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11万人結集 抗議/検定撤回 9・29県民大会

2007年09月30日 | スクラップ
2007年9月30日(日) 朝刊 1面


 私たちは真実を学びたい。次世代の子どもたちに真実を伝えたい―。高校歴史教科書の検定で、文部科学省が沖縄戦「集団自決(強制集団死)」から日本軍強制の記述を削除したことに抗議する「教科書検定意見撤回を求める県民大会」(主催・同実行委員会)が二十九日午後、宜野湾市の宜野湾海浜公園で開かれた。大会参加者は当初予想を上回る十一万人(主催者発表)。宮古、八重山を含めると十一万六千人に達し、復帰後最大の“島ぐるみ”大会になった。大会では日本軍の命令、強制、誘導などの記述を削除した文科省に対し、検定意見撤回と記述回復を求める決議を採択した。

 戦争を体験した高齢者から子どもまで幅広い年代が参加、会場は静かな怒りに包まれた。県外でも東京、神奈川、愛媛などで集会が開かれ、検定意見撤回と記述回復を求める県民の切実な願いは全国に広がった。

 大会実行委員長の仲里利信県議会議長は「軍命による『集団自決』だったのか、あるいは文科省が言う『自ら進んで死を選択した』とする殉国美談を認めるかが問われている。全県民が立ち上がり、教科書から軍隊による強制集団死の削除に断固として『ノー』と叫ぼう」と訴えた。

 仲井真弘多県知事は「日本軍の関与は、当時の教育を含む時代状況の総合的な背景。手榴弾が配られるなどの証言から覆い隠すことのできない事実」とし、検定意見撤回と記述復活を強く求めた。

 「集団自決」体験者、高校生、女性、子ども会、青年代表なども登壇。検定撤回に応じず、戦争体験を否定する文科省への怒りや平和への思いを訴えた。

 渡嘉敷村の体験者、吉川嘉勝さん(68)は「沖縄はまたも国の踏み台、捨て石になっている。県民をはじめ多くの国民が国の将来に危機を感じたからこそ、ここに集まった。為政者はこの思いをきちっと受け止めるべきだ」とぶつけた。

 体験文を寄せた座間味村の宮平春子さん(82)=宮里芳和さん代読=は、助役兼兵事主任をしていた兄が「玉砕する。軍から命令があった」と話していたことを証言した。

 読谷高校三年の津嘉山拡大君は「うそを真実と言わないで」、照屋奈津実さんは「あの醜い戦争を美化しないで」とそれぞれ訴えた。

 会場の十一万人は体験者の思いを共有し、沖縄戦の史実が改ざんされようとする現状に危機感を募らせた。宮古、八重山の郡民大会に参加した五市町村長を含み、大会には全四十一市町村長が参加した。

 実行委は十月十五、十六日に二百人規模の代表団で上京し、首相官邸や文科省、国会などに検定意見の撤回と記述回復を要請する。

 仲里実行委員長は「県民の約十人に一人が参加したことになる。県民の総意を国も看過できないだろう」と、記述回復を期待した。


検定見直し国会決議も/超党派視野民主が検討


 民主党の菅直人代表代行は二十九日、政府や文部科学省に「集団自決(強制集団死)」で軍強制を削除した検定のやり直しを求め、応じない場合は超党派で国会決議案提出を検討する意向を示した。また、国会の委員会審議の参考人として「集団自決」体験者を招き、証言を直接聴取する考えも明らかにした。

 教科書検定撤回を求める県民大会に出席した後、記者団の取材に応じた菅代表代行は「臨時国会の代表質問や予算委員会審議で取り上げ、文科省の調査官のコントロールでねじ曲げられた検定のやり直しを求める」と強調。「検定の見直しや規則を変えることに応じなければ、国会の意思を問う」とした。野党共闘を軸に、与党にも働き掛け、超党派で提出する考えを示した。

