りきる徒然草。

のんびり。ゆっくり。
「なるようになるさ」で生きてる男の徒然日記。

44.25歳。

2014-01-20 | Weblog
この土日は休みだったのだけど、家から全く外出しなかった。

いや、それはウソ。

土曜日に歯医者に行った。
でも、歯医者は自宅から歩いて行ける距離なので、やっぱりほとんど出ていないのに等しい。

その代わりと言ってはなんだけど、ずっとテレビを見ていた。
BSで放送していた「ニッポン100年物語」。
久米宏がナビゲーターを務め、様々な分野の視点からこの国の100年を検証する、BS各局持ち
回りで放送されていた番組なのだが、これが予想以上に面白かった。

土曜日の昼下がりに放送されたのが、医療編。
医療の視点から見た、この国の100年という内容だった。
そこで番組冒頭に説明されたのが、100年前の日本国民の平均寿命だった。

今から100年前、1913年の日本の男性の平均寿命は、44.25歳だったのだそうだ。

愕然とした。

ワタシは、1969年9月生まれ。
今、44歳と4ヶ月。
ほぼ、今のワタシの年齢だ。

このブログでも最近よく“人生の折り返し地点”という言葉を使う。
それは現在の平均寿命と自分の年齢を照らし合わせているからこそ出てくる言葉なのだけど、
実際、周囲を見回せば、本当にそうなのだと実感する出来事が多々起こっている。
しかし100年前は、人生の“折り返し地点”なんてとんでもないことで、44歳はおもいっきり
人生の“ゴール”だったのだ。

ちなみに番組内では、100年前の平均寿命が低いのは、当時は無事生まれても乳幼児で亡く
なる人が多かったことが原因だと説明されていた。
しかしそれを差し引いても、今より医療が発展途上だった当時は、成人した後の寿命も今より
圧倒的に短かったことは、おそらく事実だろう。

だからか・・・とこの時、思った。

今から100年ちょっと前、幕末から明治にかけて活躍した歴史上の人物たちは、明治維新の頃の
年齢は、軒並み30~40代だった。
現代社会ならば、これくらいの世代は、まだまだ若造扱いされておかしくない。
そんな世代が先頭に立ってこの国を大転換させたことに、素朴な疑問を感じることが以前から
少なからずあった。

100年前の人たちは、現代人よりも早熟だったのかもしれない。
長らく“人間50年”と言われ続けたわけだから、50年以内に自身の人生を全うできるように、
今とは比べ物にならないほど様々な事象を圧縮した生き方をしていたのだろう。
それならば、10代で早々に元服や結婚を行っていたことも、自分なりに理解できるような気がする。
おそらく当時の人々の精神年齢は、現代人の尺度で言えば、実年齢プラス20歳くらいだったのではないだろうか。
だから、仮にタイムマシーンが発明され、今の、40代半ばのワタシが明治維新の頃にタイムスリップして、
同世代の勝海舟や西郷隆盛はもちろん、30代前半の坂本龍馬や伊藤博文に出会ったとしても、まともな
会話なんて成立しないような気がする。
ワタシなんかよりも、おそろしく大人の見識や精神力を持っていたのではないだろうか。

そんなふうに考えれば、現代社会は全てのモノがハイスピードで慌ただしく動いているように感じるが、
もしかしたら、人生が今より圧縮されていた100年前の方が、感覚的にはもっと速く慌ただしい世の中
だったのかもしれない。

そんなことを考えながら番組を見ていたら、ナビゲーターの久米宏が、ニュースステーションの
キャスター時代と変わらない軽快な口調でこんなことを言っていた。

“平均寿命が低かろうが高かろうが、結局、人が最も関心があるのは、自分自身の寿命ですもんね”

うん。ごもっとも。
コメント (2)
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