りきる徒然草。

のんびり。ゆっくり。
「なるようになるさ」で生きてる男の徒然日記。

相談天国。

2011-07-01 | Weblog
最近、周りの人から相談事を受けることが多い。

仕事の事、家庭の事、健康の事、恋愛事・・・etc.
別に僕は自分が人徳があるとか知識が豊富だとか
そんなことはまったく思っていないし、それどころか、
その真反対の人間だと思っている。
いつもウジウジ自問自答を繰り返していて、僕の方が
相談をしたい事が山積みのような状態だ(笑)

でも、相談を受ける。受けてしまう。

ひいき目に自分で自分を見てみる。
・・・そんな空気を出しているのだろうか。

思い返せば、これは今にはじまったことではない。
若い頃から僕はよく相談を受けることがあった。

昔は相談をする人と同じ気持ちになって、その問題を
考えることが多かった。
時には、その人以上にその問題を真剣に考えてしまう
ような事もあった。

でも、今は違う。

長い間、そんなポジションでいたからか、おぼろげに分かって
きたことがある。

それは、相談をする人は、すでに自分の中に答えを持っている、
ということ。

要は、その答えが本当に正しいのか間違っているのか、または
正しいことを確信したいがために、他者に話す行為が「相談」
なのだと思う。

だから僕は相談を受けても、話を聞くだけ。それだけだ。
相手の話を聞いてあげて、頷いて頷いて頷いて、そして
背中をポンっと押してあげる。

例えば・・・一面、草原のような場所に突っ立っている人がいる。
その人の進むべきハッキリとした道はどこにも見えない。
しかし、進むべき方角だけは分かっている。
その人は、その方角を向いて考えあぐねいている。
僕はその人の横に立って、「こっちでいいんじゃない?」と
ひと言、言ってあげる。
・・・それが相談を受けた人間の役目のような気がしている。

そんな風に思うようになってからは、相談を受けることが
不思議と悪い気がしなくなってきた。
極端なことをいえば、自分の代わりに他人がいろんな経験をして
僕にその報告をしてくれているような気さえしている。
そんな数多の間接的な経験が、自分の肥やしになって、新たな
自分につながってゆくかもしれないし。

しかしよろず相談所のごとく、いろんな相談を受けるのだが、
思い返してみると、なぜか“お金の相談”だけは皆無。
きっと僕の知人達は、人を見る目が肥えているのだろう(爆)

(Photo by sugarlessゆ~こ)
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