 大会に出席した共産党の市田忠義書記局長は「県民大会の決議の趣旨であれば賛同する」、社民党の照屋寛徳副党首も「検定撤回を求め、国会の意思を示すべきだ」と賛同。国民新党の亀井久興幹事長も「決議に賛成したい」とし、野党各党とも国会決議案提出に賛成する意向だ。

 一方、与党側は、参加した公明党の遠山清彦宣伝局長が「撤回を求めるのは同じだが、国会決議で個別の検定を見直すことは今後の政治介入を許す危険性もあり、慎重に対応したい」との考え。自民党の県選出・出身でつくる「五ノ日の会」の仲村正治衆院議員は「今回の大会決議で要請することが先だ。今後の対応は党の協議次第だ」と述べるにとどまった。



教科書検定意見の撤回を求めて集まった11万人が、一斉に「ガンバロー」を三唱した=29日午後4時40分、宜野湾海浜公園(宮里政史撮影)







2007年9月30日(日) 朝刊 27面




人の波 怒り秘め/真実は譲らない

 私たちの歴史は変えさせない。二十九日、「教科書検定意見撤回を求める県民大会」が開かれた宜野湾海浜公園には、主催者の予想をはるかに上回る十一万人が集まった。県民の十人に一人近くが参加し、復帰後最大の規模に膨れ上がった。「たとえ醜くても、真実を伝えたい」。沖縄戦で体験した地獄を語る勇気と、受け継ぐ覚悟。静かな会場に、世代を超えた県民の決意が満ちた。検定の標的にされた「集団自決(強制集団死)」の体験者は、失った家族に向けて涙ながらに成功を報告した。宮古、八重山の会場にも合わせて六千人が結集した。すべての視線が、文部科学省に向けられた。

 午後三時に大会が始まってからも、会場を目指す人の波は続いた。車いすのお年寄りと、乳児を乗せたベビーカーが、並んで進む。うるま市の山城真理子さん(54)は「大人から子どもまで、本当に県民こぞっての集まり」と、感激の面持ちを浮かべた。

 会場の広大な芝生は人で埋め尽くされ、周辺の敷地にも参加者があふれ返った。あらゆる木陰や車の陰に人、また人。

 「一九九五年の大会ではこの辺りまではいなかった。きょうは二倍いるんじゃないか」と驚く沖縄市の照屋哲さん(68)。ステージは遠く見えないものの、私語はほとんどない。訴えにじっと耳を傾け拍手を送った。

 家族連れや若い世代の姿も目立った。浦添市の下地正也さん(42)は、十二歳と八歳の息子の手を引いて参加。「まだ大会の意義は分からないと思うが、参加した記憶が残れば。これをきっかけに将来、自分で学んでほしい」と願いを込めた。

 球陽高校三年の真壁科子さん(17)は、チビチリガマがある読谷村から来た。一緒に参加した両親などから、「集団自決」への軍関与を聞かされて育った。「夢は教員。でも教科書が書き換えられてしまったら、悲劇をどう生徒に伝えればいいの」と、心配顔になった。

 体調が悪く、不参加を決めていた豊見城市の金城範子さん(64)は、朝起きてすぐに意を決し、足を運んだ。「私の後ろには、参加したくてもできない戦没者やお年寄りがたくさんいる。責任に押された」。最前列に一人で座り、「日本兵を恨みはしない。ただ、自分の名誉のために歴史全体を曲げることだけはしないでほしい」と訴えた。

 「きょうはうれしい一日だよ」。「集団自決」を体験した座間味村出身の宮城恒彦さん(73)は、帰路に就く人々を見詰めながら語った。「普段おとなしい県民のマグマが噴火した。何度踏みにじられても、沖縄の命運が懸かった問題では十万以上の人が動いた。戦争を体験していない世代が頼もしく見える」と、目を細めた。







2007年9月30日(日) 朝刊 3面




書き換え「許さず」/超党派で撤回要求

 沖縄戦の「集団自決(強制集団死)」で軍強制を削除した高校歴史教科書検定問題に対し、二十九日、宜野湾海浜公園で開かれた県民大会には、各政党の本部幹部らが多数参加した。十一万人が結集した大会の意義をそれぞれが高く評価、沖縄戦の史実をねじ曲げる検定の撤回を求めた。

