閉ざされた人格 ①
人格とは、何か…。
ふり返って考えてみてほしい。
人格の為に生きてきた人っているだろうか?
人格を持って朝をむかえ…
人格を持って一日を過ごし、
そして夜、
人格を持って床につく。
あたり前のことのはずだろうに、深いね。
まず、我々日本人としては、そもそも庶民?は人格を語るなんて無かったろう。
学校などで、人格を学ぶって無いだろう。
教科書の中の偉人の功績や、その人の人生や人柄など覚えて、テストで書き込む事はさせられても、それらを学ぶ側の生徒らには…人格なんて触れることもない。
社会の中でもそうだ。良き地位に就くためのビジネスや勉学など、方向性を見出すことに躍起になっていても、人格までには至らない。
ならば、人格とはどこにあるものなのだろうか?
人格のある家庭だったか?
人格のある家族だったか?
人格のある町で育ったか?
人格のある社会だったか?
人格を大切にしよう…
こんな日常があっただろうか?
勉強さえすればいい
みんなと同じように出来るのが良い子
おとなしく先生のいう事を聞けば良い
男の子らしく、女の子らしくすれば良い。
…つまりは、
人格を持っては社会では生きていけなかった。
これがあったコトを忘れてはいけない。
何故?人格を持ってはいけなかったのだろうか?
人格について近所で立ち話しすることなんてないわ。
「あらまぁ~どうも御無沙汰してぇ~まぁお元気そうで、どうもぉ。」
仕事帰りに居酒屋で一杯やりながら人格について語り合うことってないわな。
「仕事うまくいってる? まぁぼちぼちですわ! まずは乾杯いこか。」
だが人の悩みって、仕事がうまくいくことや人付き合いがうまくいくこと。
ならば、人格がうまくいかない?人格がうまくいく!なんて表現は無い。
『 人格 』とは
・独立した個人としての人間性、人の性格・品格。
・法律上の行為が帰属する主体。
・心理学で、個人が自身を他者と区別する精神的働きや行動傾向の特性。
・パーソナリティ。
辞書によるとこのように書かれている。
この意味をよく読んでみるとわかると思う…
人の「 悩み 」ってのは、これが有るか?無いか?
つまり、これが欲しいということなのです。
これがあれば…これさえあれば、人生を活きてゆける!!
これ…つまり『 人格 』が欲しい。
そして、欲しいというからには…それが 無い という証拠でもあるのです。
『 人格 』には、地位という意味も含まれるそうだ。
だから、人並みかそれ以上に、学校で用意された勉強さえすれば社会的地位をえられ、のちには人格者の仲間入りが果たせる、と人生を描くのだろう。
でも、この場合の地位を得た人に尊敬出来るような人はいない。
なぜなら、過去の天才達の人格を評論し語れても、自分の人格は…無いのだ。
つまり『 人格 』とは勉強だけをして備わるものではない。
良い家を建てて、人格が得られたか?
良い車を買って、人格が得られたか?
ブランドモノを着飾って、人格が得られたか?
美味しいものを食べて、人格が得られたか?
高学歴を得て、人格が得られたか?
お金だけで、人格は得られたか?
これらも過ぎ果てて、更に人の心は混沌とするばかりである。
勿論、そうでない人もいる。
まだ極わずかな人々だろう。
その人ってのは、これらの逆の人たちのことだ。
逆とは…
人格があって、お金を得る。
人格があって、美味しいものを食す。
人格があって、高学歴を得る。など…
いま現在、社会で何が起こっているのか?
そしてこれからの世の中で、何が起こってくるのか?
それは…
人格の奪い合い
人格はスグに得られるものではないのです。
だから殆どの人が持っていないのです。
もの凄く、途方もない時間と労力と精神力を必要とするのです。
宗教などは、その人格の手引書・マニュアルの様なもので、信者になればもれなく人格のレプリカを簡単に貰えて、神様?が人格のオリジナルであると教えられて。 そして宗教戦争などは、人格レプリカの信者と信者どうしがヤッカミ合いをしていたりする。
僕はこう思った…
人格がある人は、デンデン太鼓。
そして、
人格が無い人は、太鼓の部分が無いデンデン太鼓。
デンデン太鼓が人間だとしたら、太鼓の部分が人格である。
人格の無い人は、太鼓の部分が空洞になった様子。
この太鼓の部分を造り上げるのが大事なのであって、一番時間がかかる。
それが大変なのです。
太鼓の部分が無いデンデン太鼓をクルクル振って回す想像をしてみてください。
世の中みんな他人のデンデン太鼓の音の評価や批評をしまくっている。
最高のデンデン太鼓に成りたい…
この記事のタイトルには「閉ざされた人格」と記しました。
「人格が無い」とは書きませんでした。
決して無い訳ではない…
閉ざされた経験があるのです。
閉ざさざるをえない経験があるのです。
または、人格を捨て…閉ざした方がうまく生きていけた時代が長かったのです。
人格を持って勉強を続ける
人格を持って仕事を積み重ね続ける
今までの社会の常識では…
勉強さえしてたらええんや!
仕事さえしてたらええんじゃ!
人格なんて考えもしてこなかったろうね。
人格のある人だって、それを隠していなければいけなかった。
子供の反抗期だって、親の人格を試し学ぶ為のものなのに、それが出来なかった人がどれほど多かっただろう。
人格の「格」という字には、おもむき という意味があるそう。
ひとのおもむき…人の趣き。
みんなさ、これが欲しいんじゃないかな?
みんな、人の趣きに触れたい…触れ合いたいんじゃないかな?
「人の趣き」これがあって、勉強したり悩んだり仕事したり…
そして死んだり…したいわけ。
だとするならば…
人格 → 人の趣き → デンデン太鼓 →太鼓の音色と趣き
これからみんな、これが必要になるのではないか?
そんなことは解ってる?!
いえいえなかなか…
なぜならば、今までも…既に世界中でも「人格=人の趣き」の奪い合いをしているから。
これが永遠の問題だろう。
宇宙だって、微生物だって、生物の原理として、未来の成長の種となる細胞の奪い合いをしている。種族が生き延びる為だったら何だってヤルのが私たち有機物のさだめですから。
世の中でいう負け組は、色んな理由から人格を持てなかった。
かと言って、奪い合いから得た人は、また奪い合いの渦の中でもがく。
大事に育ててきた人でも、他者からメチャクチャにされる人もいる。
それから特には、親から人格を台無しにされてきた人が多い。
これは重大で、次の回に書こうと思っております。
ネット上の色んな書き込みやニュースなど見ていると、成長過程の少ない少量の人格の奪い合いをしているように見える。
誰が生き残るか?
誰が誰に吸収されてしまうのか?
誰が空中分解してしまうのか?
誰が人格のコスプレがうまいのか?
誰が人格のレプリカを装っているのか?
誰が?誰の?人格のレプリカを侮辱したのか?とか。
でも、これも時代の流れ…
みんな、本物の自分のオリジナルのデンデン太鼓に成りたい!!と、ウズウズ右往左往し始めているからだ。
だが…すぐに手に入る人格なんて無い。
趣き (おもむき) なんて、すぐにやしなえて体得出来やしない。
嘘は禁物だ、正直な苦しみと向き合い続けること。
先祖代々からこれをしてきた家系なら良いが…
そうでない現実だっとしても、イチからやるっきゃな~い。
そしてまずそれに気付くことから始めなきゃならんわね。
それが結構…勇気のいることだったりする。
サイキックの眼 山本 コージ
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