私的感想:本/映画

映画や本の感想の個人的備忘録。ネタばれあり。

「ザ・マスター」

2013-05-12 08:56:05 | 映画(さ行)

2012年度作品。アメリカ映画。
第二次世界大戦末期。海軍勤務のフレディ・クエル(ホアキン・フェニックス)は、ビーチで酒に溺れ憂さ晴らしをしていた。やがて日本の敗北宣言によって太平洋戦争は終結。だが戦時中に作り出した自前のカクテルにハマり、フレディはアルコール依存から抜け出せず、酒を片手にカリフォルニアを放浪しては滞留地で問題を起こす毎日だった。ある日、彼はたまたま目についた婚礼パーティの準備をする船に密航、その船で結婚式を司る男と面会する。その男、“マスター”ことランカスター・ドッド(フィリップ・シーモア・ホフマン)は、フレディのことを咎めるどころか、密航を許し歓迎するという。フレディはこれまで出会ったことのないタイプのキャラクターに興味を持ち、下船後もマスターのそばを離れず、マスターもまた行き場のないフレディを無条件に受け入れ、彼らの絆は急速に深まっていく。
監督はポール・トーマス・アンダーソン。
出演はホアキン・フェニックス、フィリップ・シーモア・ホフマンら。




感情の流れがいまひとつ見えないせいか、よくわからない映画である。

しかしつまらないわけでもなく、わからないことを理由に否定する気にもなれない。
わからないなりに、何かが心に引っかかる作品、「ザ・マスター」を個人的に形容するなら、そういうことになる。

要するに、判断に困る映画ってところだ。
そう言えば、「マグノリア」もそんなタイプの映画だったように思う。


戦争から帰還した男フレディが主人公だ。
彼は戦争後、心に傷を負ったらしい。まともな職について、うまく生活を送っているように見えながら、反社会的な行動を取ることもある。それだけで病んでいることは充分に伝わる。
そして、たまたま乗り合わせた船で、新興宗教の教祖ランカスターと出会う。

この宗教は催眠療法的なところがある。
教義は非科学的だが、ランカスターの人身掌握術は抜群にうまい。
そしてその人身掌握術にはまるのは、フレディとて例外ではないのだ。


プロセシングというカウンセリングのシーンは圧巻だった。
そこでフレディはランカスターの問いに対し、はぐらかすような言葉を吐き続ける。
それに対してランカスターは、質問を意図的にくり返すなどして、対象の心をゆさぶる。
それにつれて、フレディが本心を吐露するようになる。

そのようにして、人の心を突き崩していく様には、見ていてぞくりとさせられた。
カリスマ宗教家の姿がひしひしと伝わるシーンである。

そしてトラウマを抱えたホアキン・フェニックスと、フィリップ・シーモア・ホフマンのカリスマ宗教家のぶつかり合いは、ともかくも忘れがたい


フレディはそのような経緯もあり、その宗教にのめりこんでいく。
フレディはたぶん何かに依存していたいのだろう、と見ていて感じた。
それがランカスターと出会う前は酒だったが、宗教に移り変わっただけだと見える。
トラウマを抱えていることを考えると、それもさもありなんと思う。

しかし、依存を願う心情と、ランカスターが信頼できるかは、また別問題なのだ。
フレディはランカスターが逮捕されたとき、監獄の中でぶち切れながら疑いの言葉を吐く。
彼はランカスターにのめりこんでいるように見えて、のめりこめていない。

だからふっとしたときに、ランカスターの元を離れることになる。
彼はそのとき昔恋した女に会いに行って、過去をふり返り、やがてランカスターの元を去っていく。そしてラストに至る。

この過程が僕にはどうもピンと来なかった。
彼がランカスターの元を離れるのは、雰囲気としてはわかるけれど、説明不足と見えなくもない。そのためもどかしくある。
そしてもどかしい気もちのまま、エンディングに突入したため、放り出されたような気分になったことは否定しない。


しかし、それでいて、何か引っかかるものがあるのも事実なのだ。
何が引っかかるのか、僕にはいまだにわかっていない。
ずっと考えているけれど、今でも答えは出ないままだ。

けれどそのわからなさもまた一つの魅力なのかもしれない。
そしてそういうわからなさを受け入れる映画も、たまにはいいものだ、と僕は思うのだ。

評価:★★★(満点は★★★★★)

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