りきる徒然草。

のんびり。ゆっくり。
「なるようになるさ」で生きてる男の徒然日記。

徒然なるままに。

2012-12-31 | Weblog
このブログ「りきる徒然草」を開設したのは、2008年6月だった。

それ以前にも某snsで日記は頻繁に書いていたのだけど、そこで知り合った方から、
「あなたはsnsの狭い世界で情報発信するよりも、自分のブログを開設して情報発信した
方がいい」と、アドバイスをされたのがきっかけだった。
ボクは、昔から他人の意見に左右される事があまり好きではない人間だったのだが、
なぜかその時は素直に知人の意見に従って、その日のうちにブログを開設した記憶がある。

たかだか5年ほど前のことだが、思い返せば、当時は今と比べても気分が異常に高揚していた
ような気がする。
生来、あまり能動的な生き方をしてこなかった人間なのに、あの頃のボクは自分のアンテナが
“面白い”と感知したモノには、手当たり次第に首を突っ込んでいた。
おかげでいろんな経験ができたし、いろんな人に出会うことができた。
自らが動き、その結果として何かを得るということがどれほど愉快なことなのかを、遅ばせ
ながら30代半ばになって知ったような気がしている。
きっと、知り合いからブログの話を持ちかけられた時も、ボクのアンテナは反射的に“面白い”と
感知したから、すぐに行動に移したのだろう。

あのような状態を、“腫れ”というのだろうか。
もっと分かりやすい言葉で言えば、当時のボクはちょっと“躁”状態だったのかもしれない。
しかし、どんな状態であろうと、その禍中にいる時の本人はそんな事に気づきはしない。
本人が過去の自身を客観視できる時は、いつもその禍中から抜け出した時だけだ。

今のボクは、あの頃と比べてかなり落ち着いている。
この1年間は、それまでの自分と同一人物だとは思えないほど大人しく受動的な毎日を過ごした。
要因を挙げればキリがないが、ただ、そんな“祭りの後”のような精神状態のおかげで、
おぼろげながらも見えてきたモノもあるような気がしている。

ブログを開設した頃、ボクの周囲は、自身も含めて様々なものが大きく変わろうとしていた時期だった。
良いことがあれば、悪いこともあった。
家の購入や引っ越しといった物理的な変化もあれば、小説やポスターのデザインで賞を受賞したり、
その一方で、健康体そのものだった身体のアチコチが故障しはじめたり、それまで知らなかった
社会の仕組みやカラクリを知って戸惑ったり、周りのごく近い知り合いが亡くなったりしはじめたのも
この頃からだった。
今思えば、ボクはあの頃、人生におけるストレッチの時期から応用の時期へと移りはじめたのかも知れない。

人間は、誰だって弱い。
芯から強い人間なんて、おそらく地球上に一人もいない。
どんな人間だってそれなりの時間を生きてくれば、悩みが生まれ、苦しみや辛さを抱える。
そんな爆弾のひとつやふたつを抱いて、それでも平気な顔を装って生きている。
それが“大人”となった人間の生き方なのだと、自身や周囲の様々な出来事を通して、ボクはあの頃から
少しずつ教わりはじめた気がしている。

では、その爆弾たちとどうやって上手く付き合って生きてゆくか?
その方法のひとつが、ボクにとってはこのブログだったような気がしている。
素面ではできないことでも酒の力を借りればできるように、自分の内部だけでは到底処理しきれない
プレッシャーや変化に対して、ボクはブログという手段で対峙しようと思ったのかもしれない。
自身の内外で起こるさまざまな変化に対して、受け入れたり、対峙したり、抵抗したり・・・。
その様をその時の気持ちの趣くまま書くことで、さまざまな均衡を保ってきたのだと思う。

2012年の最後の日に、あらためてそんなことに気づいたのは、決して偶然ではないような気がしている。
今年も本当にいろんなことがあった。
同世代の友人の何人かが大病を患ったり、今まで悪くなったことがない身体の部位がおかしくなったり、
娘が中学生に進学し、妻が働きだし、みんなで過ごす時間が激減して、家族のカタチが大きく変わったり、
それまでは滅多になかった同窓会が激増して二度と会えないと思っていた旧友に再会したり、数えきれないほど喪服を着たり・・・。
30代後半から感じはじめ、このブログにもたびたび書いてきたことだが、今のボクは確実に“人生の折り返し地点”
に立っているのだと思う。
今年は、その思いをさらに強くさせる出来事が本当に多かった。
新たな出会いや発見のような肯定的な出来事もなかったわけではないが、それよりも一抹の寂しさや理由もなく
虚しさを感じてしまう出来事の方が圧倒的に多かったような気がする。

毎年日記に書いていることだが、来年がどんな年になるのかなんて、分からない。
良いこともあれば、悪いこともあるだろう。
笑顔になる出来事もあれば、疲労困惑してしまう出来事も起こるだろう。
心身ともに絶好調の時もあれば、低空飛行の時もあるだろう。
ツキまくって有頂天になる時もあれば、何をやっても上手くいかない時もあるだろう。

それでも、ボクは生きてゆきたい。

その時その時の出来事や風景、そして自分自身を、受け入れたり、対峙したり、抵抗したりしながら。
その様をどこまで上手く書けるか分からないけど、来年もこのブログで自分なりに表現してゆきたいと思う。
ささやかながらも、自身が生きている証しとして。それこそ、徒然なるままに。

今年もこのブログを読んでいただいて、本当にありがとうございました。
皆様にとって、来年が素晴らしい年になりますように。
コメント (2)
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