込まれ、翻弄され続ける毎日に
舞い戻ってしまった。

そんな日々の果ての、8月。
僕は、会社に辞表を出した。

会社を辞めて、実家に帰ることを決めた。
それは、すべてを一度リセットして、もう一度自分が本当にやりたいことをみつけるために、
自分で下した僕なりの決断だった。

しかし。

あの時、もう少し時間や仕事に余裕があったならば。
そして何よりも、もう少し自分自身に余裕があったならば。
僕は、どうしていただろうか。

おそらくMちゃんに、ちゃんと交際を申し込んでいただろう。
それが成功するか玉砕するかは別として。
そして、もし成功していたならば・・・。
たぶん、僕は彼女と結婚していたような気がする。
彼女は、そんなことを僕に考えさせるに値する女性だった。

共通の友人だった女友達から、その後のMちゃんの消息が一度だけ伝わってきた。

あれから数カ月後、Mちゃんには彼氏ができ、そして翌年の秋、その男性とゴールインした
そうだ。女友達が言うには、頼り甲斐のある素敵な男性だということだった。
何よりも、Mちゃんが本当に幸せそうだと・・・。

ZARDの「揺れる想い」は、今はもう、僕のクルマの中にはない。
でも、たまに、無性に聴きたくなることがある。

人間は、いくつもの分かれ道を歩いてゆく。
まるであみだくじのような道を、何度も曲がりながら、歩いてゆく。
その道が正しいのかどうかは、分からないまま。

この曲を聴くたびに、僕はそんなことを想う。

ZARD「揺れる想い」



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ネクター。

2011-07-06 | Weblog
昨日の昼、自動販売機でお茶を買おうとしたら、
懐かしいジュースと再会した。

ネクター。

まだ売ってたんだね。
いや、売ってたことは知ってたと思う。たぶん。
でも、自販機で販売しているとは思っていなかった。

懐かしいな。
子どもの頃、好きだったなぁ。

ちょうど今ごろの季節・・・夏休みが少しずつ少しずつ近づいてくる頃に
なると、必ず家の冷蔵庫に1つは置いてあった。

“ネクター”っていう響きもいいよね
あの半個体っぽい、ピーチのねっとりとした甘さを見事に表現したネーミング。
この言葉ほど、商品のイメージをピタリと合う語感はそうそうあるもんじゃない(笑)

そんな懐古主義というにはちょっと大げさな感情を持って想い出にふけって
いたら、無意識のうちにお茶ではなく、ネクターのボタンを押してしまって
いた

ネクターを飲みながら妻が作った弁当を口にかき込んだ。
・・・なんか、微妙な味(笑)
コメント (4)
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りきるアーカイブス〈7〉/オリオン座の下で

2011-07-05 | Weblog
「詩」に初めて出会ったのは、小学校の国語の授業だったと記憶
しています。

誰のどんな詩だったかはさすがに憶えていないけど、ものすごく
敏感に反応した事だけは、今でもよく憶えていますね。
“琴線に触れる”っていうのは、きっとあのような感覚をいうん
でしょうね。
“面白い!”“僕も書きたい!”って、もう本能のように直感
しました。

で、案の定というか、その授業の一環で、自分で詩を書くことに
なって。
張り切って書きましたねぇ(笑)
もっとも、今ではどんな詩を書いたのか憶えていないけど、当たり前
だけど、とても人様に見せられるような作品ではなかったはずです(笑)
散文詩にも当てはまらないような、スーパー散文詩(笑)

でも、それからも「詩」とは付かず離れずのような状態で成長して
きたような気がします。

思春期に入ってから、佐野元春を聴くようになって、彼が影響を
受けたアレン・ギンズバーグやジャック・ケルアックといった
ビート・ジェネレーションの詩人の作品を読んでみたり(結局、よく
分からなかったけど)、日本では、中原中也や相田みつを
とか。あと、詩人じゃないけど石川啄木とかにのめり込んだり。

学生時代から広告業界・・・特にコピーライターをめざしていたから
「少ない語句で表現する」という行為自体に、僕は10歳くらいの頃から、
必然的に惹かれ続けてきたのかもしれません。

前フリが長くなりましたが、この「オリオン座の下で」という作品は、
僕が電子書籍で発表した、現在唯一の詩集です。

原作となったのは、数年前にmixiで書いた日記でした。
ちょうどクリスマスの頃で、少し清楚な気持ちになっていたんでしょうね。
自分の子どもの頃からの出来事を散文詩的に書いてみたんです。そしたら、
意外といい感じにまとまってしまった(笑)

