青少年育成連合会 | 日本の未来を【夢と希望に満ちた国】にする為に日本人の心に訴えたい
子どもは日本国の宝|私たちは【子どもをいじめと虐待、性犯罪から守る】為にあらゆる方法を講じ解決にあたります



我々連合会の執行部の主力メンバーの紹介

平成21年10月22日の裁判員法廷から強制わいせつ致傷猶予判決に物申す

裁判内容:東京都港区の駐車場で女性(24歳)にわいせつな行為をして、怪我を負わせたとして強制わいせつ致傷罪に問われた、無職・K被告(23歳)の裁判員の判決で東京地裁は22日懲役3年保護観察つき執行猶予5年(求刑懲役3年)を言い渡した。

後藤まりこ裁判長は(自発的に謝罪の手紙を出し、被告なりの反省を示しているが、被告には意志の弱さがあり保護観察期間の援護が必要だ)と述べた

私が一番恐れていたのは、裁判員に選ばれた人達に一言。

この裁判長の言ってる事に対して憤りを感じる。強制わいせつをした挙句、相手に怪我をさせておいて、ふざけた事を言うな。

何が自発的謝罪の手紙を出したとか反省しているとか、こんな事弁護士が指導しただけで、反省なんかするような玉じゃない。

それに、意志が弱い。ふざけるな。意志が弱い人間が相手の女性を怪我までさせて、強制わいせつ。こんなヤツは5年ぐらいの懲役でブタ箱に入れなければ、反省なんかするわけが無い。

冗談じゃないですよね。私も理事長の判断は正しいと思います。ここまでやる人間に同情は要らない。こんな強姦魔に対しては厳しい刑事罰を与えない限り被害者女性は生涯忘れられないくらいの傷を負って生きていくことを忘れてもらいたくはない。

判決後、後藤裁判長は、被害者は事件を忘れたいと思っているが、あなたが忘れてはいい訳が無いと切論。

この後藤裁判長は、女の癖に、被害に遭った女性の気持ちを理解しようともしない。言葉だけが奇麗ごと過ぎて、もし自分が被害者の親だったら、裁判所に乗り込んで行って徹底的に抗議をする。

こういう裁判長がいる限り、真面目に生活している女性が突然襲われ怪我をさせられ、強制わいせつ行為、それで執行猶予ですぐ出てくる。裁判員もこんなヤツの供述に同情するな

どうしても現在の性犯罪に対しての刑事罰が軽すぎる。以前から軽すぎる刑事罰についてもっと重くすべきだと国民の多くから非難があるにも関わらず、この裁判長の判決に対して憤りを感じる。

今日の気になる出来事

千葉の女子大生焼死 遺体に切り傷、殺人と断定 10月24日20時25分配信 産経新聞

 千葉県松戸市のマンション一室で今月22日、この部屋に住む千葉大園芸学部4年、荻野友花里さん(21)の遺体が見つかった火災で、荻野さんの首と胸に刃物によるものとみられる傷があったことが24日、県警捜査1課の調べで分かった。県警は荻野さんが何者かに殺害され、その後部屋を放火されたとみて同日、松戸署に捜査本部を設置した。26日にも司法解剖して詳しい死因を調べる。

『鏡』

出会う人、見る人、全ては自分の鏡になっているという事を知っていますか。



‘あの人キライ’と思うと、鏡ですから当然キライと思う相手の人も、私のことを嫌っています。



あなたが、
‘あの人の、ここがステキ’と思えば、やはり相手は自分の鏡ですから、あなたもそのステキを持っているのです。



ですから、
常に人には良い思いを送り続け、嫌なことをされたりしても、「いつか、自分が誰かに同じことしたからそのお返しが来たんだ」と考え、決して怒ったり、恨んだりしないような人間になれるよう努力しましょう。   

---『生きる』---

  今回、このブログを通じて、ある男性とその家族の話をします。 小学生から中学生のときに、その男性の家の庭で遊んでいたときの思い出です。

 庭で皆で、「かくれんぼ」をして遊んでいたとき、私が鬼を探す番の時、一回りしてきて庭に戻ったとき、彼は唯一動かすことの出来る指で、鬼が逃げた方向を指し示して、ニコニコしながら教えてくれました。(それは、言葉を話すことが出来ないからです)。

