LOVE AND GLORY

-サイキックの眼-

駆け引き以下のタクティクス

2022-03-01 18:49:05 | サイキックの眼
  
   
駆け引き以下のタクティクス
  
 
タクティクスとは、戦術という意味です。
知らない横文字を使いたがるエリートぶって?のものではありません。笑
タイトルに“戦術”と書けばいいことなのですが、あえて皮肉って横文字にしてみました。
 
駆け引きとは、この世の本質の、その動きを示し表している。
生命と生命がそれぞれが生きる上で不可欠なものだ。
自由な平和が良いというが、駆け引きが公平に行われ、そして公平に管理しあうことが良いと、人間の社会ではそれがルールとされている。
 
公正な取引きを、ビジネス。
或いはビジネスライク(事務的)。
公平な駆け引きは、スポーツなど。
或いは恋愛も。
 
簡単にいってしまえば…これが人生の全て?
そうもいいきれないと、言いたくもなるところではあるが…
世の中そう簡単に行かないことが多く、悩むことが多いのも、良くも悪くもこれが全てなのだと言わざるを得ない。
 
人の幸(こう)と不幸は、公平な駆け引きの上の、公正な取引きが成り立っているかどうか?ということに過ぎず、それ以上でもなく、そしてそれ以下であってもならないのです。
 
駆け引きと、そして取引きの公平・公正さ。
それを持たないものは、それを手に入れるための人生。
それを持ったものは、それを守り抜く人生。
そして…このどちらでもない人生も、また存在する。
公平・公正を持たぬものは、奪うしかなくなる。
本来は、誰でも、この世の我々という有機物?は、公平で公正な感覚で持って生きている。
動物も植物も、生きる為に公平で公正な駆け引きでもって営みを続けている、それは生きる為の手段の恐ろしさをも含めてのことだ。限られた肉体と時間の中で、どのように生き抜けるか?
それは、この世の原則と原理…
永遠に「恋と選択肢」を繰り返している。
これは元来にして、誰にも止められない。
女は恋、男は選択肢。※別記事参照 )
  
“駆け引きと取引き” という、この世の有機物たちの宿命。
それを持つもの、待たざるもの…
動植物と違い、人間はその“駆け引きと取引き” を支配することで、他者の生命をコントロールしようとする方法・手段をとる。
例えば、不安定な発展途上国ですと、互いに奪いあうことがある。
ある種これは公平ではあります。
そして先進国ではどうかというと、コントロールし合っている。
こちらのほうが、公正・公平ではない?でしょう。
奪いうのは野蛮人?
コントロールに従うことが君子(品格者)?
どちらが正しくて、どちらが間違っているのでしょうか?笑
この答えのひとつとしては、スポーツに熱狂したり、恋愛ドラマに心寄せ合ったりすることは、野蛮人も君子にも平等といえるコトでしょう。
 
それが…そうもいかない問題があるのです。
「駆け引き以下の戦術(タクティクス)」
スポーツだと、ルールに従わない…適さないことは違反となります。
恋愛ですと、これにもマナーを重んじる心得を大事にし合い、そう願いあう思いを持ちます。
 
幼少の成長期ですと、〔反抗期〕という名の “駆け引き・取引き”を親から学習し経験しようとする。その戦術や作戦をあれやこれやと子供は考えたいのでしょう、それが生きるための不可欠なものだと、自然にそう感じるのでしょう。
それが…
それがです…
これが塞がれている?
経験不足?
いやいや…反抗期なんて無かった…
このような方々は、多いのではないでしょうか?
反抗する子は、悪い子でしたものね。
社会(学校)の前では、コントロールに従うことが、成績優秀の証しでした。
これが役に立ったという事例は、いまだかつて見聞きしたことは一度もありません。笑
そして次に触れたいこと…
それは、各々の家庭内環境。
ある意味…この人間社会の範囲の「一番深い闇」と言っていいかも知れません。
その定義は、各々が育った環境や家庭内の出来事に…門外不出の暗黙のルールというものが存在するからです。これほどの唯一無二の闇は存在しません。
それを闇などといいましたが、それそのものが当たり前の常識化していることが怖いのであって、その不条理・道理・筋道の無さ…ここから出るに出れない、これが一般家庭?となっていること。
ある意味、家族や家庭というものは、“駆け引きと取引き” がいちばん無法地帯なのだと思います。なので、駆け引きも取引きも…めちゃくちゃであり、都合の合わないことの吹き溜まりと化しているのです。そうなると、家庭という無法地帯で生きる為に得体の知れぬ戦術を計画し実行・実装するようになる。
 
本来は、“駆け引きや取引き” の方法を親から子へ教え伝えなければなりません。
それが、家族という密室関係の中で、親が、子の、“駆け引き・取引き”を封鎖させる為に、暴力やお金・物品などを用いて、子供をコントロールする。 
ここではまだ言えませんが…親が我が子を不能にさせる悪しき行為・戦術?を実行し続けている、このような事例を現在も相談の依頼を受けています。
このような事例に共通する方々は、「家庭内事情・密室・闇」状態であること。
変な表現ですが、家族全員が闇業者で…無意識に暗黙の闇ルールがあったりします。
駆け引き以下” “取引き以下”の運命共同体を強制的に形成する。 
なのでそこから出られないのです。
それどころか「かわいそうに…」という歪んだ〘情〙が湧いてくるから手に負えません。
そしてそれが苦しく不幸だと分かったとしても…どこにも訴えることのできる場所もありません。
このような闇家族は、間違いなく多いはずです。
 
なにが正しくて、なにが道理に反しているのか?
その道理は、修正できるものなのか?
密閉状態の家庭環境…
そして、家族内での生き残りサバイバル…
悪しき戦術を加えてくる為に、逃げられない。
 
さて…どうしたものか?
正当な“駆け引き”が出来る、落ち着いた強さ。
道理の通った “取引き”が叶う、冷静な賢さ 。
これが本当に求める必要な人生ではないか?
それにはどうしたら良いのか?
おちついて、しっかりと考えてみること。
真剣に取り組んでほしい。
そう願ってやみません。
自分に似合った正当な戦術を持って良いのではありませんか?
そして、その経験を子供や若い子に伝えていけるように。
 
もう一度くり返しになりますが…
それが得られない人々は…
他者から“駆け引きと取引き”という選択肢を奪い、生きる能力を不能にさせます。
それは、家庭内でも行われており、弱者である子供に向けられているようです。
家族内の出来事は…闇が深く…誰も立ち入ることが出来ません。
そして苦しくとも、脱出も不可能なのです。
 
正当な“自分を生きる為の戦術”を
考えて、身に着け持てるよう、願っております。
 
 
サイキックの眼 山本 コージ