運命を愛せよ。与えられた物を呪うな。生は開展の努力である。生の重点はこの
努力にあって、与えられた物にあるのではない。呪詛は生を傷(そこな)い、
愛は、生を高める。ただ愛せよ、そして、すべてを最もよく生かせよ。
(『偶像再興』 『和辻哲郎全集17巻』 哲学者 岩波書店)
★ ★ ★ ★
世界に数多くある人間論には、大きく分けて二通りある。この世には人間の
力でどうしようもない運不運といいうものがあるということを認める立場と、
運は人力で引き寄せうるものだと訴える考え方とである。
私の経験に照らして言えば、後者はいくぶん偏っていると思う。この広い
世間には、たとえば自然現象のように、抵抗しがたい運不運というめぐり
あわせがあるようだ。そういう事情をいちおう認めたうえで、今度は人それぞれ
の性格や行為に原因がある類の、幸運というものに思いめぐらせてみよう。
運を招き寄せる行為の第一は、もちろん勤勉、であり、努力、であり、精進、
である。しかしながら、世には利己主義に徹した勤勉家を見かける。これは、
世間に嫌われるから運には縁遠い。それに対して自分が尊敬する人や
好もしいと思う人に、力を致して尽くす型(タイプ)がある。こういう人に
好運がめぐってくるのではなかろうか。運とは、世間が送ってよこす賜物
なのである。(谷沢永一)
─『古典の知恵 生き方の知恵』古今東西の珠玉のことば2
谷沢永一著 PHP研究所より
■運は、その人の心の極まり、のような感じがする。
物事の考えを進め、ある時期に自分の心持が変化してきたとき、運が
出てくるのではないか。頭ではなく、気持ちの極である。運を引き寄せる
本などは、巷にたくさんでている。最近だと『シークレット』などは、米国で
盛んに売れているようだ・・・(『神との対話』の著者も紹介されている)
自分の意志で原因をつくることが結果として運命をつくると言うジェームス・
アレンを、以前に紹介したが、運命は、自分がそうだと信じる極致なのかも
かもしれない。(オギ)
努力にあって、与えられた物にあるのではない。呪詛は生を傷(そこな)い、
愛は、生を高める。ただ愛せよ、そして、すべてを最もよく生かせよ。
(『偶像再興』 『和辻哲郎全集17巻』 哲学者 岩波書店)
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世界に数多くある人間論には、大きく分けて二通りある。この世には人間の
力でどうしようもない運不運といいうものがあるということを認める立場と、
運は人力で引き寄せうるものだと訴える考え方とである。
私の経験に照らして言えば、後者はいくぶん偏っていると思う。この広い
世間には、たとえば自然現象のように、抵抗しがたい運不運というめぐり
あわせがあるようだ。そういう事情をいちおう認めたうえで、今度は人それぞれ
の性格や行為に原因がある類の、幸運というものに思いめぐらせてみよう。
運を招き寄せる行為の第一は、もちろん勤勉、であり、努力、であり、精進、
である。しかしながら、世には利己主義に徹した勤勉家を見かける。これは、
世間に嫌われるから運には縁遠い。それに対して自分が尊敬する人や
好もしいと思う人に、力を致して尽くす型(タイプ)がある。こういう人に
好運がめぐってくるのではなかろうか。運とは、世間が送ってよこす賜物
なのである。(谷沢永一)
─『古典の知恵 生き方の知恵』古今東西の珠玉のことば2
谷沢永一著 PHP研究所より
■運は、その人の心の極まり、のような感じがする。
物事の考えを進め、ある時期に自分の心持が変化してきたとき、運が
出てくるのではないか。頭ではなく、気持ちの極である。運を引き寄せる
本などは、巷にたくさんでている。最近だと『シークレット』などは、米国で
盛んに売れているようだ・・・(『神との対話』の著者も紹介されている)
自分の意志で原因をつくることが結果として運命をつくると言うジェームス・
アレンを、以前に紹介したが、運命は、自分がそうだと信じる極致なのかも
かもしれない。(オギ)