昨夜。
仕事から帰宅すると、子どもたちの姿がなかった。
妻に尋ねると、同じ町の僕の実家に泊まりに行ったという。
今までもそういうことは多々あった。
しかし、そういう場合は事前に数日前から
知っていることが常だった。
でも、今回は違う。
突然、妻と二人きり。
結婚して13年。子どもが生まれて12年。
もしかしたら、初めての経験かも知れない。
ほどなく、夕食。
4人掛けのテーブルに、食器が2人分だけ。
しかも、対面になるように置いてある。
まぁ、当たり前か。
でも、いつものゴチャゴチャと4人分の料理の小皿や中皿、大皿を
置いてある風景に見慣れているから、奇妙な違和感とちょっとした
恥ずかしさを感じる自分がいる。
いただきます。
鶏肉のフライと、突き出しのような和え物と、なぜか夏なのに豚汁(笑)
黙々と食べる。黙々と。
見事に、会話が、ない(爆)
何か話すことを考えあぐねながら箸を進めつつ、僕はビールを出す
ように妻に頼んだ。
いつもならグラスはひとつだが、今日はふたつ。
出てきたアルコールはビールではなく「金麦」だった。
「あ、もう金麦は買わなくてもいいから」
・・・と僕が言うと、妻はそのひと言ですべてを察したようで、笑った。
アルコールの勢いも手伝ってか、少しずつ言葉がこぼれはじめた。
といって、子どもたちが突然実家に泊まることになった経緯とか、
最近引っ越してきた近所の若夫婦のこととか、子どもたちの友達の
話とか、クルマの車検の話とか、そんな事務報告のような表面上の話だ。
どんな話をしてたんだろう?
妻との質量の軽い会話を交わしながら、頭の中でそんなことを考えた。
どんな話をしてたんだろう、こんな時、妻と結婚する前は。
妻が、まだ僕の“彼女”だった頃は。
同じように軽い話をしていたと思うけど、今の会話の中身よりは、
もっとそこには“意味”が介在していたような気がする。
当時は、彼女のことを知らなかった。知りたいと思っていた。
彼女も僕のことを知らなかった。知りたいと思っていた。
だから、自分の中にあるその未知の部分を埋めるために、とりとめの
ない会話の中から相手のことを知ろうとしていたように思うし、
ひとつ新たに知ることで、その分彼女と近づいた気がし、そして
実際に近づいてゆくから、その会話には意味があったし、質量も
あったのだと思う。
しかしあの頃は、そんな理屈はどうでもよかった。
純粋に、会話を交わすことが楽しかったし、嬉しかったのだ。
こんな書き方をすると、今の妻との会話が嬉しくも楽しくもないような
書き方だが、けっしてそんなわけではない(笑)
ただ、そこには独身の頃のような深い“意味”がないのだ。
埋まったのだ、と思う。
独身の頃に、妻が彼女だった頃に、必死になって埋めようとしていた、
僕の中の相手の未知の部分の大半が、結婚して二人で生きてゆくために、
お互いの最低限、大切かつ必要な部分が、もう埋まってしまったのだと思う。
食事の後、ほろ酔い気分でテレビを見ていたら、自然に目蓋が重くなってきた。
「報道ステーション」見ている途中で、ギブアップ。
洗面所で歯を磨くと、洗濯物を畳んでいた妻に向かって「お先に」という言葉を
残して、僕は寝室に向かい倒れ込むように寝た。
エアコンを付けずに窓を開けていたら、柔らかい風と鈴虫の声。
静かだけどおちついた空気が漂っていた、ふたりぼっちの夏の夜。
9月には14回目の結婚記念日。
仕事から帰宅すると、子どもたちの姿がなかった。
妻に尋ねると、同じ町の僕の実家に泊まりに行ったという。
今までもそういうことは多々あった。
しかし、そういう場合は事前に数日前から
知っていることが常だった。
でも、今回は違う。
突然、妻と二人きり。
結婚して13年。子どもが生まれて12年。
もしかしたら、初めての経験かも知れない。
ほどなく、夕食。
4人掛けのテーブルに、食器が2人分だけ。
しかも、対面になるように置いてある。
まぁ、当たり前か。
でも、いつものゴチャゴチャと4人分の料理の小皿や中皿、大皿を
置いてある風景に見慣れているから、奇妙な違和感とちょっとした
恥ずかしさを感じる自分がいる。
いただきます。
鶏肉のフライと、突き出しのような和え物と、なぜか夏なのに豚汁(笑)
黙々と食べる。黙々と。
見事に、会話が、ない(爆)
何か話すことを考えあぐねながら箸を進めつつ、僕はビールを出す
ように妻に頼んだ。
いつもならグラスはひとつだが、今日はふたつ。
出てきたアルコールはビールではなく「金麦」だった。
「あ、もう金麦は買わなくてもいいから」
・・・と僕が言うと、妻はそのひと言ですべてを察したようで、笑った。
アルコールの勢いも手伝ってか、少しずつ言葉がこぼれはじめた。
といって、子どもたちが突然実家に泊まることになった経緯とか、
最近引っ越してきた近所の若夫婦のこととか、子どもたちの友達の
話とか、クルマの車検の話とか、そんな事務報告のような表面上の話だ。
どんな話をしてたんだろう?
妻との質量の軽い会話を交わしながら、頭の中でそんなことを考えた。
どんな話をしてたんだろう、こんな時、妻と結婚する前は。
妻が、まだ僕の“彼女”だった頃は。
同じように軽い話をしていたと思うけど、今の会話の中身よりは、
もっとそこには“意味”が介在していたような気がする。
当時は、彼女のことを知らなかった。知りたいと思っていた。
彼女も僕のことを知らなかった。知りたいと思っていた。
だから、自分の中にあるその未知の部分を埋めるために、とりとめの
ない会話の中から相手のことを知ろうとしていたように思うし、
ひとつ新たに知ることで、その分彼女と近づいた気がし、そして
実際に近づいてゆくから、その会話には意味があったし、質量も
あったのだと思う。
しかしあの頃は、そんな理屈はどうでもよかった。
純粋に、会話を交わすことが楽しかったし、嬉しかったのだ。
こんな書き方をすると、今の妻との会話が嬉しくも楽しくもないような
書き方だが、けっしてそんなわけではない(笑)
ただ、そこには独身の頃のような深い“意味”がないのだ。
埋まったのだ、と思う。
独身の頃に、妻が彼女だった頃に、必死になって埋めようとしていた、
僕の中の相手の未知の部分の大半が、結婚して二人で生きてゆくために、
お互いの最低限、大切かつ必要な部分が、もう埋まってしまったのだと思う。
食事の後、ほろ酔い気分でテレビを見ていたら、自然に目蓋が重くなってきた。
「報道ステーション」見ている途中で、ギブアップ。
洗面所で歯を磨くと、洗濯物を畳んでいた妻に向かって「お先に」という言葉を
残して、僕は寝室に向かい倒れ込むように寝た。
エアコンを付けずに窓を開けていたら、柔らかい風と鈴虫の声。
静かだけどおちついた空気が漂っていた、ふたりぼっちの夏の夜。
9月には14回目の結婚記念日。