 中々、捕まえることの出来ない様子が滑稽で面白かったのでしょう。随分一緒に遊んだことを、今も走馬灯のように思い出します。

 彼は、生涯起き上がることはありませんでした。唯一、腕だけが動くので、うつぶせの状態で、畳の上をひじを使って移動することだけが出来ました。


 食事・着替え・入浴・排泄、全てを家族が支えてきました。彼自身の力では、何も出来なかったのです。その彼を20年以上生命を維持してきたのは家族でした。

 長く遊んだりしましたが、辛いとか、悲しいという言葉は、その家族からは一度も聞いたことはありません。これ以上余計なことは書かなくても、読んでいただいた皆さんに何かを感じとって頂けると、思っております。

 今、変な世の中になっていますが、生きることについて考えるきっかけになれば、と思い投稿しました。 合掌




戸塚ヨットスクール戸塚宏校長の新潮新書「本能の力」より抜粋
平成18年4月29日、刑期満了で静岡刑務所を出所した私は、その足で、「戸塚ヨットスクールを支援する会」が用意していた静岡市内の記者会見場に向かいました。正直なところ、マスコミは私のことなど無視するだろうと考えていました。「事件」発生当時大変な話題になったとはいえ、もう一昔ではない時間が過ぎています。さすがに私を叩きに来るまでもないのではないか、そんなふうに思っていたのです。

ところが、私の考えが甘かったことは会見場に入ったとたんにわかりました。会場では数多くの報道陣が私を待ち受けていました。主要なテレビ、新聞はすべて揃っていたのではないでしょうか。

まだそんなに私に関心があるのか。まだ私を責めたいのだろうか。驚きと同時に、マスコミは私に何を期待しているのだろうと、不吉な予感が胸をよぎりました。

約20年前に起こった「事件」において、私が校長を勤める戸塚ヨットスクールでは訓練中に2人が亡くなり、2人が逃亡しようと海に飛び込んで、そのまま行方不明となりました。これは紛れもない事実で、悔やんでも悔やみきれるものではありません。

名古屋地検は、体罰によって2人の生徒を死に至らしめたと、私とコーチたちを傷害致死罪で起訴しました。裁判では「体罰は教育か暴力か」が争点となり、一審の名古屋地裁は、「(体罰)の多くは治療・矯正のため、あるいは合宿生活維持のため」と認め、私に懲役3年、執行猶予3年の判決を下しました。

しかし、「遺族に冷たい判決」「寛大判決、波紋広がる」などと、マスコミは一斉にこの判決を批判。こうしたマスコミの報道に影響されるように、二審の名古屋高裁は「訓練は人権を無視。教育でも治療でもない」として一審判決を破棄し、私に懲役6年の判決を下したのです。すぐさま上告したものの、流れは変わりませんでした。最高裁は二審判決を支持し、実刑が確定しました。

判決についての不満はありますが、それを述べるのはこの本の趣旨から外れるので、ここでは割愛します(ただし一言述べさせてもらうと、故意に生徒を傷つけたことはありませんし、体罰によって生徒が死んだ事実もありません。詳細にご関心のある方は、「戸塚ヨットスクールを支援する会」のホームページをご参照下さい)。

もちろん、死者が出たことについては、心が痛みます。彼らのことを忘れたことはありません。そのことに間違いありません。

さて、記者会見の最初に飛び出した質問はこうでした。
「いまでも体罰は教育だとおもいますか」

この続きは、戸塚ヨットスクール校長 戸塚宏著「本能の力」新潮新書を、是非、お読み下さい。

私も、この本を読んで一番感じたことは、実際非行少年を抱えて、更正に関わった人間でなければ、理解できないだろう。普通の人には考えられないくらいな、想像を絶する闘いだ。特に精神障害を持っている子は、なおさら難しい。

しかし、この活動の基本は戸塚先生も言われている通り、指導する人間は受ける人間より力を含めて全てが上でないと、なめられたらお終いだ。
しかし、力だけではなく、それなりの愛情も持ってやり、それに集団生活をしていれば、先輩達もいる訳だから、皆上手に関わってくれたから、うまく更正が出来た。
とにかく私も上手く表現が出来ないが、戸塚ヨットスクールの戸塚宏校長先生の出版された
「本能の力」を何回も読み返しましたが、今までにない、素晴らしい内容皆さん是非、読んで頂ける事を薦めます。