想風亭日記new

森暮らし25年、木々の精霊と野鳥の声に命をつないでもらう日々。黒ラブは永遠のわがアイドル。

おなじ月を観ている

2024-09-20 00:37:54 | Weblog
山の家から東京へ戻る道、電話が鳴った。
LINEの着信音は姉だ、ちょうど思って
いたところだった。
姉のスマホから母の声がした。

お月さんを観たね?
いま歩きながら観てるよ。
まんまるだよ、そっちも見えるね、
ああ、いまちょうどね。

お昼に白玉を作ったよ、あんこをのせて
食べたよ、お月見団子じゃなくて
おなか空いておやつに作ったの
そしたら満月だったんだね、

あんたはいつもそんなこと言うて
おかしな子じゃ
お団子はお月見、お礼にお供えするの
ああ、そうそう、そうだね

秋だもんね、一番の満月。
夜の神様に照らされて実るもんね
おかさんも昔、父さんとおっかさんと皆で
お月見したさ、いつも

さっきお母さんの声が聞きたいなあと
思いながら歩いてたよ

お父さんが月の光がきれいだと言ってた話
したっけ。とてもきれいだと言ってた
そうかい、そうならよかった
いいところに行ったね、お父さんは
それはよかった



家に着くまでの道を、ほわほわと歩いた。
父と死別して独り身になって数十年、
母は父を恋しがりながら百歳になった。

月の光に気づくと昔から父を思った。
いつか母のことも思うだろう。
母さんのことは昼も夜も思いそうだ。

離れていてもいっしょに観ている今
ひとときが永遠





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沼 溺れずに這いあがる2 

2024-08-22 21:36:46 | Weblog

When the Wind Blows (1986) 風が吹くとき
日本語吹き替え版は大島渚監督、
声は森重と加藤治子。

サウンドトラックを繰り返し聴いた。
エンドのFolded Flags はロジャー・ウォーターズ。
歌声を聴きながら目を閉じる

その風に怯えた日々の
もろもろの記憶が落ち葉の下に
折り重なっていく
腐葉土が春の芽吹きを助け
鳥のさえずりが戻り
生い茂る草の熱れ

 



恐れを知らず貪る者が
悲しむものを嗤っている
勇気でも賢さでもなく
恐れないのは想像すらしないから

悲しみ続け 恐れ続け 祈り続ける
這いあがり 起きあがり
憂いに沈まず

底を蹴って 起き上がる





















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沼 悲しみに沈み沼にはまる 1

2024-07-30 01:02:39 | Weblog
ハンナ・アーレントがあの絶対的暗黒時代にあってなお、
世界の希望と信頼を思い描いたという(「活動的生」)。
今夜も沼から這い上がるすべを思いつかないまま沼底から
ふつふつと渦巻く悲しみに抗えずにいる。

木々を皆伐り払い赤茶の土を高く積み上げた東京ドーム
150個分の土地にソーラーパネルを敷き詰めグリーン
エネルギーと呼ぶのは何の冗談か。東京ドームは4.7㌶だ。
「上海電力日本」が孫請け会社を使って取得した一帯は
620㌶、改変面積は240㌶、幅2㎞、長さ3㎞に及び
巨大な黒いパネルの海が出現し、周辺から緑の木々が消え牧草地が消えた。

化石燃料でなくクリーンなエネルギーだといえば
反対する人は少ないだろうが、それが豊かな自然を
破壊して生み出されていること、それが期限付き
方法であることまで知る人は少ない。
使用済みパネルの残骸と日光を遮断し荒廃した土は
容易には生き返らない。農地には戻せない。

そもそも環境アセスメントで絶滅危惧種オオタカの
生息地の存在がある場所だと住民説明会で指摘され、
事業主は「我々が新しい巣を作り区域外へ引っ越して
もらいます」と答え住民を呆れさせた。
万事その調子でいったん福島県の許可を得た事業主は
一歩たりとも譲ることはないまま、着工した。

その広大さを目のあたりにし新たに後悔と不安に
かられている住民は監視の目を厳しくしているが、
すでに民間企業の土地だ。敷居も壁も高い。進行中の
工事現場で何がどうなされているのか確認しようがないのである。
たとえば貯水池の設置、排水設備の問題など懸念している。
自宅までの道でウリ坊数頭を連れた猪を見かける頻度が増えた。
ある日は小柄な鹿が横たわるのを工事現場そばで見た。
道端に血痕が線を引き車の背後まで続いていた。

ダンプが土埃をあげて行き交う広いアスファルト
道路は列島改造論時代からの、使い道のないいわく
つきの立派すぎる舗装道路だった。
横に広がる那須連山を見渡し、広い空へ向け一直線に
続く道は自転車競技のアスリートが練習場所にしていた。
いかにも安全で平穏な場所だった。
両脇に長い桜並木が続いて見事だった。毎年写真を撮った。
花吹雪の下を車で走る爽快感。隠れた名所だったが、
昨年も今年も手入れをされなくなった枝についた花は
埃のせいか精彩を欠き、見物客は見当たらなかった。
ひっきりなしに走りゆくダンプと桜ほど似合わないものはない。



このメガソーラー電力事業主の正体は中国国有独資会社
(国家が100%出資)である。つまりこの広大な土地を
買い占めたのは表向きはどうあれ中国政府である。
彼らは福島原発事故後の2013年からこの地での計画を
順々と進め、世界各地で展開する再エネ事業の数値目標を
引き上げるために日本を重要な拠点としている。

設置から20年間、日本政府が買い上げを保証した
電力事業で懐を潤わせるのは日本企業ではなく
一番は彼らだ。条件の良さに柳の下に泥鰌よろしく
参入者が増えすぎ、慌てて買い上げ額が値下げされたが、
先に契約した彼らは20年間そのままの買取額が保証されている。
次々と各地の緑を剥ぎ取り続けあるいは転売利益を得ている。

