LOVE AND GLORY

-サイキックの眼-

閉ざされた人格 ③

2019-05-18 20:35:28 | サイキックの眼

     
     
閉ざされた人格 ③
   
      
これからの未来、人格が無ければ生きて行けない。
それはいつの世の未来でも同じことではあるが…
そうとも言い切れない。
人格というものは本来、人として産まれながらに与えられる価値であり。
産まれながらに持つステイタス…なのかも知れない。
   
人として生きる為にはどうしたら良いのか?
     
こう考えない人はいない。
なにが何でも生きていかなければならない。
自分の生きる場所が欲しいのだ。
自分らしい人生を送れる居場所を造りたい。
価値ある生活を送りたい…
   
だが…そううまくいく人と、そうでない人がいる。
それは…
〔 人格を開くことの出来る人生の人 〕
〔 人格を閉ざさざるをえない人生の人 〕
この違いが人生に大きく左右する。
    
よりキツく露骨に言い直してみると
〔 芽を出せることの出来る人生の人 〕
〔 芽を出すことを許されていない人生の人 〕
〔 芽を間引かれる人… 〕
    
〈 芽 〉というのは自分自身、オリジナルのステイタスだろう。
それを育て、成長すること自体が〈 価値 〉であり。
それを積み重ね…積み重ね続けてこれた先に〈 人格 〉が備わる。
なので、いきなり〈 人格 〉だけが備わることはないものなのだ。
親から子、子から孫へ。
芽から芽へ、価値から価値へ、人格から人格へ。
受け継いでいくほか…無いようだ。
それが簡単にいくなら、みな苦労はいらないだろう。
なにせ…世の中には、駆け引き というモノが付いて回る。
その 駆け引き に勝ってきた者たちが、いまこうやって生きているのだ。
宇宙の原理として、すべてが駆け引きで成り立っている。
    
〈 芽 〉が育つ、ということは〈 価値 〉であり、やがて〈 人格 〉となる。
〈 芽 〉を摘まれると、〈 価値 〉から外され、〈 人格 〉は未発達で消滅す。
     
〈 芽 〉〈 価値 〉〈 人格 〉この順序が、バランスが、有るか否か?
誰が、これを持ちうるのか?
目に見えるレベルの植物や動物は、ひと夏に何度もトライし、バランスの良い状態の子孫を残すだろう。
だが…人間となると、一生の中で数度のみ。
何度もトライして、バランスのよい人生を得ることは…とても難しい。
この件のデリケートな部分は、ここまでにしておきます。
    
ここからが…本題となります。
     
      
〈 芽 〉は、放っておいても育つ。
〈 価値 〉は、お金で買うことが出来る。(やがて依存症に)
〈 人格 〉は?
    
未発達の〈 人格 〉
この人たちが多いことが今の社会の現実。
やれ人格障害だ
やれサイコパスだ
やれ発達障害だ
と、問題定義したがってはいるが…違う。
本当は〈 人格 〉が…無いのだ。
みな〈 人格 〉が未発達で、見よう見マネで生きながらえているよう。
インスタントの〈 価値 〉は、お金で買えるが…
〈 人格 〉は…手に入れる事が出来ない。
    
だから…
〈 人格 〉を奪い合うことが起こってくるのだ
     
〈 人格 〉の奪い合い
例えば、近年のネット上のカキコミなどを見ると…
ネタになっているコトに、大勢が一気に群がって喰い尽くすように見える。
これについても、深入りせずここまでにしておきます。
    
僕が一番触れておきたい事例は次です。
家庭内の、親子の〈 人格 〉の問題です。
〈 人格 〉が未発達の家系の問題です。
率直に話しを進めていきます…
    
〈 人格 〉未発達の親が、発育途上の子供の〈 価値 〉を奪い喰う。
     
お分かりでしょうか?
親が無意識にも〈 人格 〉が無く、子供の持つ〈オリジナルの価値〉〈自己ステイタス〉を奪うのです。
これが、虐待の真髄です。
未発達の〈 人格 〉のままの親は、子供の〈 人格の種 〉…即ち〈 価値 〉を崩壊させてしまう。
そしてまた…その子も〈 価値 〉が消滅し、〈 人格 〉も未成熟となってゆく。
そしてまた…〈 価値 〉の奪い合いや、購入の依存症となり…
手に入らない〈 人格 〉の喰い合いになってゆくのです。
    
〈 人格 〉が無いとどうなるのか?
イライラする
情緒不安定になる
何もする気が起こらない
思いつきで行動する
喰い散らかす
急に優しくなる
急に暴れだす
躁になる
鬱になる
エトセトラ…
    
つまり、中心が無いんです。
前記事「閉ざされた人格 ①」の中で述べたように、
太鼓の部分だけが無い デンデン太鼓 みたいなものだ。
これが原因で、人生の中であらゆる病や不運を生んでいる。
    
自分の〈 オリジナルの 芽・価値・人格 〉がどれほど大事なものか。
そして、それが無いと分かった時、どれほど人間は恐ろしくなるか。
喰い合う戦争もそうだし…
親子や兄弟の中でも…生き残る為なら何だってヤル。
それが 有機物 のさだめなんだよ。
相当にシッカリと、これを見つめ直す強い精神を学んでほしいと思う。
家庭内のイジメ、学校のイジメ、先生のイジメ、仕事場でのイジメ迫害など…
すべては…奪い合い、喰い合いに過ぎない。
買える価値は、働いて買えるし、買い与える。
だがどうしても買えないモノがある…
その時は、奪い…潰すのだ。
他人同士や社会の中では、ある程度のルールが適用されるが…
親子となると…出口は無い。
閉ざされた人格
奪い合う人格
となるわけだ。
    
人格が無いと
何も感じないのに
ただ…苦しいのだ。

〈 芽 〉〈 価値 〉〈 人格 〉
これに意識を傾けてみてほしい。
これが無い社会が、日々まだまだ当たり前のように存在しているが。
一刻でも早く、次の時代や社会に生きて間に合うようになってほしい。
時間がかかり、簡単に買えたり、そこいらへんに転がっているモノではないし。
そして誰かが簡単に恵んでくれるモノでもないんです。
     
人格が無いと楽だろうか?
でも…無性に苦しくなるだろう。
     
    
サイキックの眼  山本 コージ
     
        
ブログ・トップページ 
ブログ・項目一覧