ただ生きるのではなく、よく生きる

自然の法則をとらえ、善(よ)く生きるために役に立つ情報を探して考えてみる

山上の垂訓

2016-12-25 17:38:22 | 知恵の情報
心の貧しい人たちは幸いである。
 天国は彼らのものである。
 
悲しんでいる人たちは幸いである。
 彼らは慰められるであろう。

柔和な人たちは幸いである。
 彼らは知を受けつぐであろう。
 
義に飢えかわいている人たちは幸いである。
 彼らは飽き足りるようになるであろう。

憐れみ深い人たちは幸いである。
 彼らは憐れみを受けるだろう。

心の清い人たちは幸いである。
 彼らは神を見るであろう。

平和をつくり出す人たちは幸いである。
 彼らは神の子と呼ばれるだろう。

義のために迫害されてきた人たちは幸いである。
 天国は彼らのものである。

(マタイ福音書・第五章三節~十節より)

心の貧しき者とは、謙譲なる心の持ち主で高ぶらぬ心、おごらぬ心を指します。
己を高しとする心や行為に天国はなく、天国を見ることも作ることもできないのです。
また、悲しみや苦しみ、悩みのある人は、人によって慰められなければ、天国から
の霊によって、また導きによって救いだされ、慰められるのです。また、心の柔和
な人、おだやかな人は、地上におけるよき支配者となり、人の心を良く導く者と
なるだろう。また、義に飢えかわいている者とは、正義を求める人で、そのような
ものはないと、絶望していても、きっと天も人も、その人を満ち足らせるだけの
正義が地上にもあるということを、その人に知らしめるでしょう。憐れみの心を多く
持つ人、これは慈悲の心から出るものです。そして、その人が苦境に陥ったとき、
人から憐れみを受けるでしょう。そして、心の清い人だけが、神をみることができる、
すなわち、うぬぼれや自我、増上慢、自己顕示、憎しみ、姦淫、平和をこわすもの、
その他すべて、人間として持っている隣人愛のもたらすもの以外の感情を取り去ら
なければ、天国からの使いも、神もみることはないであろうと言ったのです。平和
を作り出す人はもちろん、地上に神の国を作るのです。それゆえ、真の神の子と
見なされる資格があるのです。また、正義の心を持ち、信念を持ち、正しい事の
ために迫害を受けた人びと、キリスト教では多くの殉教者が出ましたが、それのみ
でなく、他の正しい思想のためにも人から誤解を受け、迫害された人びとはすべて、
天国に来るべき人であり、また、天国を代表する人たちです。

─すなわち、自己を犠牲にして、他に尽くす愛の心がそこに在るからなのです。
私が、律法に苦しめられ、愛を失い、罪のなかに生き、神に見放されようとして
いたユダヤ人のために、十字架につけられ、その罪のあがないとなり、神の
救いを人びとに分かち与えた意味もそこに在るのです。(イエス・キリスト言)

─『天国の扉』イエス・キリスト 千乃裕子編著 たま出版 
 宇宙的天上人からのメッセージ掲載 より

■イエスが生まれた日なので、1970~1980年代に発言された、宇宙的天上人
であるイエス・キリストの言葉を紹介してみた。もちろん、これが真実であるかは、
読者に判断してもらいたいがこのシリーズの本は真実であると・・・私は、信じたい。
そして、何千年も前のイエスが霊体として生きていて、今世紀に彼の山上の垂訓の
解説を受けることができると自覚すると感激であった。現在までに霊能者は数多く
いて、偽者もいただろうし、清い心の持ち主に現れていたかもしれない。この本は
私は、清い本に見える。