毎月の電気料金に上載せされて強制的に集金される
のは脱炭素化対策として再生可能エネルギーへシフト
しやすくする政策だったはずが、世界的投資グループや
他国企業へ利益供与する仕組みであるとは国民の大半は
いまだに知らないだろう。
問題は電気事業に隠れて国土喪失をし続けている
ということだ。そのうち富士山さえも買収されかねない
お粗末な政府、経産省法務省財務省環境省。
彼らは国民の利益を守らずして公僕といえるのか。



わが国の近現代史を見れば、その無慈悲さと残酷と
醜悪さはいまに始まったことではないとわかりきったこと。
だがしかし、だ。
この30年間の堕落のツケが日本の国土をこうまでも
変えてしまうとは、鉄槌を食らったような、自分の
怠惰を嗤われているような情けなさである。
希望など言ってられないという気持ち、どうしようもない。

喪われる自然(植物だけでなく動物たちも)を前に
いいようも表しようもない怒りと悲しみが久しく全身を被う。
わたしを沼へ押しやるこの現実を、調査取材し、事実を
つきつめた本は「サイレント国土買収 再エネ礼賛の罠」
平野英樹著(角川新書)である。
この近隣だけでなく全国で起きている国土買収の実態が
データ入りで書かれている。知るべき事実である。

これまた自民党の裏金問題が決して解決しないことと
無関係ではないだろう。各地名と施設、事業内容を読んで
いくうち自民党や維新の地元代議士の顔が重なる。
そういうことだったのかと遠く離れていても合点がいく。
地元住民にはそのつながりは知られている話ではないだろうか。

けれども止める手立てがない。
普通に暮らす一般国民が公共の財である国土を他国に
いいようにされていくのを文句もいえないのが現行日本の
法律だ。
辺野古米軍基地建設しかり、海外のために国民に犠牲を
強いる政府のお仕事を、日々、私たちは見続けなければならないという‥

沼に落ち沈み、泣く。声を上げて泣く。
泣きたくないけれどもほかにすべがないという無力感に
さらに悲しみは膨らんでいく。
いまのわたしは悲しいということを訴えるしか能がない。

平野英樹氏は他に「日本はすでに侵略されている」(新潮新書)
「日本買います」(新潮社)「領土消失」(共著・角川新書)
「奪われる日本の森」(共著・新潮文庫)がある。
ぜひお手にとって一緒に考えていただきたい。

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わけもなく‥‥否、わけあって

2024-06-27 02:15:29 | Weblog
ストレッチポールに首を乗せていると
しばし考えごとをしてしまう。
首の凝りがほぐれていくと気持ちも
ほぐれていくのか、予想外のことが
思い浮かんでくる。

座って静かに考えればいいのだが、
落ち着きなく次々と用事を片付けて
働きつづけて疲れてようやく止まる。
そのあいだ気づかなかった思いがけない
気持ちがポール上の頭を置くと、ふと
湧いてくるのだ。



自分の気持ちは自分でわかっていると
思いがちだがそうでもない。
思いが強いときほど感情に表れない。

都知事候補者の会見でのことだ。
その一人が原発について賛否を問われて、
賛成、私は日本の科学者を信じています
からと答えた。その一言。
日本の科学者は優秀なので信じるという
一言がわたしの胸の奥に突き刺さった。



この人は無知を曝け出しているのか、それとも‥
知ったつもりになった驕りなのか、それとも
よくいる政治屋候補なのか?

小池候補と蓮舫候補を追随する石丸伸二氏
安芸高田市で市議会にて恥を知れと一喝した
市長として有名になった。
YouTubeでの市議議会動画をよく見ていたが
どういう思想、価値観なのかはわからなかった。
爽やかで実直な人柄、およそ政治の場では
みかけない印象で一躍、人気者になった。

けれども言葉には行動の裏付けがいる。
腐敗臭しかない現職が嫌だからといって
新しければいいわけではない。
石丸氏に期待していたからではなく
ふいを突かれ、傷を抉られたようだ。
2011.3.11後の福島を記憶していないのかと。
無知か?と思ったのはあの悲惨と絶望は他人事か。

確かに人災ともいうしかない余地、原因はあった。
明らかにされたにもかかわらず政府も東電も
認めないままである。
彼らは原発神話を作り上げ事故対策をするどころか
防潮堤工事の設計を低くし採算を優先した。
さらに津波の高さは予測不能だったと言い逃れし
無実を主張した。

石丸氏は日本の科学者を信じると言う。
科学者は確かにいた。人間の手に余る原発の危険性を
ずいぶん前から示唆しつづけた人物が大学の隅で、
地道な研究者として倦むことなく発信していた。
京大助教授小出裕章氏の名は3.11の地震以後ようやく
広く知られるようになったまでだ。

事故の収束にあたった御用学者はそのまま
「直ちに健康に被害はない」と連呼する政府と
同調していた。
人々は混乱のなか、信じられる何をも無くし
ある人は自死を選び、ある人は喪った家族を
探すこともできず故郷から遠ざけられた。

海を喪った漁師は試験操業からようやく本当の
漁が再開できるかと思いきや汚染水海洋放出に
翻弄され「常磐もの」の誇りが泣いている。
それを言えば風評被害とまたぞろ反論される。
いったい誰の罪なのか。

今もそのまま、何も変わっていないのだ。
「溶け落ちた炉心が今、どこにあるかも分からず、
今、生きている人たちが死んだ後も収束できない」
と小出氏は現在も警鐘を鳴らし続けている。
しかしエネルギー政策には原発再稼働が含まれ、
老朽原発の耐用年数引き上げを認める政府に
物言う科学者はいないし、原子力規制委員会に
独立性など期待できようもない。
日本の今の政治と同じだ。