読んでくれた方々も、好意的に受け止めてくださったみたいで、クリスマス
という事もあって、僕自身もものすごくピースフルな気持ちになって聖夜を
迎えられました(笑)

この作品は、その日記を元に少しだけ改稿して、昨年のクリスマス直前に
発表しました。

テーマは「世界」ですね。

それは地理学的な意味の「世界」というよりも、精神的な概念での「世界」です。
作品自体1974年から時間軸に沿って構成しているんですが、成長するにつれて、
少しずつその「世界」というモノが自分の中で変わっていったことが、書き進む
うちにあらためて自分でも分かりましたね。
“あぁ、俺はこんな風に大人になってきたんだな”って(笑)

だからここに書かれてある内容は、もう本当に事実です。
自分史ならぬ、自分詩(笑)

そんな作品だから、発表するにしてもお金に換算できないような気がしたので、
この作品は無料にしました。
そうです。だからこの作品は、タダで読めます。
それにこれはクリスマスを意識して発表した作品でしたから、なんだかそれで
お金を貰うのは躊躇った・・・というのもありますね。
“クリスマスだし、まぁ、みなさん、よかったら読んでください♪”
・・・そんな気持ちでしたねぇ。

発表後、ありがたいことに、読んでいただいた方々から、この作品にもコメント
が寄せていただいたのですが、“勇気をもらえた”とか“りきるさんの作品は
読み終わると不思議とやる気が出ます! ”というコメントを読んだ時は嬉しか
ったなぁ。
その返信にも書いたけど、自分の活動が誰かのために役立つ時ほど、自分の存在
理由を確認できる時はありませんからね。

この詩は、昨年・・・2010年で終わってますが、時間軸で書いている以上、これ
から先も書き進んでいける作品だと思います。
これから先も同じタイトルのまま、2015年、2020年・・・と少しずつ加筆した
作品として進化していけたら嬉しい・・・そんな作品ですね。

「オリオン座の下で」の電子書籍サイト→http://rikiru.wook.jp/detail.html?id=208583
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資質。

2011-07-04 | Weblog
月曜日だから、あまりネガティブな日記は書きたくないんだけど。

でも、我慢出来なかった。

もう、何も言うことはない。

お前、今すぐ、やめろ。

「知恵出さないと助けない」=松本復興相、岩手、宮城で発言
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20110704-00000003-jij-pol
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相談天国。

2011-07-01 | Weblog
最近、周りの人から相談事を受けることが多い。

仕事の事、家庭の事、健康の事、恋愛事・・・etc.
別に僕は自分が人徳があるとか知識が豊富だとか
そんなことはまったく思っていないし、それどころか、
その真反対の人間だと思っている。
いつもウジウジ自問自答を繰り返していて、僕の方が
相談をしたい事が山積みのような状態だ(笑)

でも、相談を受ける。受けてしまう。

ひいき目に自分で自分を見てみる。
・・・そんな空気を出しているのだろうか。

思い返せば、これは今にはじまったことではない。
若い頃から僕はよく相談を受けることがあった。

昔は相談をする人と同じ気持ちになって、その問題を
考えることが多かった。
時には、その人以上にその問題を真剣に考えてしまう
ような事もあった。

でも、今は違う。

長い間、そんなポジションでいたからか、おぼろげに分かって
きたことがある。

それは、相談をする人は、すでに自分の中に答えを持っている、
ということ。

要は、その答えが本当に正しいのか間違っているのか、または
正しいことを確信したいがために、他者に話す行為が「相談」
なのだと思う。

だから僕は相談を受けても、話を聞くだけ。それだけだ。
相手の話を聞いてあげて、頷いて頷いて頷いて、そして
背中をポンっと押してあげる。

例えば・・・一面、草原のような場所に突っ立っている人がいる。
その人の進むべきハッキリとした道はどこにも見えない。
しかし、進むべき方角だけは分かっている。
その人は、その方角を向いて考えあぐねいている。
僕はその人の横に立って、「こっちでいいんじゃない?」と
ひと言、言ってあげる。
・・・それが相談を受けた人間の役目のような気がしている。

そんな風に思うようになってからは、相談を受けることが
不思議と悪い気がしなくなってきた。
極端なことをいえば、自分の代わりに他人がいろんな経験をして
僕にその報告をしてくれているような気さえしている。
そんな数多の間接的な経験が、自分の肥やしになって、新たな
自分につながってゆくかもしれないし。

しかしよろず相談所のごとく、いろんな相談を受けるのだが、
思い返してみると、なぜか“お金の相談”だけは皆無。
きっと僕の知人達は、人を見る目が肥えているのだろう(爆)

(Photo by sugarlessゆ~こ)
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