
実は
この時期に江川卓投手が日大三高進学を検討していたと言う
事実があり、ほぼ進学決定というような噂も流れていたようです
「日大三高 江川卓投手誕生!」
・・・に向け、萩原宏久監督は中学時代の江川卓投手を何度と無く訪ねている
この時、江川卓投手の「日大三高進学に際する希望」は「六大学への進学」であった
萩原宏久監督からの返答は、江川卓投手に曖昧な口約束はしなかったのだった
当時の江川卓投手の力量から言えば六大学進学への保障的な返答を即答する指導者もいたであろう・・・
しかし
日大三高野球部の監督として安易な返答が許されなかったと判断します
そして江川卓投手は作新学院進学へ・・・
「日大三高 江川卓投手誕生!」は「幻」と消えたのでした

この後
昭和46年度センバツ優勝、昭和47年度センバツ準優勝のメンバーで
甲子園で大活躍をした吉澤俊幸先輩(元阪急ブレーブス・阪神タイガースコーチ)が早稲田大学への進学を決めたのでした
・・・そうです””
江川卓投手の希望であった六大学への進学です

甲子園で大活躍の吉澤俊幸先輩は早稲田大学へ進学

東京六大学リーグ戦
「法政大学対早稲田大学」
そこには
法政大学のエース江川卓投手
そして早稲田大学の中心打者、吉澤俊幸先輩の姿があった

法大 江川卓投手 早大 吉澤俊幸先輩
萩原宏久監督と江川卓投手も
その数年後に・・・
萩原宏久監督はトレーナーとして
江川卓投手は選手として
・・・読売ジャイアンツへ入団するのでした。

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