レストラン キエフ
▤ 訪問日 2023年2月7日
京都・四条大橋のたもと
京阪 祇園四条駅 徒歩1分
創業1972年
老舗のキエフ・ロシア料理店
鴨東ビル6F
昭和レトロなビルの最上階
四条大橋・鴨川を眺める一等地のロケーション
Cランチを注文
・ ザクスカ(本日の前菜)
北国のささやかなご馳走といった感じで豊かな気持ちに
・ ボルシチ
・ 自家製ロシアパン
お肉がひと切れ入ったタップリのウクライナ発祥のスープ
固めの黒いパンと共に
・ ビーツ入りポテトサラダ
・ テフテリ(ロシア風ハンバーグ)
人参のソースが大盛りで。
テーブルにサーブされた時に思わず…
「うぁ!かっこええ!!」といってしまい…
するとウェイトレスの年配女性の方に
「おいしいわよぉん♡」といわれてしまった!w
・ チャイ(紅茶のバラの花びらのジャム添え)
ロシアといえば “ロシアンティー”
キエフ・ロシアを紹介するテーブルマット
食事を終えて
今回は何故こちらに足を運び訪れたかといいますと…
1990年8月29日
中国・北京(モンゴル・ウランバートル経由)発
ソ連・モスクワ行きの国際列車に乗った思い出を携えたものでした。
北京《ウランバートル経由》モスクワ
国際列車チケット
1991年のソ連邦崩壊前の1990年
今を振り返れば、激動の中のユーラシア大陸の長旅でした。
全行程は約3ヶ月
神戸《船》天津
天津《列車》北京
北京《国際列車》モスクワ
モスクワ《国際列車》イスタンブール
【トルコ国内旅行・約1ヶ月】
イスタンブール《航空機》新疆ウルムチ
【中国国内旅行・約1ヶ月】
上海《船》大阪
色あせた写真
北京発~モスクワ行き国際列車・車内
北京~モスクワの所要時間は5泊6日
太陽に向かって西へ西へと走るので時差がわからなくなります。
食堂車は
中国国内では中国の食堂車
モンゴル国内ではモンゴルの
そしてソ連ではソ連の食堂車が連結されるのです。
モノが全くない特に貧しい時代だったソ連最後の年となった1990年の乗車。
食堂車でも簡単な料理しか用意は出来なかったろうと今になって思います。
ソ連製の瓶入りジュースには…よどんだ不純物が浮いており、交換してもらう。
ロシア黒パンを注文すると、「立て!」といわれ?
自席の椅子を立ち…
ベンチシートの座面のフタを乗務員が開けると、
中には無造作に転がっている裸の黒パンが。
もちろんバッサバサのカタいパンです。
人生で初めて食す“ボルシチ”は、具もほとんど無い酸っぱいようなほぼ透明のスープ。
初めてのロシア料理がソ連の食堂車だったので、
材料を豊富に使った本物のロシア料理が食べてみたい!
そんな理由から、こちらのレストランを楽しみにしてきたのです。
シベリア鉄道の長い長い乗車中、
途中駅には必ず15分停車しますが、
その都度、現地人が大勢乗り込んできては、
乗客に「(身の回りの持ち物を)売ってくれ!!」とやって来る。
僕は中国製のコカコーラを差し上げた。
闇市で売るのだろう。
そして乗車6日目のモスクワ到着前
最後の食堂車メニューが“ハンバーグ”でした。
日本を発ってから、洋食に飢えていたので嬉しかった。
国際列車だったからまだ良かったのかもしれません。
途中の車窓では、木のバラックの家も多く、
丸1日中ひまわり畑だけが永遠に続く景色もありました。
・ 自家製ロシアパン
お肉がひと切れ入ったタップリのウクライナ発祥のスープ
固めの黒いパンと共に
・ ビーツ入りポテトサラダ
・ テフテリ(ロシア風ハンバーグ)
人参のソースが大盛りで。
テーブルにサーブされた時に思わず…
「うぁ!かっこええ!!」といってしまい…
するとウェイトレスの年配女性の方に
「おいしいわよぉん♡」といわれてしまった!w
・ チャイ(紅茶のバラの花びらのジャム添え)
ロシアといえば “ロシアンティー”
キエフ・ロシアを紹介するテーブルマット
食事を終えて
今回は何故こちらに足を運び訪れたかといいますと…
1990年8月29日
中国・北京(モンゴル・ウランバートル経由)発
