清水氏家臣鳥越氏の居城跡
鳥越八幡神社は、1638(寛永15)年に新庄藩主戸沢氏によって現在地に遷されたものです。
(御神木 夫婦杉)
駐車場にクルマを留め、参道を歩いていくと、鳥居が見えてきます。
その手前で、御神木である鳥越八幡神社の夫婦杉が参拝者を出迎えてくれます。
鳥居をくぐり石段を登ると拝殿があらわれます。
本殿は一間社流造、拝殿は1691(元禄4)年二代藩主正誠による造営で、桁行三間、梁間二間の入母屋造となっています。
垂木や枡組など簡素なつくりの建物ですが、蟇股や海老虹梁など所々に技巧が施されています。
向拝の奥行きも短くなっています。
向拝の虹梁の彫刻はシンプルなカラクサが彫り込んであります。
本殿の妻側には鬼や戸沢家の家紋をあしらった彫刻が施されています。
この一帯は新田川に沿って西へ突き出た丘陵で、戦国時代には最上氏の一族である清水氏の重臣鳥越九右衛門の鳥越楯があった所です。
境内脇や裏側には平場が所々にあり楯跡だったことを感じます。
この平場には東屋などがあり公園として整備されています。
境内には、鳥越出身の農民指導者松田甚次郎の顕彰碑がありました。
宮沢賢治や加藤完治の影響を受けた甚次郎は、盛岡高等農林学校(現 岩手大学)を卒業し、鳥越に帰るとみずからも小作人となり、最上協働村塾を開き、寝食を共にして農民のあり方について指導をしました。
松田甚次郎顕彰碑からさらに登る途中にオブジェがありますが、草が生い茂っていて行くのをあきらめました。
神社裏に東屋があり、以前は新庄市内を見ることができたのでしょうが、今は樹木が視界をふさいでいます。
(出典 山形県の歴史散歩 )
【鳥越八幡神社MAP】
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