さまよえる魂を野に放て いしはらとしひろ

うつむきそうになるけれど
でも 前を向きたい僕やあなたへ

嫉妬という感情の変遷

2007-11-09 09:40:58 | 前を向く
多分僕は 嫉妬という感情の量はそんなに多くない方だと思う。

子供の頃、僕にはそんなものは存在しなかった。
嫉妬という概念が存在しなかったし、
世の中にそういうものがある、
というのもわからなかった。
一人っ子で甘やかされて育ったのも
関係しているかもしれないけれど。

学校に入り色々な人に出会う。
概念としても、また、嫉妬という感情が
子供でも普通にあることを学ぶ。
しかしこの段階では、まだ自分に露骨に
それが降りかかってくることは少なかった。

そして大人、と呼ばれる年齢になり、
社会に出る。
女の人と付き合ったりする。
すげーな、世の中にはこんなに嫉妬って
満ち溢れているんだ。
自分自身にも、今度は実害を伴って
それが降りかかってくるようになる。
あー、うっとおしい。

中年、と呼ばれる領域に入ってくると
実際に言葉や行動に出していなくても、
あ、今この人は嫉妬を感じているな、
とか、直接そのことを言ってはいないけれど、
あの人が今こう言った、というのは
嫉妬が元になっているな。
というのが、なんとなくわかるようになってくる。
いいようなわるいような。

子供の頃、限りなくゼロに近かった嫉妬の感情も
中年領域に入ってからは
少しずつ自分の中にも
自覚を伴って入ってくる。
やれやれ、とも思うけれど、
それが自然だ、とも思う。

30代半ば以降、色々大変なことも多かった。
仕事が不調になったり、
借金が膨らんでいったり。
落ち込んでいる時に、かつて自分が仕事を世話してあげた人が
鼻高々にブイブイ言わせているのを見たりすれば、
ちょっとは『このやろう』という気にもなる。
少なくとも、純度100%の「成功おめでとう」では
なかったのは確かだ。

また、同じ頃から音楽を本格的に再開した。
多分以前とは運も本気度も違っていたのだろう。
色々と素晴しいミュージシャンに出会え、
自分も磨くことができた。
相模の風レコードというレーベルをつくり
自分がすごいと思う音楽を
世に広めようとした。
素晴しいバンドも二つほど創った。

でも、濃い表現者たちとの濃い付き合いゆえ、
その中に渦巻く感情のぶつかり合い、
嫉妬にも苦労した。

でも、そんなことはどこにでもあることだよね?
それが人の営み、ってやつだよね。

今はそういうことに悩まされることも少ない。
それ、は「そこ」にあることだけれど、
そこに悩む暇があったら
手を動かす、足を動かす方がよい、
ということを、この数年で学んだ。

今だって、時々はそういう感情が心を支配する。
嫉妬を知らなかった子供の頃のオレ、
びっくりするだろうな。
でも、少なくとも僕にはそういう感情は、
ろくでもないものしか生み出さないのがわかっている。
出てくるのを無理に止めようとは思わない。
そこまで聖人ではない。
でも、出てきたら、なるべく早く
『お帰りいただく』ようにしている。

今、風ラヂヲや風てれび、相模の風も復活と言っていい
状況になってきた。
自分の感情で止まったり動いたりしている場合ではないのだ。
僕にとっての大きな山、のために動く。
そして、僕にとっての大きな山、は僕もよろこび、
そして僕以外の人が一人でも多く喜んでもらうことによって
その高みに到達することができるはずなのだ。