今日の女王サマ

映画、本、音楽、お出かけ、思ったことなどズラズラ書き連ねています。

レズビアン&ゲイパレード

2005年08月13日 | 家族
きょう、渋谷でレズビアン&ゲイパレードがあったようです。
これは1994年から始まったものでしたが、2002年を最後に開催されていなかったんです。今年、復活したのは運営を担う団体を設置したかららしいですが、それまでは実行委員の負担が重かったんですね。

ヘテロは正常、ゲイは異常なんていう意識は私にはないのですが、自分の叔父がゲイだったのでは?と思ったことがあります。
叔父は父の弟で、会社の同僚だった女性と結婚式を挙げることになった時、小学生だった私と弟は両親と一緒に熊本へ行きました。
叔父は結婚式のあと、すぐに「仕事があるから」と言ってどこかへ行ってしまいました。私は小学4年生でしたけど、結婚初日からそんなの聞いたこともないと思っていましたね。

その後2年ほど経って、当時千葉の勝浦にあった叔父の家で夏休みの1カ月を過ごした時も、叔父は友人が来たからとか言ってよく家を空けていました。アルバムには男性と肩を組んでにこやかに写っている叔父の写真がありました。ある日、浜で知り合ったと言って若い大学生を連れてきたこともありました。早稲田の学生さんでしたが、夏の間ずーっと叔父の家に泊まりこんで私や弟とよく遊んでくれました。

叔父は立派なガタイの大男でしたが、口調が時々ヒステリックになりました。あ、そうそうちょうど「おすぎとピーコ」みたいな喋り方でしたねぇ。

私が大人になって、その頃は杉並に住まいを移していた叔父を訪ねると、いつも叔父はいなくて私のおばあちゃんと叔母だけがいました。おばあちゃんは手作りの和菓子(これがめっちゃウマかった)を作って、孫である私の来訪を喜んでくれましたが、叔母はいつも寂しそうでした。
そのうち、おばあちゃんは熊本の親戚の家に引き取られ、叔母は養女をもらって実家に帰ってしまいました。

今から10年ほど前、叔父が亡くなったとの知らせがありました。勤め先で倒れてそれっきりだったそうです。そのときの様子を聞くと、やはり叔母とはずーっと別居だったようで、私が、叔父はゲイだったんじゃないかなぁと思った瞬間でした。

ゲイでもカミングアウトする人が増えた昨今、少なくとも東京のような都会では「ゲイ?それが何か?」ぐらいにはなっているのではないかと思います。
叔父が生きてきた時代では隠し通すことしかできなかったのでしょうね。昔の人間である私の父など、自分の弟がゲイであったなどとは露ほども疑ったことがないのでしょう。

東京レズビアン&ゲイパレード2005 ⇒ http://www.tlgp.org/index.shtml