実家に帰った折、8/27まで開催中の表題の展覧会に行く。
タイトルの通り、明治に来日した医師ビゲローの手により、ボストン美術館に寄贈された肉筆浮世絵を展示している。
展示品のどれもがきわめて質が高くて驚くばかりである。
全般的に風景画はほとんどなく、人物を描いた絵が中心といった内容だ。特に美人画の数が多いのが目を引く。やはり異国の人間にとって浮世絵といえば、まっさきに思い浮かべるのは北斎や広重ではなく、歌麿なのだろうか。
それはともかく、浮世絵画家たちがいかに遊女なり町娘を美しく描こうか、心を配っているのが画面から伝わってくる。
たとえば鳥文斎栄之の「柳美人図・桜美人図・楓美人図」。
大夫はあくまで艶やかに、町娘風の女はいかにもたおやかで雅やかに、という感じで描かれている。そこには叙情性すらただよっているように僕には見えた。僕としては本展覧会でも一・二を争うってくらいに好きな作品である。
他の美人図では、鳥居清長「柳下美人図」のしなやかな感じ。歌川豊春「雪月花図」の気品ただよう雰囲気。同じく豊春「女万歳図」の男装がかもし出す艶っぽさなどが印象深かった。
あとこの展覧会を見て、北斎の力量を改めて思い知らされた。まあ単純に僕好みだからそう感じたかもしれないけれど。でも展示されていた「鳳凰図屏風」にしろ、「朱鍾馗図幟」にしろ、実に優れていると僕は思う。
その大胆なタッチと力強く荒々しい絵、鮮やかな色使いの融合、といったセンスの高さには脱帽するほかないだろう。
※
5階で行なわれていたエドワード・ウェストンの写真展も見る。
クローズアップするという手法は面白い。基本的に妄想人間の僕はその拡大された奇妙な形の映像を見ていろんなイマジネーションを掻き立てられるものがあった。どこか隠微な貝殻、ユーモラスな石塊、不穏な印象を与える岩等、見ていて楽しくなってくる。
写真には興味なかったけれど、こういう表現方法もあるのか、とはっとさせられた。
タイトルの通り、明治に来日した医師ビゲローの手により、ボストン美術館に寄贈された肉筆浮世絵を展示している。
展示品のどれもがきわめて質が高くて驚くばかりである。
全般的に風景画はほとんどなく、人物を描いた絵が中心といった内容だ。特に美人画の数が多いのが目を引く。やはり異国の人間にとって浮世絵といえば、まっさきに思い浮かべるのは北斎や広重ではなく、歌麿なのだろうか。
それはともかく、浮世絵画家たちがいかに遊女なり町娘を美しく描こうか、心を配っているのが画面から伝わってくる。
たとえば鳥文斎栄之の「柳美人図・桜美人図・楓美人図」。
大夫はあくまで艶やかに、町娘風の女はいかにもたおやかで雅やかに、という感じで描かれている。そこには叙情性すらただよっているように僕には見えた。僕としては本展覧会でも一・二を争うってくらいに好きな作品である。
他の美人図では、鳥居清長「柳下美人図」のしなやかな感じ。歌川豊春「雪月花図」の気品ただよう雰囲気。同じく豊春「女万歳図」の男装がかもし出す艶っぽさなどが印象深かった。
あとこの展覧会を見て、北斎の力量を改めて思い知らされた。まあ単純に僕好みだからそう感じたかもしれないけれど。でも展示されていた「鳳凰図屏風」にしろ、「朱鍾馗図幟」にしろ、実に優れていると僕は思う。
その大胆なタッチと力強く荒々しい絵、鮮やかな色使いの融合、といったセンスの高さには脱帽するほかないだろう。
※
5階で行なわれていたエドワード・ウェストンの写真展も見る。
クローズアップするという手法は面白い。基本的に妄想人間の僕はその拡大された奇妙な形の映像を見ていろんなイマジネーションを掻き立てられるものがあった。どこか隠微な貝殻、ユーモラスな石塊、不穏な印象を与える岩等、見ていて楽しくなってくる。
写真には興味なかったけれど、こういう表現方法もあるのか、とはっとさせられた。
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます