LOVE AND GLORY

-サイキックの眼-

「感情障害」~感情と精神を越える。

2013-05-08 19:14:45 | サイキックの眼

     
      
「感情障害」~感情と精神を越える。
    
      
これは…非常に難しいことのひとつです。
   
本を読み、勉強をする。
映画や舞台を見て、感動する。
感情と精神をやしない学ぶことは容易く出来ます。
しかしそれは、思考的に頭で理解するにとどまるのです。
    
偉い方が書いた著書。
幸せの法則的ノウハウ。
精神の鍛え方。
心のバランスのとりかたハウツウ。
悩み方のナントやら・・。
   
沢山の知識?があふれ出回っています。
   
しかし・・、本棚にはズラリ並んでいても、
それを活かしている人は殆ど居ません。
   
料理本。健康法。経済。勉学。趣味。教育。
本屋さんにある書籍カテゴリーのすべてをかき集めても、
感情と精神を説いたモノはあっても、
体得しえるモノはありません。
※【体得】とは、体験を通して知り、理解し自分のものにする。
    
例えば・・精神論的な本を読んでも、精神がやしなわれ成長することはありません。ただ、アタマで理解出来ているだけで、イザという時にはなにも役に立たないのです。
野球選手が、野球ノウハウ本を読んだだけで、いきなりバッターボックスに立っているようなモノです。
野球の実践も精神も知らなくて、ただ知識だけは詳しい。
本当に実践を重ねた選手は、精神と肉体の辛さと、嬉しさと悔しさ。
怒りや悲しさ・・孤独ととも成長を重ねます。
それが・・またまた例えばですが。
「あなたも楽に野球選手になれる練習法」
とか?。
「即席カンタン・ホームラン術」
みたいなのはありません!笑。
      
『強くなる為の知識を得たい!』
   
このように考えている人は多いと思います。
新聞の下欄の新刊書籍の案内にも毎日のようにそのような、
楽して悟れて?・楽して賢くなる?ようなゴシップが踊っている。
   
そのような本を読んでも無理です。
    
悟りの入門本とか、精神論の解読本。
楽して儲ける術や、健康読本・・等々。
中には高度な知識が書かれていたりもします。
その知識を得る為にアタマに入れ、アタマで理解したとします。
高度な知識がアタマに備わりました。
するとその知識に値する高度な不安も同時に備わるのです。
意味がお解りでしょうか。
ホームランを打つ高度な技術と知識を得るには、
それと同等の高度な不安と精神も比例するのです。
      
僕がカウンセリングをおこなう上で、
『現実を感情で理解する』ことを重要視しています。
単にアドバイスだけをすることはありません。
    
今回「感情と精神を越えて」という題をもってお伝えしたいことは、
殆どの人の「感情」が育っていないということ。
ムムム・・なにか語弊がありますね。
では違う言い方をしますと、「感情」以外が育つ世の中があるのです。
      
「感情」を育てる。
非情に難しいコトです。
教科書で学び育つモノではありません。
「怒ってはいけません!いつもニコニコ元気よく?!」
んなアホな!!。
笑えない時にはどうしたらいいのでしょうか?。
    
現代の世の中、アタマで理解することが殆どです。
アタマで理解出来るようにシステム化されています。
そして・・考える必要のないシステムまでシステム化されて。
感情の出番はありませんね。
でも、感情が消えてしまったわけではありません。
   
そうでしょう?。
    
言いたい事がある。
伝えたいことがいっぱいある。
聞き入れてほしいことが山のようにある!。
泣きたいことがある・・。
泣きじゃくりたいことがいっぱいある。
声もでないような寂しさ、孤独の境地と不安と叫び。
そして・・絶対許せない悔しさと怒号。
    
感情的になると、人に迷惑がかかる。
感情を向けられると、腹が立つ。
怒ってはダメ。笑ってごまかそう。
私が悪かったのだろうか・・。
いいや!アイツが悪い。悔しい。
なんて大人げないんだろう、恥を知りなさい。
・・・。
   
もう精神がズタズタになりますよね・・。
感情と精神がもたないのです。
感情と精神が耐えられない。
感情という水の入った表面張力いっぱいのコップを持っているような状態です。
感情と精神の破綻です。
誰しも人はこのような時、回避策をもっているのです。
爆発寸前の感情をそらせる方法。
食欲・レジャー・悟り・宗教・嘘・勉強・エトセトラ。(虐待・いじめ)
それもやり尽くしてきました。
それでも感情いっぱいのコップは変わりません。
精神が尽き果てそうになります。
感情という水がいっぱい入ったあなたのコップはあなたのモノで、ひとつしかありません。
そのコップの水を他人にブチまけると、大きな問題になります。
どうしたらいいのか?。
   
ここからが僕のカウンセリングでも重要視していることですが。
先ず、その自分のコップ(=魂)の中の水は、本当にあなたの大切なモノなのかどうかです。
あなたの大事な感情ですか?。
あなたの大事な精神なのでしょうか?。
そのコップと水は、大切に想うモノなのでしょうか。
或いは・・そのコップと水を愛された経験があったでしょうか・・。
あなたの大切なコップと水に、責任を感じるでしょうか。
   
こうやって・・自分の破綻寸前のコップ(魂)と、
表面張力いっぱいの水(感情と精神・他)を見つめます。
握りしめれば割れてしまいます。
手が震えて・・チカラが抜けると、落としてしまいます。
こうして自分のコップ、器の大きさを実感してきます。
そこからどのような解決方法があるのかを更に見極めていくのです。
コップを自分の手で洗う。
大きなコップに作り替える。
小さなコップでも、沢山の仲間をつくる。
ひとそれぞれ様々です。
    
ここで説明していることは、まだ平たい限りです。
実際は、感情と精神と向き合うことは至難の業です。
自分に正直に責任を持って生きてさえいれば、感情も正直に表現できるのです。
でも、嘘から始まった生活であったならば、感情も精神も嘘の連続となるのです。
そうすると・・本当に嬉しい時に笑えなくなります。
本当に怒りたい時にも、愛情なんてありません。
何が本当で・・何が嘘なのか。
もう訳が解らなくなるでしょう?。
      
感情は学べるものではありません。
感情は、精神と肉体と同等です。
感情が全てを表現します。
   
感情に触れるのが恐い。
感情に触れられるのが恐い。
まわりの人の感情が恐い。
    
なぜ恐いのか?。
自分の感情が恐いのです。
抑え続けてきた感情が。
   
感情は正直です。
他人よりも、先ず自分に正直になってみることです。
それが、原点です。
      
       
サイキックの眼  山本 浩二
     
        
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