ストレッチポールに頭を乗せたまま
涙が溢れた。
政治家は科学者を信じるのではなく事実認識を
するために科学の力を借り、自分の目と耳と
足で確認すべきだ。
石丸氏は福島へ足を運んだことがあるだろうか。
能登半島地震で志賀原発の変圧器が破損した
ことは知っているのだろうか。

つい先日、東電から原発事故の追加補償の
書類が届いた。自主避難者に10万円、
先に渡した分を差し引いて支払うとあった。
覚えていないが4万円支払い済みなので
6万円と印字済みだった。
唐突に追加補償するからと電話があり、
次に封書。電話の声は淡々と事務的で
住所変更はないかと尋ねた。
今もそこに住んでいるかと。

はい、時々恨めしく森の木を眺めながら
山菜採りもせず木の実も眺めるだけです。
近ごろはあちこち木が伐られ
森が無くなり、黒い海ができつつあります。
誰を恨めばいいのか、どうしてこんなに
悲しいのか。

信じてはいけない。
信じることが良いことだとなぜ思うのか。
おのれの欲を差し引いて、
まっさらだといえるほどの確信なら
手を離すこともできよう。










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ようやく発売中「聖徳太子 三法を説く」

2024-04-23 16:01:44 | Weblog
中央の絵はパウルクレー。
この絵が使われた理由、意味深長なわけは
本の目次の隣に書いてあります。

500ページ分はあった安房宮源宗先生の原稿を
原文、訳文の他の解説を減らして400ページに
納めた。
作業中に多くの学びがあった。
そして最も私の気持ちを引きつけたのは
帯文にもある「葬送」の場面であった。
太子五十年の歳月に三度の葬送がある。
後に聖徳太子と尊称された上宮王、
厩戸豊聡耳皇子の人となりのすべてが
そこに凝縮されているようで胸を打った。
その情景が音をともなって私の中にずっとあった。

幸いな時間であった。
身体が辛かった。
心身満たされ、使いきったつもりだった、が。

本造りは何度やっても後悔ばかり、
できあがるまでほんとに苦悩する。
そしてできあがるとまた悔いること多し。
すでに次の仕事にとりかかっていながら、
失敗を数えると気鬱になってしまう。
そうです、気鬱です。

ですが、日々起きて働く。休むはずの山へ
戻っても頭の中にはしょーとくたいし。
ゲラを何度も読んだおかげか立体的になった
しょーとくたいしが見えている。




私の仕事は未熟だが、すばらしい内容。
どうすればこの本を多くの方々に届けられるかを
考えたり、それは成り行きだからと思ったり
SNSもあまりやらず、宣伝費もかけず、
学びたい人が手に取れるよう流通させただけ。
そういう仕事のしかたをこの数年してきた。

毎月ぽつぽつと売れて、ある時はごそっと
誰だかが買っていく。
今回で第六巻目になる先代旧事本紀大成経伝。
古伝に興味のある人や研究者の購入かと思う。
しかしこの新刊「聖徳太子 三法を説く」は
ふつーの人、ショートクタイシと頭で再現する
人に、知らない人に読んでほしいのである。

なぜならば、聖徳太子は三法を説いたが、
今の人が思うような宗教、神道仏教儒教を
教えたわけではなかった。
人が生きるとはどういうことか、
生きて死ぬまでのあいだに起きることに
どう対処すればいいのか、具体的に
細かく教え行動された。
その記録である。
古伝写本にありがちな加筆や改ざんを
見抜くには聖徳太子の三法を理解することだと
先生は言われ、その箇所をあえて残された。

裏表紙の帯文に
聖人は聖人を知る。とある。
これは原文中にあり、重要な言葉だ。
本文をよく読むとその意味がわかる。
しがない凡人の私が原稿を繰り返し読み
ゲラを読み日々更新しつつ、
その足の爪の先っぽくらいを理解した(と思う)。



それでも私は感動した。
感動とは生きる力だったり勇気だったり
底深い喜びのこと。
悲しみを知り、喜びを得た。
美しい悲しみにはそういう力があるということだ。

さて仕事に戻らねばならないので
積もる感想はおいおい書いていきたい。
今日はここまで。

書店にてご購読を宜しくお願いします。

上のURLページの下の方に購入用の申込み書があります。

















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この頃の事など

2024-04-10 18:31:56 | Weblog
九段下駅から地上に出ると雨が降っていた。
近くのカフェで待つことにしたが店内は
昼時とあって混み合っている。
雨にあたらないテラス席に二人分席を取り
通りを眺めた。
この三ヶ月間、編集そして校正に費やした。
濡れた街を行き交う人や車の音が消え
私のなかは静かだった。やっと、どうにか。

印刷会社の担当部長は遅れてきた。
桜見物で渋滞したからだと息荒くして言う。
遅くなったから社に行きましょうかと言う。
桜見ましたか、とか、言う。

地下鉄で移動し、急ぎ目的地へ歩くので
桜は見なかった。
言われて見渡すと、すぐそばにも桜はあった。
ああ、咲いていますね、たくさん。
いやあ、これじゃなくてあっち、と指さす。

この人はいつも明るい顔をしている。
あのね、丸坊主ではないけど坊主頭が
似合いそうで目がまん丸、
で、顔もまん丸なの、なんとなく
両手で挟みたくなる感じ。
そう説明したら、ああ、わかるわ、ああ。
知人はうんうんと肯く。

担当部長とは何回も仕事をした理由は
他のなんでもない、まあるい顔と眼である。
安房宮源宗先生の新刊の印刷も依頼した。
聖徳太子 三法を説く 先代旧事本紀大成経伝(六)。
4月19日発行にどうにか間に合いそうだ。



