〝箸の上げ下ろしまで監視の目〟 私の目から見た農村婦人の位置づけについて筆を走らせて見たいと思います。
私がこの町に嫁いで二十数年が夢の間にすぎようとしております。戦中、戦後を経験している一人で、過去を振り返って見ますと昭和三十年代の前半はまだまだ封建的な風潮があちこちに見られました。
嫁たちは箸(はし)のあげおろしまで家族の監視の目にさらされ、ましてや嫁の立場で口答えなどしようものなら大変なことになったという体験者も多かったことを耳にしたこともありました。
だが今では兼業化に伴い、父母、若夫婦が各々、農業や農外就労、家事などを役割分担し家族が対等な立場でしかも各々が主体的な存在として家庭を構成し、きりまわしするようになって来ているので、過去の暗いイメージもややもすると消えてしまったと言っても過言ではないでしょうか。
このようなことで夫の農外収入を若い妻も比較的自由に使えるようになったり、あるいは、自分自身も農外収入を得ていたりして、日常生活上でお金に困ることが次第に少なくなって来ていて、農家の複雑な家計管理が従来にくらべ比較的オープンになってきていることを意味しており、その点では大きな前進があったといえます。
つまり、ひとつには女同士がお互いの立場を認め合い、毎日を愉快に暮らしあおうとする懸命な努力の結果であると思います。
家庭において何か物を購入する場合にまず、お母さんに相談してから話をまとめるとかの集まりにも最近では婦人が男性の代理で出席する姿が目立つようになって来ているように、家庭内、地域内においても、婦人の活動には目をみはるものがあります。
今まで述べてきたことを、要約すると、高度経済成長前期は婦人たちは家からの解放を実質的なものをめざすとともに経済的自立をめざしたのに対し、高度経済成長以後は生活や生産における主体的管理者としての地位を築いた時代といえると思います。
もちろん、自分たちの意志で得たものばかりとはいえません。政策に支えられた面も大いにあったのです。
これからは地域社会をよくするための生産組織の、生産計画、販売計画に参加し農村婦人の限りない強い歩みを望みます。
みんなでもっともっと力を合わせて明るい農村地域社会を作りましょう。
『嵐山町報道』341号 1986年(昭和61)4月20日 婦人のページ