1月20日(火)
今日は、朝から22名の高校生がやって来ました。
5年生が、これまで総合的な学習の時間「みつめようふるさとワークショップ」の中で学んできた、われらが先輩辰野金吾の生涯を紙芝居にする、そのお手伝いとして、唐津青翔、唐津西、唐津工業、厳木の近隣4高校美術部の生徒たちが集まってくれたのでした。
高校生との顔合わせです。
ひとりひとり自己紹介をしてくれました。
日程説明がありました。
今日1日で、紙芝居を仕上げて、発表会まで一気に行う計画です。
1組は図工室、2組は多目的ホールで、それぞれ制作に取りかかることになりました。
グループごとに分かれ、自己紹介とあいさつをしました。
1グループで1幕を仕上げます。
事前に準備していた下絵と補助資料の写真などをもとに、1m近くある大きなパネルに、どのように絵を描いていくか、打ち合わせが始まりました。
各グループ1~2名の高校生を中心に、ピリッと引き締まった雰囲気の中で作業が始まりました。
引率の高校美術部の先生にも見守っていただきました。
美術部高校生の指導を受けながら、下描きが順調に進んでいます。
この授業をコーディネートされ、シナリオや下絵作りにも支援いただいた、「まちはミュージアムの会」の河内野さんもお見えになり、子どもたちの様子を温かく見守っていただきました。
「まちはミュージアムの会」からは、こうした画材やパネルなどの提供もしていただきました。
10時半を過ぎたあたりから、色塗りを始めるグループが出てきました。
小学生の子どもたちは初めて使うアクリル絵の具です。
高校生が、絵の具の溶き方もていねいに教えてくれました。
昼前には、ずいぶん色塗りも進んでいました。
去年の5年生が大島小太郎の紙芝居を制作したときよりも、パネルがひと回り大きなサイズになったので、時間が足りるかどうか心配していました。
けれども、準備がうまくいったことや1グループの人数も増えたことで、作業は予想以上の速さで進んでいるようでした。
12時過ぎ。
一旦作業を終了して、給食の時間になりました。
顔合わせをしたばかりのころは緊張感もありましたが、このころにはもうすっかり打ち解けた雰囲気で、楽しい会話も弾みながら、給食をいただくことができました。
午後も作業が続き、予定より20分ほど早く、紙芝居発表会の準備に入ることができました。
発表会前の読み合わせ練習の場面です。
「辰野金吾物語。金吾は、今の坊主町で生まれました・・・」
紙芝居が始まりました。
17歳の金吾は、唐津藩主小笠原長国が作った洋学校の耐恒寮で、高橋是清先生に学びました。
19歳から4年間、工部省工学寮(現東京大学工学部)に学びました。
補欠で入学した金吾は、卒業する時には首席となり、国費海外留学生となりました。
金吾はロンドン大学で留学生生活を送りました。
帰国した金吾は、18年間工部大学校で教鞭をとります。
その間、多くの建築物の設計にも携わり、1896年には、金吾の設計による日本銀行本店が完成しました。
今からちょうど百年前の1914年には、中央停車場(現東京駅)も完成しました。
本町にある旧唐津銀行は、金吾が東京駅の設計・建設の真っただ中で多忙だったため、辰野様式を忠実に守った弟子の田中実に設計を任せました。
会場には、お世話になった旧唐津銀行の北島館長さんをはじめ、市文化振興課やたくさんの支援団体の方々も駆けつけ、子どもたちの発表会をご覧になっていました。
全15幕の紙芝居が終わり、高校生との感想交流を行いました。
「あんなに大きな絵を描くのは初めてでしたが、高校生の皆さんのおかげで完成させることができてとっても嬉しかったです。ありがとうございました」
「ぼくたちも、最初はうまく教えられるかなとか、不安な気持ちでいっぱいでしたが、たくさんお礼の言葉を聞いて、お手伝いできてよかったなと思いました。これからの勉強もがんばってください」
5年生と高校生、合わせて20人以上が、進んで感想やお礼の言葉を伝えることができました。
今日、高校生と一緒に紙芝居を作り上げた体験は、きっと子どもたちの心の中に、いつまでも残ることでしょう。
「みつめようふるさとワークショップ」の学習は、これから後半戦。
今日までの学習をもとに、ひとりひとりが金吾の生き方から学習課題を見つけ、さらに学習を深めていきます。