ソ連・モスクワ行きの国際列車に乗った思い出を携えたものでした。
北京《ウランバートル経由》モスクワ
国際列車チケット
1991年のソ連邦崩壊前の1990年
今を振り返れば、激動の中のユーラシア大陸の長旅でした。
全行程は約3ヶ月
神戸《船》天津
天津《列車》北京
北京《国際列車》モスクワ
モスクワ《国際列車》イスタンブール
【トルコ国内旅行・約1ヶ月】
イスタンブール《航空機》新疆ウルムチ
【中国国内旅行・約1ヶ月】
上海《船》大阪
色あせた写真
北京発~モスクワ行き国際列車・車内
北京~モスクワの所要時間は5泊6日
太陽に向かって西へ西へと走るので時差がわからなくなります。
食堂車は
中国国内では中国の食堂車
モンゴル国内ではモンゴルの
そしてソ連ではソ連の食堂車が連結されるのです。
モノが全くない特に貧しい時代だったソ連最後の年となった1990年の乗車。
食堂車でも簡単な料理しか用意は出来なかったろうと今になって思います。
ソ連製の瓶入りジュースには…よどんだ不純物が浮いており、交換してもらう。
ロシア黒パンを注文すると、「立て!」といわれ?
自席の椅子を立ち…
ベンチシートの座面のフタを乗務員が開けると、
中には無造作に転がっている裸の黒パンが。
もちろんバッサバサのカタいパンです。
人生で初めて食す“ボルシチ”は、具もほとんど無い酸っぱいようなほぼ透明のスープ。
初めてのロシア料理がソ連の食堂車だったので、
材料を豊富に使った本物のロシア料理が食べてみたい!
そんな理由から、こちらのレストランを楽しみにしてきたのです。
シベリア鉄道の長い長い乗車中、
途中駅には必ず15分停車しますが、
その都度、現地人が大勢乗り込んできては、
乗客に「(身の回りの持ち物を)売ってくれ!!」とやって来る。
僕は中国製のコカコーラを差し上げた。
闇市で売るのだろう。
そして乗車6日目のモスクワ到着前
最後の食堂車メニューが“ハンバーグ”でした。
日本を発ってから、洋食に飢えていたので嬉しかった。
国際列車だったからまだ良かったのかもしれません。
途中の車窓では、木のバラックの家も多く、
丸1日中ひまわり畑だけが永遠に続く景色もありました。
短い夏の…貧しさからの景色だったのだと思います。
この旅でモスクワに着いたのは9月に入っていました。
蒸し暑い北京を発つも…終着駅に着いて日本の真冬並みに寒かったのを覚えています。
指定されたモスクワの国営ホテルのロビーソファには女性が大勢鎮座しています。
なんとかチェックインをすませて部屋に向かうも何故か既に先客が居たり。
改めて空室に案内され、寒い部屋でホッと一息するも、客室フロアのオバさんホテル係員が娼婦の紹介に何度も訪れる。
あぁ先ほどのロビーの女性群は…
そんなソビエト連邦~最後の年の旅の思い出。
今回、「レストラン キエフ」での立派な料理を食事して、
当時の料理が如何なるモノだったのか?
その違いがよく分かりました。
レストランで、席に案内してくださった御亭主でしょうか?
このソ連時代の旅行の話しを聞いてくださった。
「貴重な経験でしたね、もうそのような旅は出来ないですね。」
そう仰っておいででした。
店内全体を写したフォトの中に御亭主の後ろ姿。
後から知ったのですが…
加藤登紀子さんの御兄様でした。
「レストラン キエフ」は、お二方のお父様がつくられたお店です。
この旅でモスクワに着いたのは9月に入っていました。
蒸し暑い北京を発つも…終着駅に着いて日本の真冬並みに寒かったのを覚えています。
指定されたモスクワの国営ホテルのロビーソファには女性が大勢鎮座しています。
なんとかチェックインをすませて部屋に向かうも何故か既に先客が居たり。
改めて空室に案内され、寒い部屋でホッと一息するも、客室フロアのオバさんホテル係員が娼婦の紹介に何度も訪れる。
あぁ先ほどのロビーの女性群は…
そんなソビエト連邦~最後の年の旅の思い出。
今回、「レストラン キエフ」での立派な料理を食事して、
当時の料理が如何なるモノだったのか?
