国道4号線沿い栗原市築館町城生野にあります。
多賀城の北方約52キロメートルのところにある、標高22~24メートルの方形の独立した丘陵で北側を二迫川、東側を一迫川が流れ、両河川はこの丘陵の東方で合流します。
城の外郭線の施設は土塁と大溝で構成されています。
土塁は基底幅7.5メートルで、丘陵の中腹を走り、その内側に幅10メートル、深さ3.5メートルの大溝が掘られていました。
城の規模は南北に約650メートル、東西700メートルと推定されます。
城内の中央部や北部に、庶民の住んだ竪穴住居群が発見されています。
伊治城は神護景雲元年(767)に造営されたと云われています。
この城は、山道の玉造郡の北の栗原地方の蝦夷に対する支配拡大の拠点として設けられました。
この伊治城はふつう「イヂ」と音読していますが、多賀城跡から出土した漆紙文書によって「コレハリ」と訓読みすべきことがわかってきました。
【伊治城跡MAP】
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