エー・ティー・オフィス

400ページの校正はきつかったが丸い部長が
へーきな口調で、戻しは明日ですよね、
だいじょうぶですよねと急がせる。
神経症のようになって校正をし続け、
修正ミスに気づき、ああああと慌てる、
そういう夢を日々見続けた。
緊張の日々であったが、もう桜が咲いている。

印刷会社を出ると人が流れる方へ歩いた。
北の丸公園の方だ。
しばし歩き、歩いている場合じゃあないと
気づいて引き返し地下鉄に乗って事務所へ戻った。

地下鉄といえば先日、ちょっとした出来事に遭遇した。
乗車口の扉のそばに女性が背中を丸くして
立っていた。発車して間もなく泣き声がした。
声はすぐに大きく激しくなり、号泣であった。
声の主は小柄なその女人のようだ。
電車はそこそこ混んでいて背中しか見えない。

次の駅に停車している間、声は小さくなり
息を継ぎ、鼻をかみ、再び泣いた。
ターミナル駅に着くまでの数駅、泣き声は
止まず、周囲の人はみなその声を聴き続けた。
項垂れている人、片手で耳を押さえる人、
だが誰も怒らなかった。
声を揚げる人はいなかった。
赤ん坊の泣き声にいらだつ人はいるけれど
大人の女人の哭泣にはひたすら堪えていた。

降りるとその人のそばに行った。
小さな背中。手をおき、小声でたずねた。
どうかしましたか、だいじょうぶですか、と。
改札口へ急がず立ち止まっている人が数人、
何事かと見つめていた。

うつむいているが若い人だとわかった。
かすれた声が途切れ途切れに言った。
勤めにいかなくちゃならないのに涙が止まらない。
いかなくちゃならないのに。

その人の背中を抱いたまま少しずつ歩いて
改札を出た。
改めてだいじょうぶかと尋ねるとようやく
顔を上げ涙を拭いてうなずいた。
だいじょうぶそうではないなと思った。
周りにいた人はすでにそれぞれ去っていた。
名刺を渡し、何かあれば電話してと言い別れた。



コンコースを歩いているときだった。
脇をさっと追い越した人がいた。
ふとみると、さっきの女性だ。
わたしの倍くらいの速度で先へ歩いていく。
髪をうなじの上にきっちりまとめ、
着物の裾を濡れないように上げた足元が見えた。
私がさっきまで触れていた背中の柔らかさは
あの絹の着物コートだったのか。
まっすぐに背を伸ばして歩く後姿を見ながら
拍子抜けの安堵感にちょっと笑った。

しかし、だ。
笑えない理由も思い当たるのだった。
突然悲しみにとらわれて涙が止まらない、
歩きながら泣く、立ち止まっても泣く、
どうしようもない、理由などない涙。
若い頃、幾度も経験した。
理由を知ったあともそれは続き、私は学んだ。

泣くという行為だけでなく、怒るという人も
いるだろう。止まらない怒りや暴力、暴言。
自分なのか、誰なのか、理由を思う余裕もなく
押し寄せてくる激しい感情に捕らわれる。
憑依が原因であると知れば逃れられるわけではない。
さまざまな形で表れ、翻弄される。

私は電車の中で泣き声を聞きながら、
その人に安らぎをどうかお与えくださいと祈った。
それで叶うほど容易くないことはよく解っているが願い、
祈り続けるしかなかった。



さて森は最後の雪が三月に降り、今年はそのまま春へ
向かっているようです。
ふきのとうはもう薹が立ちはじめ、
水仙が咲きはじめました。












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鬱の友がいて

2024-02-13 23:22:18 | Weblog
点滅社@tenmetssyaの好評新刊「鬱の本」を
まだ手にしていない。
編集の屋良さんは元気だったり、出なかったり、
で、なんとかどうにか生きていよう、と
呟いている

そして、私の数少ない友人で大事な人が
連絡してきた。
ぼくはいまうつ病ですと。

久々に届いた手紙を開いたら、いつもの
小さなリトグラフが入っていた。
ずっと待っていたからすごく喜んだ。
急に盛り上がっている自分が可笑しかった。
そして折り畳まれた薄い便箋を開いた。
近況が綴られていた。

ぼくはパソコンも開けない、
メールもできないです、とあった。

どう答えていいか、ずっと考えていて
すぐに返事が書けなかった。
遠いところの友、いつも近くに感じる友、
こんなとき、想うということが何のたしに
なるかわからないけれども
おもうことしかできずにいた。

とても若い頃、わたしを助けてくれた人だ。
助けるなんて思いもしないで助けてくれた。
一万円を借りて、返しに行くと笑った。
まさかあ、返すとは思わんかったー、
返してくれるとは思わんかったー、
と彼の姉さんと二人でわたしをからかう。
それがとても嬉しかった。
なんども冗談にしてその時のことを言う。
この人はマジメだよー、と先に言って、
そこにいる人がほおお、と私を見ると
あのね、とその話をするのだった。

それだけじゃない、ほかにも暗いわたしを
元気づけてくれたことが何度もあった。
年下の私を気さくに相手にして話してくれた。
明るくて、やさしくて、ねばり強かった。

その人がどうしていま鬱なのか。
2020年、彼の本を作る予定が流れ、
コロナ旋風で会えなくなった。
2021、同じ。2022、同じ。
2023、連絡取れず。
この頃、彼は立ちすくんでいたということ。
メールも見れなかったのはそういうこと。



