今日の女王サマ

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ちくしょう谷

2005年08月07日 | 映画&本&音楽&TV
読み終えたのはちょっと前ですが、なかなか感想が書けませんでした。
主人公の持つ強い抑制力が、女である私には理解しにくかったからです。いえ、頭では理解していましたが、実際問題として主人公の朝田隼人に共感しにくかったからと言った方がいいかな。

朝田隼人の兄、織部は部下の西沢半四郎と決闘をして死に、西沢は3年間、流人村の木戸詰を仰せつかる。(「ちくしょう谷」のちくしょうは流人のことだったんですね)木戸詰には左遷の意味が含まれていた。
隼人は亡くなった兄の子の後見をするようにと命ぜられ帰国するが、木戸番頭(かしら)が死んだことにより、後任を志願します。
誰もが、その志願は木戸詰になっている西沢が目当てだと思うのです。兄の仇を討つために西沢のそばに行くのだろう、と。

私もそう思っていました。隼人の精神が静かすぎるのです。何度か西沢を見る目の描写が出てきますが「木や石ころを見るように」となっています。これは復讐心を心の奥底に秘めたポーカーフェイスに違いないとね。

西沢も隼人が自分を殺しに来たのだと思って、いろいろな方法で隼人を亡き者にしようとします。しかし、何度も失敗して、しまいには隼人に助けられるのです。
二人きりで話す場面で、兄の織部から届いた手紙のことを西沢に話します。それは決闘の5日前に書かれたもので、西沢の不正のことと彼の将来を案じたものでした。
隼人は復讐心を捨て、兄の願いであった西沢を破滅させないで立ち直らせるという道を選んだのです。

「ゆるすということはむずかしいが、もしゆるすとなったら限度はない、--ここまではゆるすが、ここから先はゆるせないということがあれば、それは初めからゆるしてはいないのだ」と隼人に言わせていますが、これは山本周五郎の言葉でもあります。

ゆるす側もゆるされる側も、どちらも苦しい思いをする。それが「ちくしょう谷」という物語でした。
最初に書いたように、頭では理解できるが、私なら隼人のように強い心で人をゆるすことなどできないだろうと思うのです。