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「すべての家に電気を供給 するといい始めた」  知られざる天才発明家、ニコラ・テスラ その2

2016-12-07 17:40:01 | 知恵の情報
ニコラ・テスラは、1856年、セルビアで生まれた。父親は神父だった。彼は嵐の中で
生まれたと伝えられており、『トム・ソーヤーの冒険』などの著作で知られる、友人である
マーク・トウェインは、彼を「稲妻博士」と呼んだ。

彼は普通の人とは明らかに違った。幻覚を見る癖があったようだと伝えられている。
発明がひらめくときは、身体中に電気が走り、頭が光でいっぱいになり、次第に絵と
して浮かんでくるのだと自から語っている。大学生のときにはすでに、交流電流や、
電気モーターの姿が一瞬にして見えていたという。

彼の天才ぶりは発明だけではない。語学では八ヶ国語を操り、哲学や文学、音楽
にも精通していた。しかし、授業に出てもつまらないと言って学校を嫌い、ほとんど
独学であったようだ。そんな彼のことを誰も理解することはできなかった。

しかたなく彼はアメリカへ渡った。生活費を稼ぐために肉体労働をした後、エジソンが
経営する「エジソン電灯会社」(現在のゼネラル・エレクトリック社の前身)を見つけた。
その研究所に採用されたものの、しかしわずか一年で喧嘩別れすることとなった。
以来、エジソンとテスラは敵同士になる。

エジソンは史上もっとも偉大な発明家だと教えられているが、果たして本当だろうか。
彼の名言に「天才は一パーセントのひらめきと九九パーセントの努力」というのがある。
すなわち、インスピレーションや想像力はほんのわずかのことであって、発明の
ほとんどは汗した労働の成果なのだと。

一方、テスラはそうじゃない。最初に頭の中で完成させる。つくろうとするものを論理
的に全部理解していれば無駄がないが、当てずっぽうでやり始めたら、無駄な
時間と労力を費やすことになるからだ。「エジソンは力ずくで発明している」と
彼は、冷笑した。

テスラは電気を「人類の生活を豊かにする手段」と考え、すべての家に電気を供給
するといい始めた。これが災いの引き金を引いた。莫大な利権が絡むからだ。

まず、エジソンと争いになった。テスラの考えた交流電流方式はエジソンのもの
より技術的に優れていたが、エジソンは直流にこだわった。そこで、エジソンは
街のあちこちに出かけて、交流電気で動物を殺して見せた。大勢の群衆の前で、
ゾウを殺すことさえあったという。それもすべて、テスラの考えるエネルギーが危険な
ものだと教えるためである。

数年後、学会でデモンストレーションを行ったテスラは、億万長者のジョージ・
ウェスティングハウスの目に留まった。感銘を受けたウェスティングハウスの出資
により、ナイアガラの滝に発電所をつくった。1893年に開催された「シカゴ世界
博覧会」では、会場中の電灯で照らして見せた。

今や、全世界の電力が彼のつくった仕組みを採用している。電力産業の生みの
親と言える存在である。当時は、大変な有名人でお金持ちだったが、教科書に
載らないのはなぜだろう。原因は彼の考えた配電方法にある。

─『闇の支配者に握り潰された世界を救う技術』元「フォーブス」アジア太平洋支局長
 ベンジャミン・フルフォード著 ランダムハウス講談社より