手紙の最後のほうに、
でも個展のために準備している、とあった。
それが実現しますようにと祈っている。

返事を書けなかった間、鬱々としていた。
ああ、思うことができないというのは
こうしてなるのかと思ったりした。
抗って、ふつうに生活しようとした。
ふつうが遠くにいかないようにと自分を
引きあげようとしていた。
読みかけてすぐやめるから積ん読本が
テーブルに散らかっている。
買ったことを忘れてへーっと思ったりする。
人の書いた文を読むのが面倒だった。
人の思いに触れるから。

いつのまにか独り言を言うようになった。
自分を叱る、詰る、詰る、ハッパかける、
つもりなんだなあともうひとりの私が思う。
はーいと返事する。

そうこうしながら仕事をしつつ、
二月も半ばになった。

独り言が引っ込んできたので頭の中の
整理をしている。
自分のバカさを詰るのはやめよう。
そんなに言うてもなあ、と。
恥ずかしくなく生きるというのは
誰に対して恥ずかしいのか、
自己嫌悪はなぜ嫌悪するのか、
なにを許せないのか、
愚かなのはそもそもであるということだと
気づけばほかに何もない。
一番大事なことを忘れないのが大事。

明日また、と言えるのはありがたい。
友に、彼らにあの子に明日がありますように、と心から祈る。



















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緊張と弛緩

2024-01-09 20:26:47 | Weblog
正月休みでした。
おだやかすぎて、トウキョーに戻って
頭がはたらくのか心配するほど
伸び切っていました。



上の方ほどではないけれど
例年降るはずの雪が降らないのが
よかったのです。

降った時に備えて色々と準備していました。



これはユンボ、バックホーですね、
これで敷地内は除雪するのですが、
操作できなかったので特訓してもらいました。
操作レバーが左右にあって十字に動かして
いろいろやれるのですが、頭がとろくて
なかなかうまくいきません。
毎日30分ずつ3日やって、なんとか
車庫入れができるようになり、
いよいよ年末を迎えました。

で、毎日エンジンをかけて、
車の近くに置いて、バッテリー上がりには
繋げるケーブルも用意して、と。
自力でしのぐぞ、と頑張って、
がんばりすぎて神経がトンガって
三が日は眠れませんでした。
おかげで天井裏でナニカがガサガサ
しているのに気づきました。
ずっといたのか不明だけど
気づいたら毎晩一定時刻にガサガサする。

緊張してたのに粉雪が降っただけで、
5日からさらに晴れていい天気。



夕焼けに染まった空の色が刻々と変わり
スマホのカメラではうまく撮れなくて
あきらめて眺めてました。

ニュースを見ると諦めはつかないことばかり、
忍耐している人々がどんだけいるのかと
晴れた空に重い鳩尾、
やるせないのは古代も今如も同じ。
易経を読んで過ごした。
鼎は吉。玉鉉がついていたら大吉なり。
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自分では気づかない傷み

2023-12-04 20:37:48 | Weblog
夢のなかで某有名俳優に似た男が父
ということであれこれと話が進む。
進むんだが、進まなくなったところで
目が覚め、あるいは話の衝撃で目覚めたり、
話がぐるぐる回って進まないので、
これは夢と気づいて終わる。

でも何かおかしい感じがするのだった。
あれは父さんじゃない、誰?
父さん役をしているのは誰だろう?
わたしが父だと思って話したり見たり
しているんだが、顔が違うのだ。
夢の中では気づかないが。
目覚めてしばし考えて、気づく。
そのようなことが二度あって、今朝は三度目。

三度目はさらに進んた。
父らしき人が母を見守っている。
看病している。
母さんがわたしに何か言った。
父さんは母さんに話しかけていた。
わたしは母さんの声で目が覚めた。

目が覚め、父らしき人の顔を思い出すと
それは某俳優の顔であった。
三度も夢に出演したその俳優が
父と似ていることにそのとき初めて気づいた。
なるほど‥似てるわ、でも違うわ、ぜんぜん。

母の言葉に胸を打たれてわかったことがあった。
物語(夢)のなぞがいっぺんに解けていった。
その俳優が演じた父に重なる人が
もうひとり別にいることにも気づいた。
微妙に似ていて似ていないけれども。

母がなんと言ったか。
その声は少しも母さんらしくなく、
少女のようにたよりなかった。
父はついぞ見たことがないやさしい態度で、
母を見守っていた。

見たことも体験したこともないことばかり、
でも父と母とわたしの話であった。
脳みそは面倒臭いことをしてくれたものだ。

おそらく、とうぶんは父の夢はみないだろう。
見てもあの顔でなく、わたしのよく覚えている
葬式で使った写真の顔や、幼ない頃に
そばで仕事している横顔で出てきてほしい。

今と
今あることを大事にしようと思った。






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オリーブの木を思う

2023-11-29 17:11:12 | Weblog
いつもなら12月初旬に降り始める雪が
今年は11月24日深夜から朝にかけて降った。


早朝、裏庭からの景色。
クマザサが雪で覆われている。
陽が昇ると消えてしまうから
ガウンを羽織ってサンダルで庭に出た。
写真を撮る。
だって初雪だもの。



秋が終わりひんやりとした初冬の空気。
数日前、雪粒が飛んでいた。早いな、
秋はまだいるのに、と思ったが‥降った。

では、いつもどおりに秋が過ぎた証を。




先週は都内でパレスチナ人を支援し
イスラエルに抗議する集会のチラシを受け取った。
労働組合の団体幾つかが共同主催になっていた。
週末は行けないけれども署名とカンパをし、
少し話をした。

オリーブの木を燃やしたらしいね、
根っこに薬剤を入れて枯らすんだ。
侵入して土地を奪うっていうのが今時
許されるってのがね、
暴力だね、暴力がのさばって止まんない。
オリーブは収穫時期なんだよ。

