りきる徒然草。

のんびり。ゆっくり。
「なるようになるさ」で生きてる男の徒然日記。

繋がっていたいだけ。

2013-07-21 | Weblog
お彼岸とお盆には、必ず墓参する。

若い頃は縁遠い行為だったけど、いつの頃からか自らするようになった。
単に“年を取っただけ”と言われればそれまでだけど、もし本当にこれが加齢の
せいならば、年を重ねるに連れて能動的になるよりは、億劫になって動かなく
なる方が理に適っている。

では、なぜ?

墓参する時、人は、墓石の中で眠る骨壺とその前で手を合わせる自分と、
そしてその横で退屈そうにしている子どもの間に存在するラインを知らず知らずの
うちに意識しているような気がする。

おそらく、墓参という行為を通して、連綿と続く何かしらと自分が繋がっている
ことを確認したいのだと思う。

考えてみれば、墓参と選挙の投票は似ている。

墓参と同じように、投票も20代の頃にはほとんど行った記憶がないが、30歳を
迎える頃からは必ず行くようになった。

ただ、墓参と投票が明らかに違うところは、墓参が自身の“内部”の繋がりを確認
する行為なのに対して、投票は自身の“外部”との繋がりを確認する行為なのではないか、と。

“外部”を別の言葉に言い換えれば、たぶんそれは、“社会”になるのだと思う。

ワタシの一票でこの国が一変するとは、これっぽっちも思っていない。
ただ、吹けば飛ぶような薄っぺらな投票用紙ではあるけれども、それによって自分が
社会と確実に繋がっている存在だということを確認したい。

ワタシが投票に行く理由は、それだけだ。

・・・・気がつけば、無駄に理屈っぽい文章になってしまった (^_^;)

これから投票に行ってきます。
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