その違いがよく分かりました。
レストランで、席に案内してくださった御亭主でしょうか?
このソ連時代の旅行の話しを聞いてくださった。
「貴重な経験でしたね、もうそのような旅は出来ないですね。」
そう仰っておいででした。
店内全体を写したフォトの中に御亭主の後ろ姿。
後から知ったのですが…
加藤登紀子さんの御兄様でした。
「レストラン キエフ」は、お二方のお父様がつくられたお店です。
何も知らず伺いました。m(_ _)m
ユーラシア大陸鉄道旅の話しは、
ソ連邦・モスクワを発ち
ルーマニア・ブカレストを経て
ブルガリア・ソフィアを経由し
トルコ・イスタンブールへと続く…
この話しはまた別の機会に。
素朴で心豊かな料理。
夏の短い極寒の地では、貴重な生産物。
それを南側の隣国から“奪う”選択肢を戦争という。
いつの不幸な時代にも…国を再生する時が来れば、人はまず郷土料理を求めます。
ウクライナの郷土料理
ロシアの郷土料理
「レストラン キエフ」では、
奪い取り、
奪われぬようにすることなど、
勿論ありません。
強く生きることは、
難しく、
そして尊く、
とても豊かなことです。
▌ 第62回 加藤登紀子 ソング&トーク
追記 2024年4月7日
2024年4月6日 12時30分~
「レストラン キエフ」にて
「レストラン キエフ」は、
加藤登紀子さんのお父様が創られたレストラン。
そのお父様が娘の登紀子さんへ
“シャンソン・コンクール”に参加するよう薦めたそうです。
レストラン
本日貸切の貼紙ポスター
80歳
命の時間
過去の長さと
未来の短さ…
ライブではずっと…
指で涙を拭いながら歌っておられました。
恋の気持ち溢れ
愛を大切にされているんだなと
深く感じました。
コース料理
お父様・お兄様・加藤登紀子さん
ご家族の共演です。
ロシア前菜 ザクス力
ウクライナ風スープ ボルシチ
アントレ フィレステーキ
デザート 青い鳥添え
ロシア風チャイ
(紅茶のバラの花びらのジャム添え)
サイキックの眼 ヤマモト・コージ
ユーラシア大陸鉄道旅の話しは、
ソ連邦・モスクワを発ち
ルーマニア・ブカレストを経て
ブルガリア・ソフィアを経由し
トルコ・イスタンブールへと続く…
この話しはまた別の機会に。
素朴で心豊かな料理。
夏の短い極寒の地では、貴重な生産物。
それを南側の隣国から“奪う”選択肢を戦争という。
いつの不幸な時代にも…国を再生する時が来れば、人はまず郷土料理を求めます。
ウクライナの郷土料理
ロシアの郷土料理
「レストラン キエフ」では、
奪い取り、
奪われぬようにすることなど、
勿論ありません。
強く生きることは、
難しく、
そして尊く、
とても豊かなことです。
▌ 第62回 加藤登紀子 ソング&トーク
追記 2024年4月7日
2024年4月6日 12時30分~
「レストラン キエフ」にて
「レストラン キエフ」は、
加藤登紀子さんのお父様が創られたレストラン。
そのお父様が娘の登紀子さんへ
“シャンソン・コンクール”に参加するよう薦めたそうです。
レストラン
本日貸切の貼紙ポスター
80歳
命の時間
過去の長さと
未来の短さ…
ライブではずっと…
指で涙を拭いながら歌っておられました。
恋の気持ち溢れ
愛を大切にされているんだなと
深く感じました。
コース料理
お父様・お兄様・加藤登紀子さん
ご家族の共演です。
ロシア前菜 ザクス力
ウクライナ風スープ ボルシチ
アントレ フィレステーキ
デザート 青い鳥添え
ロシア風チャイ
(紅茶のバラの花びらのジャム添え)
サイキックの眼 ヤマモト・コージ