日本なら田んぼを盗られるってことよね、
稲が実ってるのを、踏みつけて。
火を放って燃やされる、同じ人間同士で
言葉じゃなくて武器を使って。



ペンで闘う人がいなくなったのか。
サイード、マフムード・ダルウィーシュが
生きていたらと思う。

「ホロコーストを利用するのを止めてほしい
とイスラエルのユダヤ人に願うのであれば
私たち(パレスチナ人)もまたホロコースト
などなかったとか、非難し敵視する愚昧な
状態を脱しなければならない。

どのような社会にも公正と不正の抗争、
無知と知識の抗争、
自由と圧政の抗争があるのだ。
単に教えられたからといって片方の側に
つくべきではなく、その状況のすべての
側面について、なにが正しいのか、
なにが正当なのかを注意深く選択し
判断を下すべきである。

自分自身のために批判的に思考する仕方を
学ぶこと、そして自分自身のために、
ものごとの意味を理解する仕方を学ぶこと。」

サイードのこれら言葉はピアニストで指揮者の
バレンホイムがヴァーグナーの曲を指揮した
ことに関して、簡単にいえば芸術作品を人格の
善し悪しで色分けしたり線引きする短絡と
危うさを述べることでパレスチナとイスラエル
の相互理解への糸口を提示したものだ。

当然、サイードはバレンホイムの真意を
理解しているが、メディアや大衆の多くは
罵詈雑言と当惑で受け止めた。それは、
反ユダヤ主義のヴァーグナーは演奏しては
ならないという合意を前提にしている。
果たしてそうかと考える人がいたにしても
密かに自分の胸のうちに留めおくのが
無難、そこから踏み出せない社会だ。



ハマスの拠点だから爆撃したとイスラエルが
主張するシファ病院は、新生児が数十名いた。
ガザだけでなく、オリーブ畑も家も兵士ではない
イスラエルの一般人が暴徒化し、襲っている。
その陰に欧米列強、帝国主義の悪の沼が見える。

「時の前に歴史は決して止まったままでいることはない。
歴史のなかではなに一つ変化をまぬがれず、
歴史のなかではなに一つ理性を超えることはなく、
また理解や検討や影響の対象になり得ないものも
ないのである」とサイードはいう。
この言葉を真実にするにはどうしなければならないか。

サイードの言葉をもう一度書いておこう。
知ること、批判的に思考し考えること。
理解する仕方を学べ、という。
人が並ぶところに集まり、人が指さす方を見て
人が言うことを後追いして言い、最後に
「知らんけど」と笑ってごまかし考えない。
大阪人のシャレでは済まされないいまや全国的。
こんなのは軽薄なTVの中だけでいい。
現実世界は、悪を悪とも思わない人間が
頂点に立ち、救いを待つ人々を見下し、
多くの人が希望を、自分の魂をなくしかけている。


今年のさいごのバラが寒空のした咲いていた。
一重のカクテル。

******************
近ごろ、ちょっとうれしかったこと。
「神文伝」先代旧事本紀大成経伝(五)
また注文が増えていますよと取次から連絡。
半年過ぎると返本の嵐とは出版社あるある
なのだがいまのところ嵐には遇わずに
済んでいての連絡だったから。

神文伝の四七文字の最後は
悪・攻・絶、そして欲・我・削(あせえほれけ)
人間が生み為す貪欲と悪事を攻め、絶てとある。
言葉巧みに隠された我欲、貪欲、放埒の三毒を
見抜き、絶てと教える。
これが平和への道だ。
千三百年遡ろうとも悪の原因は今と同じである。














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忘れる

2023-10-24 20:22:43 | Weblog
(シュウメイギクが満開なので摘んできた、なぜに夜写すのか?な。)

年配の知人がよく話しているのを聞いてはいたけれども‥
忘れる、思い出せない、、、突然思い出す。
これが今日のわたくし。

数日前はオートマ車と○○車の○○がとんと
思い浮かばず、翌朝ストレッチしている時に
あああ、マニュアルだあ、と記憶が蘇った。
たったそれだけのことだが、この思い出せない
ことへのなんというか、残念感と思い出した時の
さらにがっかり感。思い出したからといって
うれしくはないのである。

人の名前はどんどん忘れている。
たまに思い出すと、あ、そうか、そうだった、
くらいだが、別のをまた忘れる。
こうして忘れることを味わっている。


(洗ってぴかぴかになったよ、りんご)

みんな覚えていて一つも忘れないことの方が
よほど辛い。忘れてしまいたいことがあっても
私は酒を飲まないので、忘れられるならそれで
いいのである。
仕事上で必要なことはどうにかして調べたり
尋ねたりできるから今のところ不便はない。
ノートもたくさんとってあるし。


(伐り倒したどんぐりの木の根っこを掘る作業、根が深く広くて大穴が開いた)

忘れることは老化ではなく、これまた成熟か。
キレッキレの早口のわたくしはとうの昔のこと。
1日3ページほど進めばよく出来た!と
パソコンを閉じる。
今やトロトロになり、ダラダラしている。

一日が早く感じる今日、
先が短くなってきているのだけは、忘れない。
やらねばならないことがまだまだあって
手の指にマッサージクリームを塗りながら
他のことはほぼ捨ててしまい一つの事だけを
やっている。

そういうことでブログの更新まで
気が回らないというか、追いつかないのでありました。

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ドラマ「VIVANT」 と書経

2023-09-20 18:56:49 | Weblog
ナツハゼという名は夏のうちに
一番に紅葉が始まるところから
つけられたそうだ。今年の実は
暑さのせいで熟するのが早い。
超酸っぱいジャムの元。

ところで、TVドラマのVIVANTを観たが
主人公乃木が告げるように言った言葉に
注目している多くの人と同じく私もオオッ
皇天ていうか、と盛り上がった最終回。

皇天親なく惟徳を是輔く

台詞でも考察後追いの記事でも惟をタダと
訓んでいるが、次の徳につけた強調詞で
コレというのではなかろうか。
ともあれ、いい台詞!

