山奥で家族と動物の楽園創ってます

東京育ちの家族が山奥に移住し自分達で家を建て犬、猫、馬、ヤギ、羊、ミニ豚、兎、鶏亀と一緒に自分達の楽園を創っていく奮闘記

岩手の古き良き日本の人

2006年08月03日 | 日記
先生と会って元気を貰ったやまざるです、こんにちは。

なにか先生に差し上げたいと思い7月24日のブログにも書いた和風の棚を貰ってもらいました。
とても喜んでくれ、記念撮影ということにあいなりました。
おらの作った棚でそんなに喜んでいただき恐縮です。


ここ大信村(現白河市)は中山義秀という有名な作家の故郷でもあるんです。
おらはここに移住するまで知りませんでしたが先生は現国の先生だったのでその文学館を見たいということでお連れしました。
元の村役場の隣にあり図書館に併設されたなかなかりっぱなもんです。

「シンバ君一緒に撮ろう」と言われて並んでパチリ。


その後日本の三関で有名な白河の関へ行きました。
これは「従二位の杉」といって樹齢八百年の杉です。
うちは毎年初詣に神社に行かずこの杉にお参りをするんです。
この木を一目見れば誰でも感動する程のすごい木です。
なんというかその圧倒的な存在感と威圧感を持ちつつ我々を大きな力で包み込んで守ってくれる包容力を併せ持ち、かつ神々しい迫力を持った木というような感じです。わかるかなー。
上の写真の木の下におらと先生がいるんだけれどわかるかなー。


この写真ではイマイチ迫力が伝わらないのが残念。
先生と初めてのツーショット。
このあたりのあちこちに歌碑が建っているんですがひとつひとつ丹念に見て説明してくれた先生の話し方が昔と変わらずまるで自分が高校生に戻って現国の授業を受けているようでした。懐かしかった。

真面目で素朴で素直で飾らない先生、都会で何十年も暮らしているのにいまだに宮沢賢治の童話に出てくる先生のような人柄の先生です。
因みに先生の産まれ故郷は賢治と同じ岩手県です。
自分が高校生のときはそのよさがまったく分かりませんでした。
生徒としてみればちょっと堅いとか古いという感じでした、でも今いろんな忌まわしい事件が多発しているのは高度成長期のなかで先生のような考え方を排除してきた弊害だと思います。
みんな自分さえよければ・・とか、子供に対してしなくていい苦労はさせたくない、とか。
かわいい子供に苦労はさせたくない気持ちは当然です、わかります、でもそれでいいのでしょうか?
若いときの苦労は買ってでもしろという言葉は死語になりつつありますが楽する事ばかり考えることによって最低限の我慢が出来ない子供が増え、打たれ弱い子が増え、利己的な子供が増え、さらに大人も自分がそういう風に育てたことを棚にあげ、それを社会のせいにしているような気がします。
おらもその頃の子供だったのですが遅ればせながらその事に気がつき何事も少なくとも社会のせいにはしないようにしています。
そして自分の子供も素朴で素直で真面目な子になってくれればと思います。
先生お疲れ様でした、また来てください。    
そんなえらそうなことを言っていてもちょっと楽する事を考えているやまざるでした。

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