『劣等感と優越感、そして自尊心。』
どこから話しましょうか・・。
そもそも解き明かして何になるんだろう。
なんて・・軽々しく、悟ったような言い回し。
なんで軽々しいのかと言いますと・・、重々しいからでございます。
「劣等感」と「優越感」と「自尊心」の相互的な関係性を本気で全部を書き、それを一気に読んでもらうとなると・・多分・・数年は起き上がれなくなるかと存じます。
実際全部を書き連ねると・・何億万ページ分になる。
いいや・・もっともっとでしょう。
今日は、その1ページ目から始めたいと思います。
「劣等感を満たす」
劣等感を満たしたい。
今すぐ満たしたい。
劣等感を克服して、人並みになりたい。
劣等感を満たし、劣等感からサヨナラし、優越感に浸りたい!!。
海外ではもう当たり前なのに、国内ではまだまだ足りていない。
他国に負けるな!!自尊心を持って挑み続けよう。
あぁ~あ・・・、隣の芝生はあおいなぁ~、イイなぁ~!羨。
或いは、健全で合法的?!な方法で、劣等感を満たせる嗜好として「ギャンブル」があります。
巨大なカジノなどは行ったことも見たこともありませんが(笑)、お金を沢山稼いでいる方たちが・・更なる優越感を満たせる社交の場なのでしょう。
日本では昔からパチンコとか?。
近年では、ネットによるソーシャルゲーム。
色んなレア・アイテムをゲーム内でゲットする。
大金をつぎ込んでゲームしても、レア・アイテムをゲット出来なければ・・劣等感でいっぱいになる。
その劣等感を克服すべく、優越感を手に入れるまで永遠につぎ込み続け・・。
そのゲーム会社の売り上げは莫大なモノとなっているそうな。
つまり「劣等感ビジネス」なのでしょう。
肥満⇔痩せる!などの過度な健康商品。
ネットワークビジネスの優越感商法?。
ヘンな宗教チックなモノ等の劣等感の押し付け業。
いかがわしい!?って結末を必ずむかえるモノです!笑。
でもまた必ず新たな類似したモノが現れ、「今度こそホンモノの健康食品!」なんて言ってます。
「〇〇宗教こそホンモノの神なのだ!」
とか。
『新たな「劣等感」と、新たな「優越感」。』
人間って、いつもこれを追い求めているようです。
そしてそこには「自尊心」のカケラも無いようにも思えますが・・。
つまり。
「自尊心」を知っている人は、「劣等感」も「優越感」も知っているのです。
劣等感も優越感もダメなんてヒトコトも言ってません。
言い方を変えましょう。
「劣等感」と「優越感」に振り回され・・人生が苦しいひとは、「自尊心」が苦しくなるのです。
「劣等感」に苛まれて・・。
「優越感」に満足出来ず。
これを繰り替えすことが人生で。
そして・・クタクタになって何も残らない。
何の達成感も残らない。
カラッポだ・・・・・。
明日もまた「劣等感」に苛まれ朝を迎え。
そして小さな「優越感」を満たしてくれる嗜好品を買って夜を迎え。
これを繰り返していく中で、死にたくなる気持ちになる人もいるでしょう。
もうどうしようもなくなったとき。
その時に「自尊心」の在る様を自分の奥深くで感じるのです。
もうどうしようもなくなったとき。
死にたくなるような苦しい気持ち・・恐ろしいような感情。
真っ暗で・・誰も理解してくれない孤独と怖さ。
それが「自尊心」の現れる瞬間なのです。
「劣等感」と「優越感」に押し潰されて在るのが「自尊心」です。
「劣等感」と「優越感」の奥深くに眠っているのが「自尊心」。
「劣等感」と「優越感」のひしめく中で生きているのが「自尊心」なのです。
逆に言いますと。
「自尊心」が在る以上、「劣等感」と「優越感」は存在し続けるのです。
例えば、「劣等感」+「優越感」=「戦争」 という計算がたちます。
「戦争」×「戦争」を止める為には、人を尊む「自尊心」を持って挑みます。
では「自尊心を持ちましょう」なんてスローガンを持って全国を講演して回っても・・なんの説得力もありません。
何故でしょう?。
「お互いに尊敬しあっていれば戦争は起こらない」 (・・・!?)