 民主党の菅直人代表代行は「『集団自決』で軍関与を否定した動きを許さないという県民の思いを強く感じた」との感想を述べた。大会の意義については「戦争を風化させ、ねじ曲げようとする一部の動きに、当事者が苦しい体験を勇気を出して発言した。多くの人々が集まったことは歴史的な意義があり、歴史の歪曲を止めるきっかけになる」と話した。

 遠山清彦公明党宣伝局長は「県民が怒るのは、文科省が学問的、客観的に運用した検定制度と、戦争体験者の体験がずれているからだ」と指摘した。文科省には、同党県本部が四月に求めた県民参加による「沖縄戦共同研究機関」の創設を強く要望。沖縄戦の公正、客観的な検証を求めた。県民からの直接ヒアリングなど、検定制度の見直しも必要との認識を示した。

 市田忠義共産党書記局長は「これまで日本政府も軍関与を認めていた。それを覆すのは許されない歴史の書き換えだ」として、国政の場で検定意見撤回に向けて働き掛けていく考えを示した。大会について「県民の平和へのエネルギーが一層伝わった。国民全体の問題として、党派を超えて、歴史の偽造は許されないという思いをますます強くした」と述べた。

 社民党の保坂展人平和市民委員長は「教科書問題は住民虐殺や慰安婦問題などと同様に、戦争を客観的に見られるのかという歴史観全体の問題だ」と指摘。「県民の大きな声を、福田政権がどう受け止めるのか、週明けの所信表明に注目したい」とした上で、「他の野党と連携し、渡海紀三朗文科相への質問で、全面撤回の契機となる見解、発言を引き出す努力をする」と述べた。


県民の不満が「爆発寸前に」 知事、政府に配慮求める


 仲井真弘多知事は二十九日の県民大会終了後、記者団の取材に応じ「私が初めて見たほど大勢の県民が集まった。ある種のマグマというかエネルギーというか、何かが爆発寸前にあるのではないかと予感させた大会だった」と述べ、沖縄戦の実相と異なる文部科学省の検定意見に対し、県民の不満が限界点にあるとの認識を示した。その上で検定意見の撤回に全力で取り組む意向をあらためて表明するとともに、「地方の意見に耳を傾ける、理解に努めるという、中央におられる人々の感性をもう一回磨いて、精妙にしていただく必要があるのではないかと思う」と指摘。政府に対し、県民感情に配慮するよう求めた。








2007年9月30日(日) 朝刊 26面




沖縄戦事実 否定に怒り/解説

 十一万六千人。人口百三十七万人の沖縄県でこれだけの県民が集まった。東京都で考えれば、百八万人の集会に相当する。その意思表示を文部科学省はどう考えるのか。今後の対応を注視する。
 そもそも、「教科書検定意見撤回を求める県民大会」の開催は、沖縄からの民意や反論に文科省が真剣に対応してこなかったことが背景にある。

 「『集団自決』で日本軍の強制があったことを否定されれば、ガマからの追い出し、食料の強奪、スパイ容疑での虐殺など、そのほかの沖縄戦の住民被害を否定されたのと同じになる」。平良長政・大会実行委員会幹事が大会後に述べたように、県民は今回の教科書検定で、体験、記憶、学習を通じて共有してきた「沖縄戦の事実」が否定されたと感じたのだろう。

 県議会と全四十一市町村議会で検定意見撤回を求める意見書が採択されたのは、その民意の表れだ。

 「集団自決」に対する日本軍の強制があったことを証明するこれまでの研究に、体験者による新たな証言がいくつも加えられ、検定結果への反証として示されてきた。

 県議会、市町村議会、副知事、教育長、市民団体。沖縄は、こうした民意と反証を基に、何度も文科相に説明と対応を求めてきた。そのたびに文科省は、「審議会による学術的な審議に基づく決定で覆せない」と、事実と異なる「官僚答弁」に終始してきた。