息子といい、父ベキといい、
彼らが語る日本人かくあるものという
言葉は戦後久しく聞かない。
今では何のこっちゃといわれるくらいだろうから
とても新鮮であった。出典や根拠を知らないと
偏った思想だと勘違いするかもしれないし。
それほどに逆に斬新、またベキの言葉は
原型をかみ砕いて、よく通るわかりやすい
今の日本語表現だったから異論はないだろう。
それが皇天‥とつながっていることを知る
人は少なくても別にかまわない。
結果オーライ、如何に行動するかだ。
アッラーも天照大神も仏陀も真髄は同じ、
その心を知らず言葉だけ知っていても意味はない。


(シュウメイギク)

儒学経典は五経、八経とも五世紀に半島
諸国から調貢として伝わり、それを東儒と
合わせ聖徳太子が官学として定着させた。
太子が著した五憲法、宗徳経、神教経では
儒学と神道、仏法を加えさらに昇華された。
七世紀初頭に聖徳太子が唱えた三法の精神、
民族と宗教を超えて和と成して善へ向かう
という志は、今なかなか通じないので、
脚本に拍手を送りたい。


(濃緑の朴ノ木の葉っぱ)

先代旧事本紀大成経伝(一)(二)(三)
同(四)(五


未熟な仕事ですが、手に取っていただけるとうれしいです。
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おいしい無農薬・野菜たち

2023-08-17 16:40:32 | Weblog
暦では日曜から一昨日までがお盆だったが、
お盆休みというより先週末の3連休を山で過ごし
Uターンラッシュを避け早めに東京に戻った。
お盆を都内で過ごすのは久しぶりだった。
しかし、、暑い。日差しがきつい。

何するわけでなし、、、出かけず仕事した。


森庭はいつもの夏。暑いけれど気持ちよい。
昨年中、伸びすぎた樹木の枝下ろしをしたので
木漏れ日が芝生に挿してきれいだった。
風もよく通る。

小鳥は合唱大会。
どさくさに紛れて烏もくるが「カーっ」と
地主に一喝されて隣地の高木へ逃げ去り
負け惜しみなのか、カーと一声二声鳴く。
制空権は君ではなく地上にあるんだよん、ここだけのはなし。

犬がいないと外で過ごす時間は花木の手入れ
くらいしかない。
プランターに何も植えないまま、もう夏、遅い。
することといえば水まきくらい。
何かしよう何かしようとする貧乏性が抜けない。




ある日、栽培者の氏名を印刷したシールと手書きメモが
一緒に入った無農薬栽培野菜をイオンスーパーでみつけた。
一軒の農家さんが卸していた。
その見栄えの悪いキュウリ、ピーマン、茄子を試しに
食べてみた。‥‥まいうー!(うまいの表現はむずかしい)
こんなに違うのー!?甘いというか味があるというか。
成城石井の野菜を買って持ってきていたが、それより
上品な、けれどはっきりした味なのだ。
ということでイオンに行くようになったのだが残念なことに
いつもあるわけではないようだ。

原発事故から12年経ったが、福島は農業県だったのに
東北他県や関東のが売場のほとんどを占めてきた。
地元野菜は長いあいだ売れなかった。
ようやくこの1〜2年、少しずつ地元の野菜コーナーが
充実してきた。けれども私は手を出すのに勇気がいった。



2011からずっと食品残留放射性物質の検査データを
見続けてきた。測定所が閉鎖して減ってからも
役所のHPにある放射性物質検査データもみてきた。
放射能性物質がゼロになるには長い歳月がかかる。
周辺の放射能測定ポイントの数値がゼロになるのは
私が死後、数十年から百年近くかかるだろう。否、
百年経っても残る核種もある。
役所は半減期の短いセシウムしか検査していないけれども。

海洋放出などもってのほかだ。
全身全霊で反対し続けなければならない、と思っている。
誰も責任を取らない国、罪を償わない国だが、
被害を被っているのは人だけではない。
大地、海、生き物すべて。
国とは何かと考えざるをえない心境にもなる。

だがその思考はそもそも間違っている。
悪をみて善を見失うの図に陥ってはいけないんである。
善、正しさを忘れてはならない。
奴らは悪を悪でないように屁理屈をこね誤魔化し騙しているわけだ。
けれども自らを正しいとは決して言っていない。
しかたがない、という。
悪は攻めて絶えさせねばならん、というのがまっとうな道理。
不安になっている場合ではない。
悪を断つということは人の責任である。

と、森庭で息巻いている。。。。。
(ほんね、無農薬野菜をいつも食べたい。)

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間道をゆく

2023-07-03 21:25:28 | Weblog
そこだけ雲は薄くなって光が零れ差して
明るくなった。

夏は草刈り、小川に溜まった落ち葉掃除、
水の通り道を作り、大雨に備える。

バラは病気にならないように先月から
ニームや無農薬系の消毒液を噴霧した。

小さな小さな虫が蕾を食べにくるのは
止められない。見つけたら払いのけ、
どうにか去年よりたくさん蕾が開いた。
自然と笑みもこぼれる。




間道はかんとう、かんどうとも読む。
ぬけみち、わきみちのこと。
また名物裂に太子間道というのもある。
法隆寺伝来の経絣の紋様で太子の衣で
あったという伝承からの名である。

紋様は古くは自然や祈りや祝祭、崇敬を
形に表している。間道は縞であり道であり
それも大通りではない脇道である。
抜け道であるが裏道ではない。
どこを通るか。いや、どの道にも理由が
あって、なりゆきがある。
道ゆきも。

