LOVE AND GLORY

-サイキックの眼-

痛みの記憶 ~イタいのイタいの飛んでかない!~

2013-05-24 08:59:12 | サイキックの眼

       
       
痛みの記憶 ~イタいのイタいの飛んでかない!~
       
    
街中や、人の行き交う中。大声で泣いている子供を見かける。
僕は・・「もっと泣けぃ!!」、な~んて思って見てしまうのです。
別に意地悪で言っているのではありません。笑
泣けるということは、その声を聞いてくれる人が居るから泣けるのです。聞いてくれる人が居なければ、泣くことはしないものなのです。
子供は聞き入れてくれるまで大泣きして、親に訴え続ける。
「もっともっと訴えてやれ~~!」
な~んて思って電車の中で泣く赤ちゃんや子供を心の中で応援してしまいます。
    
『泣ける』ということは・・泣いてもいい相手が居て初めて泣けるもの。
   
みなさん、泣けなくて・・痛みをグッと堪えたコトって、沢山ありますよね。
ころんでケガをしてビックリした幼少の頃。
学校で毎日いろんなことがあった。
誰にも言えないと思って、胸の奥に押し閉めてしまった出来事。
自分さえ我慢すれば、家族に負担をかけないですむ。
    
街を見まわしても、誰も泣いちゃいない。
痛みどめを服用して、今日も頑張って。
消毒して、絆創膏も貼って。   
      
『痛いの痛いの飛んで行け』
    
泣いちゃダメ
もう痛いのどこかに飛んでっちゃったね!。
    
          
ここで、とあるカウンセリング中のケースをひとつ。
      
――――――――――――――――――――    
数年前、2歳の女の子をお連れのお母さんのカウンセリング中の出来事。
1メートルくらいの高さの台の上を、その2歳の女の子がヨチヨチ行ったり来たりして笑って歩いて楽しんでいました。
僕はカウンセリング中で、お母さんも熱心に受けておられる最中。
そして女の子は1メートルの台から堅い床に勢いよく落ちたのです。
僕の手の届くほどの近さで、気を付けていたにもかかわらず・・間に合いませんでした。
      
もう大泣きです。
      
僕がスグに抱きあげて・・、さあどうする?。
泣きじゃくるその子を抱きながら、冷静にガン見しました。
そう、痛かったのだ  。
痛かったうえに、天地がひっくり返るようなコワさがあったろう。
そして僕は大泣きするその子にこう言いました。
    
「痛い!痛いッ!!」
「そりゃ痛いし恐かったろうよ!!」
「痛いモンはイタい!うわ~痛い」
実際に何度もそう言って向き合いました。
もちろん心の中では、大丈夫・大丈夫って思いつつなだめました。
   
すると。
一気に泣き止みました。
元気いっぱい!パワー全開の前向きな2歳児に復活したのです。
そしてまた台に登って歩いて遊びだしたのです。
もう笑顔です。
――――――――――――――――――――   
    
このことの説明をします。
    
女の子は落ちた。
落ちたから痛い。痛かったし恐かった。
   
「僕はその子の気持ちをしっかりと認めることをした。」
   
答えはこれだけなのです。
   
女の子の気持ちに同調したのではありません。
痛みを増長させて、あおっているのでもありませんよ。笑
遊び中の出来事と痛みと恐かったこととを一緒に認めただけなんです。
痛いモノは痛いのです。
恐いモノは恐いのです。
だから泣くのです。泣きたいのです。
だからそうすれば良いんです。
うったえれば良いんです。
そう言って抱いてなだめてあげてみた。
    
すべてが一致しているでしょう?。
遊び・痛み・怖さ・不安
これが一致して良いと解れば、もう元気になるのです。
これが健康な精神と肉体の第一歩の原形ではないでしょうか。
   
出来事と気持ちが一致して良いとわかれば、もうわだかまりも不完全燃焼もありません。
    
なので。
「チチンプイプイ~痛いの痛いの飛んで行け」
そう言われると、痛みを我慢するか・・痛みが消えたように思い込もうとするにとどまることになってしまいます。
これが小さなトラウマの原形でしょうか?。
辛い痛みを常に言えなくなってしまう原形です。
      
カウンセリングではトラウマの解消をおこなうことが常にあるのですが、トラウマ解消にこぎ着けたあと必ずと言っていいほど依頼者の方の身体に過去の痛みが実際に甦ってくるのです。
トラウマとなった時の痛みの記憶が身体と脳に残っているのです。
出来事=(痛み・恐怖・不安・感情)
これが一致しないままなのがトラウマです。
    
「痛みの記憶」
痛かった出来事なのに、痛いと言ってはならなかった。
痛かった出来事があったけど、理解しあえる人がいなかった。
    
「痛いの痛いの飛んで行け」
確かに・・ケガを治療して、そのあとに大丈夫だからね!って意味でオマジナイをかける愛情もあります。嬉
でもね、まずはココに痛みがあるんだ!っていうことを認め合う時間があってこそなのだと思います。
   
「痛いの痛いの飛んでかない!」
痛みはココにあるんだぃ!。
痛かった出来事に対する痛み、恐怖と不安・・そして感情。
受け止めて認めてほしい。
受け止めるにも限度のある出来事も実際あります。
では・・冷静に『認めるだけ』でいいと思います。
痛みでさえも、ただ認めてもらえるだけで安心に繋がります。
   
もう一度、先ほどの2歳の女の子の痛みについて。
    
自分が危ない高い台の上で遊んでいた。
ころんで落ちて泣いてうったえる。
「そりゃ落ちるし痛くてコワいにきまってるよ」
そう言って認めて見つめて抱いていると、笑ってまた遊びだした。
   
「痛くない痛くない!大丈夫!泣くな泣くな!」
こう言って子供をあやす方、多くありませんか?。
ぜんぶ逆です。
こう言われると、「痛い痛い!大丈夫じゃない!泣きたいよぉ!」っていう気持ちを言えなくなり我慢がつのり、よけいに恐くなって苦しくなります。そしていつまでも泣きたい感情は消化せず、その記憶から痛みも残り続けるのです。
それが長い人生の中で積み重なり続けると・・心身ともに破綻に至ることになります。
    
痛みの我慢、していませんか?。
「イタいのイタいのあっちのヤマさ飛んで行け~~~ッ!」
オマジナイが効きましたか?。
でも!痛いもんは痛いべさ!。
では「イタいのイタいのどこにも飛んでかな~~~いッ!笑」
これでどうだっ!。
よけい痛くなったし苦しいしコワいわぃ!。
      
でも、それで良いんです。
      
         
サイキック 山本 浩二
      
       
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