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森信三先生の教え

2013-07-26 | 日記

7月26日(金)

 

今朝は、久しぶりに雨が降り、少しだけさっぱりとした気分になりました。

しかし、PM2.5や熱中症の予報は、いずれも高い「危険」な数値を示しています。

子どもたちは、元気に過ごしているでしょうか?

 

夏休み、私は自分に宿題を2つ出しています。

ひとつは、大志小学校区のことを知っておくために、できるだけ校区内を歩いてまわること。

もうひとつは、大志小学校に縁のある人物のことについて調べたり、著作物を読んだりすること。

 

そして、自分の宿題を、少しだけでも皆さんに紹介したいと思います。

 

今日は、大志小が長松小や第一中と一緒に取り組んでいる「立腰教育」の教えのもとになっている、森信三先生のことについてです。

 

 

森信三先生は、1896(明治29)年9月23日、愛知県生まれ。

1992(平成4)年11月21日にご逝去されるまで、96年の生涯を全うされています。

 

1923年(大正12)年、京都帝国大学哲学科に入学。当時の哲学者として第一人者だった西田幾多郎先生に師事されました。

卒業後も大学院に残りながら、天王寺師範学校(現大阪教育大学)の講師を務めます。

大学で、研究者として、また教師として、生きる道が始まりました。

 

1939(昭和14)年、満州建国大学に呼ばれ、大陸へと渡られます。

45~50歳という働き盛りの年を、第二次世界大戦の最中の満州で過ごされ、1946(昭和21)年に日本へ帰国されました。

帰国して見る日本の荒廃ぶりに、敗戦の悲哀を痛感し、日本の復興は家庭教育しかないと考え、その教えを説いてまわられます。

 

1953(昭和28)年、神戸大学教育学部教授として迎えられ、1960(昭和35)年退官。

1975(昭和50)年、「実践人の家」を設立し、78歳にして自らの目指す生き方を日々実践していかれました。

 

森信三先生の教えの中から、私たちに身近なものを、いくつか紹介します。

 

 ◇しつけの三原則◇

(一) 朝のあいさつをする子に。
    それには先ず親の方からさそい水を出す。

(二) 「ハイ」とはっきり返事のできる子に。
    それには母親が、主人に呼ばれたら必ず「ハイ」と返事をすること。

(三) 席を立ったら必ずイスを入れ、
    ハキモノを脱いだら必ずそろえる子に。

 

 

◇学校・職場再建の三原則◇

 

時を守り、場を浄め、礼を正す。
これ現実界における再建の三大原理にして、いかなる時・処にも当てはまるべし。

 

 

◇立腰教育◇

 

つねに腰骨をシャンと立てること
これ人間の根性の入る極秘伝なり。

人間は心身相即的存在ゆえ、
性根を確かなものにしようと思えば、
まず躰から押さえてかからねばならぬ。
それゆえ二六時中、「腰骨を立てる」以外に、
真に主体的な人間になるキメ手はない。

「腰骨を立てる」ことは、
エネルギーの不尽の源泉を貯えることである。
この一事をわが子にしつけ得たら、
親としてわが子への最大の贈り物といってよい。

一、腰骨を立て
二、アゴを引き
三、つねに下腹の力を抜かぬこと


同時にこの第三が守れたら、
ある意味では達人の境といえよう。

 

 

森信三先生の人生哲学のもとになったのは、10代の頃の彼の生き方や出会いではないかと思います。

 

11歳の時、祖父より、頼山陽「立志の詩」を教えられます。

14歳の時、高等小学校を卒業しますが、貧乏だったため中学へと進めず、母校の給仕として働きながら学問を続けます。

この時期に、腰骨を立てて座ることや、下座業(人の嫌がるような仕事を進んですること)を実践し、仏教への関心も強くなりました。

15歳で代用教員として働くこととなり、半年後には師範学校へ通い始め、19歳で正式に小学校の先生として採用されます。

その後、22歳で高等師範で英語を学びながら、東洋哲学やペスタロッチの教育哲学にも傾倒し、26歳で京都大学へと進むことになるのです。

 

略歴からは、この程度しか分かりません。

 

今で言う小・中学生の頃の森信三少年が、どのようなことを考え、何が彼をこのようなひたむきに生きる青年へと成長させたのか、もう少し詳しく勉強したいと思っています。