 対応に当たるのは、検定の内実を詳しく知る課長でもなければ、決裁権を持ち、責任が問われる立場の局長や文科相でもない、中間管理職の審議官だった。

 六月、伊吹文明文科相(当時)は「検定結果について沖縄の皆さんの気持ちに沿わないようなことがあるんだろうと思う」と発言した。ここにボタンの掛け違いがある。

 県民はあいまいな感情で怒っているのではない。「事実を否定された」から怒り、その論拠も示している

 渡海紀三朗・現文科相は県民大会について、「どういう大会になるのか、どういう意見が出るのかを見極めて、対応したい」と発言した。期待したい。行政が過ちを認めないとき、それをただすのは政治の役割だ。

 文科省は県民大会であらためて示された事実と、事実歪曲への怒りを素直に受け止めるべきだ。(社会部・吉田啓)



     ◇     ◇     ◇     


検定抜本改善へ歴史的一歩/高嶋伸欣氏・琉大教授


 県民大会準備に参画していた一員として、何より勇気づけられるのは、参加者が十一万人を超えたことだった。主権在民のこの社会では、行政や政策に関連して主権者が何らかの形で意思表示をしなければ、民主主義の健全さは保てない。

 大会準備中、実行委員会は五万人という控えめな目標数を設定した。それには弱気すぎないかという声も少なくなかった。しかし、だからと言って自信をもって大丈夫と主張できる根拠を見出すのは困難だった。

 それが連休明けの九月二十五日から様相が一変し、県内だけでなく県外どころか国外からもメディアや市民運動からの照会、連携行動の情報が洪水のように押し寄せた。

 東京中心のメディアの場合、腰をあげるのが遅すぎた面もある。それだけに、いよいよ沖縄での盛り上がりぶりを知って、動かざるをえなくなったのだとも考えられた。メディアの世界でも、一地方にすぎない沖縄が中央に揺さぶりをかけたのだと見て取れる。

 この解釈は、県民大会会場に駆けつけていた全国からのメディアの姿によって、裏付けられていた。中央のメディアを揺さぶり、この件について今後は真剣に取り組まざるを得ないと認識させる状況づくりに、われわれも多少は参画できたのだと、誇りに思いたい。

 このことは、伊吹文明前文部科学大臣の詭弁同然の弁明を、これまでのところ結果的には容認してしまっていた中央のメディアを、著しく緊張させたことになる。来月中旬に予定されている実行委員会の東京行動では、今回の大盛会を背景に強気の交渉が予想される。文科省交渉では、これまで一切の面会を拒否していた初等中等教育局長や事務次官のレベルでは済まされない。文科大臣の面会は当然だ。首相官邸の場合、首相はともかくとしても、官房長官が政府総体としての対応を示すためにも出て来ざるを得ないと思える。

 それに、ここまで解決を遅らせた結果、問題の根本原因が検定制度の構造的欠陥、特にきわめて非民主的な強権性と密室性にあることまで、多くの人々が気付くに至った。国会では野党各党が、「集団自決」の検定意見撤回だけでなく、検定制度の見直しにまで踏み込んだ議論を、国会で展開する準備に着手したという。

 この事態は、今回の「集団自決」検定問題が、戦後の教育界で積年の論点となっていた教科書制度の抜本的再検討をいよいよ不可避にしたことを意味している。それは、当然ながら全国の教育関係者を巻き込む議論になる。

 一九六五年度から全面実施された小・中学校の教科書無償制は、日本の民主的な教育を支えるものとして国内外で高く評価されている。その無償制が高知県の母親たちを中心とした市民運動が発端だったと、教育関係者の間では語り継がれている。同様に、やがて教科書制度が大幅に民主化された時、それは沖縄の県民大集会で示されたエネルギーが発端だったと語り継がれることになる。

 われわれは今、新たな誇れる歴史をまた刻むことができた。それがこの九・二九県民大集会だった。(社会科教育専攻)




沖縄タイムス
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