「偉そうに言いやがって!アホらしい!んなモン理想に過ぎないぞ!お前はオレをバカににているのか!」
とまぁこんなふうに言い合って喧嘩になって、また繰り返します。
さて!いきなりココでいつものアレをやります。
必殺技!!。
今回のテーマに対する文章の究極割愛!!。
別に手を抜いている訳ではありません。笑
視聴率の悪かったアニメの、ストーリー打ち切りの最終回でもありません。笑
ブログ上では時間が足りませんから。
読む方の閲覧疲労も考慮して。?笑
∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞
◎◎ワープ中!◎◎
何億万ページ分の
ワープを想像して
下さいませ。
◎◎◎◎◎◎◎◎
∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞
何億万ページ分のお話しの割愛完了!!。?
で、話しの続きは・・・。
「自尊心」に説得力が無い、という疑問。
例えば「自尊心」を偶像化したのが [仏像・仏様〕 です。
僕の住む地元の奈良には沢山あります。
奈良の人口よりホトケさんの方が多いのではないかと飲み屋で冗談を言ったら・・よくウケます。
宗教戦争ではよく相手の宗教偶像物を破壊したがります。
つまり敵の宗派の「自尊心」を壊したい潰してしまいたいのでしょう。
そんな歴史を繰り返しても・・なにも変わりません。
∞∞∞ ムムム。・・ワープが足りなかったかも。また話しが長くなりそう。
「劣等感」と「優越感」。これが甲乙間を生みます。
人間誰もが感じ、生活をします。
在って然りです。
そこの説明はゴッソリ割愛させて戴きました。
そして「自尊心」は、「劣等感」と「優越感」と共に存在しているものなのです。
その「自尊心」が難しく・・、戦争では破壊され。奈良には沢山の仏像が鎮座しており。
或いは「自尊心を大切に!」なんて教養めいたモノも溢れ盛んで。
でも・・どれもなんの説得力も無い。
んでまたバカにしあって、「劣等感」を植え付けられて・・「優越感」を高額で買わされて・・、んでダマされて。
「自尊心」とはね。
「自尊心」とは、他人と共有出来ないモノなんです。
そして逆に。
「劣等感」と「優越感」は、他人と共有しあう所から存在するものなのです。
「自尊心」は、自分にしか理解出来ないモノなのです。
なので。
『究極の孤独』を要します。
『究極の孤独』
これが「自尊心」の正体です。
この恐怖に耐えられなくなり・・死にたくなるのです。
「劣等感」と「優越感」に苛まれ・・社会でノイローゼになる人が多い。
死にたくなるくらい苦しい。
では「自尊心」を持って生きましょう。
そう言っても・・孤独が怖くなり・・苦しくなるのです。
(例えば、統合失調症になる人の精神分裂の別れ道はこの辺りからです。精神科のお医者の方々に知っておいて戴きたいと思います。)
「劣等感」に疲れ。
「優越感」にも絆され(ほだされ=縛られるという意味)。
そして。
「自尊心」という自分の中に在る自己、・・誰とも共有出来ない『究極の孤独』の恐怖にも耐えられない。
だから人間は、「自尊心」を宗教とし、「自尊心」を偶像化した仏像に理想を造るのです。
でもそのように「自尊心」を仏像に偶像化した時点で、それは「自尊心」ではなくなります。
仏像を他者どうしで共有しあうのですから、その仏像は「優越感」と変わるのです。
そうするとまた・・こっちの仏像が良いだの、あっちの宗教の神様が良いだのと、「優越感」と「劣等感」の押し売りの始まりです。
「自尊心」とは、誰とも共有出来ない、宇宙すべての中の唯一無二の自己の領域なのです。
「自尊心」を知っている人は、他者に「自尊心を大事にしてね」とは言いません。
「自尊心」は、押し売り出来るモンではないのです。 もし押しつけてくる人がいたら・・それは「優越感」です。
「劣等感と優越感は他者と共有するもの」
「自尊心は誰とも共有出来ないもの」
「自尊心は他者の自尊心を尊重するのです」
まだまだ書き足りないのですが、今回はここまでとさせて戴きます。
今回の内容は、何度も何度も、読み返して戴けれたらと思います。
サイキック 山本 浩二
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