ただ生きるのではなく、よく生きる

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人を玩(もてあそ)べば徳を失い、物を玩べば志を失う    書経

2016-12-10 17:08:49 | 知恵の情報
これは、書経の中にある句で、別に「玩人喪徳(がんじんそうとく)、玩物喪志
(がんぶつそうし)」ともいうのであって、その意味は、徳のある人はつまらない
人物を相手にして狎(な)れ親しんでいると、そのために知らず識らずのうちに
自分の徳を喪(うしな)ってつまらない人物になってしまうものであるから、
修養のない小人とは決してつき合わない。また、珍奇な物をもてあそんでそれに
夢中になるといつの間にか放心して、大切な本来の志までも見失ってしまうもの
であるから、有徳の人というのは、そういったつまらない行為を避けるのである
ということである。

周の武王が周囲を平定してその威力八方に及んだとき、弱小の「旅国」もその勢力に
おそれてはじめから敵対せず、珍らしく大きくまた見事な猛犬を献上して帰順を
誓って来たのであった。そのときに武王の一族である昭公は、これを受けるときは
珍しさのあまり、これを連れて出歩いたり狩りを催したりするようにでもなると、天下
を治めるという大事な政治がおろそかになるから、そのようなものを貰うことはやめて
ほしいと諌めたときのことばがこれであって、そのために武王もこれを受けることを
やめたという故事から出ているのである。

人は弓の弦のように四六時中張りつめていたら、たまったものでないので、ほどほど
に趣味をもち、たのしみを求めることは結構なことである。遊山釣魚、飲食歓娯など
レジャーをたのしむことは、必要なことであるという人もあり、それが今日の風潮
でもあろう。もちろん古臭いことばを引っ張り出して、こうした今日のような生活を
楽しもうとする風潮を否定し、排斥するものではない。しかし、徒に外界の刺激や
物欲に志を奪われて、おのおのの本分、使命までもおろそかにしてはならないこと
を戒心したいのである。

─『一日一言 人生日記』古谷綱武編 光文書院より

■人生の中で自分の使命に気づくときがあったら、それをしっかり、守らないと
人間は、日常の多様なことで無くしてしまう。それほど、人間は弱いものだと
思う。日ごろの学びや、内観は必要である。正見を通してつねに自分を新たに
しよう・・・