りきる徒然草。

のんびり。ゆっくり。
「なるようになるさ」で生きてる男の徒然日記。

表面と真相。

2012-12-14 | Weblog
先週末、広島に行った時のこと。

平和大通りの「ひろしまドリミネーション」へ行く前に、ボクたちは広島城公園に訪れた。
水鳥が泳ぐお堀を渡り、紅葉も終わった落ち葉の絨毯の本丸跡を横切って、天守閣に登った。
広島城は、広島の都心のド真ん中に位置している。
そのため天守閣に登っても、そこから遥か遠く瀬戸の海や中国山地まで見渡せるということはなく、
周囲に林立する高層ビル群が形成する都会の風景や、ビルの狭間に辛うじてうっすらと肉眼で確認
できる宮島の弥山が見え隠れする程度だった。

天守閣の頂上には、ボクたちの他にも10数人の観光客が同じように景色を俯瞰していた。
平和公園が近いためか、そちらから流れてきたような外国の観光客も何人かおり、古びた造りの
城と相反するような近代的な風景を興味深そうに眺めていた。

そんな中に、2人の観光客がいた。

夫婦と思われるその2人は、60代半ばくらいで、口にしていた言葉のイントネーションから
関西地方から訪れた観光客のようだった。
2人は、天守閣の展望台から東西南北の景色を眺めていたのだが、西の方角に目を向けた時、
夫らしき男性の方が景色を見ながらふいに口を開いた。

「城の真横にこんな高層住宅、作ることないやろ」

男性は、目の前に広がる市営アパート群、いわゆる「基町高層アパート」のことを言っている
ようだった。
そのアパート群は、天守閣よりも低くくはあるが、屏風のように幾重にも棟が折り曲がっていて、
たしかに広島城から見れば西側の景色をまるごと遮蔽するように建っている。
ただでさえ周囲を威圧感のある建造物の群れに囲まれている広島城にあって、西側のその風景は、
他の方角に比べても、やはり違和感があることは否めないような気がした。
男性がそう言ったあと、妻らしき女性の方も「そやなぁ」と同意の言葉を口にしていた。

しかし、広島城の西側にそんな高層アパートが建っているのには、理由がある。

67年前に原爆で壊滅した直後から、現在高層アパートが建っている辺りには、家を失った被爆者が
焼け残ったトタン板や板切れからバラックを建てて住むようになり、この一帯は「原爆スラム」と
呼ばれるようになった。
その後、高度経済成長期から約10年の歳月をかけて改良・整備を施して完成したのが、現在の基町
高層アパートなのだ。
だから、今も高層アパートで暮らしている人は圧倒的に高齢者が多いそうで、そしておそらく、
そのうちの多くの方が原爆に遭われた方なのだと思う。

当たり前だが、広島城も原爆で木っ端微塵に破壊された。
それが再建されたのも、今から約50年前、つまり、高度経済成長の頃だ。
多少の時間差はあれど、広島の中心部に鎮座する基町高層アパートと広島城は、双方とも原爆に
よって灰燼に帰した広島の復興目的として建てられたものだった。
当時は、元に戻すことで精一杯の時代だ。
「景観」という、物心双方がある程度満たされて初めて生まれるような概念にかまっている余裕など、
当時の広島はもちろん、国内のどこにもなかったのではないだろうか。

だからといって、この関西の老夫婦を責めたいわけではない。

基町高層アパートの沿革なんて、ボクが知ったのも大人になってからだ。
それも偶然知ったようなカタチだったから、今でも知らない広島県民は多いだろうし、特に若年層に
至っては知っている人は皆無に近いのではないだろうか。
広島県民にしてもそのような感じなのだから、まして観光客にそれらに関する予備知識を求めるのは
酷というものだ。

ただ、どんなものにも、物事には表面と真相があるということではないかと思う。

表面上の事柄のみを見て解釈したけど、実際はもっと奥が深かったり、よく調べてみると表面とは
まったく逆の状態だったり。
そういうことが世の中には稀にある・・・というよりも、実は世の中の事象のほとんどがそういう
ふうにして成り立っている気がする。

上っ面のキレイさに惑わされて、その周辺や深部の真実に気がつかない事にならないように。

そういえば・・・今度の日曜日は、衆議院議員選挙の投票ですな。
コメント (2)
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