どう道を選ぶかをいつもいつも選ばされて
生きていくようだ。みんなそうだろう。
選ぶのは自由なのに。



間道をゆく。
間道を着て、いく筋もの間を抜けて
風を感じながら
その時々に聞こえる声に応じながら
通り抜けるところまで
間道をゆく。
六月の庭先で。

「たかまるために間道を行く。」
(細田傳造・みちゆき/2019.5「間道を行く」)
ふっと読みたくなって開いたところ)



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土を喰らう

2023-06-15 20:01:53 | 
水上勉「土を喰う日々」が映画になり、
ジュリー(沢田研二です)が水上役で主演した。
映画はまだみていないけれども原作は
典座の僧が書いたものに水上勉がさらに滋味を
重ねたようで、とてもよかった。

同じ精進料理でも人生の辛みを悟った作家は
ちょっと甘みを足す。けれども酒は使わない。
小僧時代にもったいなくて酒は使わなかった
経験と、野菜本来の甘みや苦味を引き出して
作る。品のある食事である。

穀物や野菜を通じて土からいただく滋養で
命をつないでいく。
聖俗に関わりなくこうした方法が暮らしの
中心にあった時代、人は土を大事にした。

ところで、神文伝の四十七言のなかにある
男田畠耕(おたはく)は農耕の役目を男性の
務めと教え、女蚕績織(めかうを)に衣服を
調え快適な暮らしの元を支える女性の役目
を説いている。
これを男女の違い(差別ではなく)と狭義に
読まないよう留意がいる。陰陽のはたらきが
事となって顕れるとこうなるという一形態だ。
そして、古代から生活の基本がほぼ変わらない、
その本質を読み取ると興味深い。
男女に分けた両方の仕事が、生きるために
不可欠な衣食住を成り立たせる。
人の暮らしの基本を表している。

しかし千年数百年かけてそれらの意味を
人の世は変えてきた。
いまや土を耕すことが生活から切り離され
土も虫たちも生命を亡くしつつある。
自然も額縁の中の絵のように扱っている。



道元「典座教訓」にある細やかな決まりは
表現は異なるが宗徳経の教えにも重なるので
すんなりと入ってくる。
むずかしいことではなくあたりまえのこと。
そうしたほうがどれほどよい結果を生むかと
いうことをこうしてじっとしている時間には
なおさらわかる。

典座教訓は食事のみならず、人が命の原点を
思い出す方法を教えたものともいえる。
それがなければ祖霊供養も神仏祭祀もまた
意味をなさないのである。
典座は僧堂の役目の一つで食事と湯茶の仕事を
担う。大勢の僧侶の命を養う大事な係である。

典座の務めの困難はまずは一日たりとも休みが
ないこと、一日どころか四六時中、離れていい
ということはない。それを難儀に思わずにする
にはなぜそこにいるのかを思い定めていること
かと思う。

求道心がないのに地味で質素で面倒な料理を
他者のために作り続けることはできない。
他者に喜んで食してもらうことを喜びとする
利他心が自然に備わって料理という小さな仕事に
大宇宙を感得するようになる。

さと芋の皮を薄く剥くというのはあたりまえのこと
だと思っていたが、テレビに出ている料理家が
器用に包丁を使うけれどもずいぶんと分厚く
芋の形が残らないくらいに剥いてザルに投げ
入れていくのに驚いたことがあった。
さと芋に触れるとそれを思いだすことがある。

料理ほど心が表れやすい仕事はないと思う。
見栄えよくおいしくできるのがいいという
のではない。典座の仕事から教えられるのは
心からそれを扱い生かし、拵えているか
ということの大事さだ。
だから集中しなくてはできない。
考え事やよそ見をしていては失敗する。
食べる人のことを思って作らず自分の為すこと
に没頭してもだめである。
落ち着き、よく頭をめぐらし、ていねいに
行う。なにより清潔でなくてはならない。

朝食が終われば昼を、昼が終われば夕食を
そして明日のことを備えておく。
こういうことを惓ことなく何年も何十年も
やるのだから、悟りの域に達しもしようと
思う。
また途中投げ出しても、また戻ってやる
ということができればそうすればいい。
許されればありがたい事だが、山門を追われ
戻る道などまあ実際にはない。



山中のわが家のそばには道場があって週末には
人が訪れる。
食事をする台所もある。
そこで三食を拵えて食し森庭仕事などをして
我が身と我が身を置いた空間を観る。
利害と我欲から離れることは難しいので
あえて自然のなかで、見て見ず、触れて触れず
という時間を過ごすのである。
無心になってといっても‥‥作為的にならず、
そこに在るだけということ。
それがとても難しい。

先生は道場でいくらしくじっても怠けても
教えている先生のほうがそれらをぜんぶ
受け止めておられるようだ。
俗世の濁りや醜さの類はニュートリノみたいに
通過させ何をも滞留させない。
私の身体はその反対に、醜悪さと憎悪を
受け止め満身創痍といったところか。
あのギリギリとした痛みが走った時、
自分が何に対して怒るのかを思い知った。
それがとても悲しいのだった。

人は怒ることも悲しむこともある。
理不尽にも遭遇する。
それをどう乗り越えようかと思い
自分をなだめながらの帰り道だった。

自分自身を許すことが一番難しい。
できない分、何ごとにも感謝する。
それで折り合っていくかと思った。
母を思うと母はずっとそうしてきたのでは
なかったろうかと思った。



病はようやく癒えたけれども自分が
負った傷の深さに気づいた。
器が小さく、ただただ未熟なのである。

森は樹々の緑が日々濃くなっていく。
もう梅雨に入った。
バラも咲き、芍薬も大輪をつけ、
甘くて優美な香りを放っている。

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