2007年08月06日(月曜日)付
原爆の日が、まためぐってきた。6日に広島、9日に長崎へ原爆が落とされ、62年がたつ。
今年の被爆地は昨年までとは、いささか様相が異なる。長崎県出身で防衛相だった久間章生氏が原爆投下について「しょうがない」と述べたことが、さまざまなかたちで影を落としているのだ。
久間氏の発言をもう一度、確かめておこう。
「原爆が落とされて、長崎は本当に無数の人が悲惨な目にあったが、あれで戦争が終わったんだ、という頭の整理で今、しょうがないな、というふうに思っている」
●人が虫になった
「原子爆弾を炸裂(さくれつ)させた時、ひとは神さまを捨てて、みんな虫になってしまったのだとわたしは思います」
被爆2世である芥川賞作家の青来有一(せいらい・ゆういち)氏は、小説「爆心」で、長崎の被爆者の心境をこうつづっている。
天災ならまだしも、心のある人間が、これほどの大量殺人を犯すわけがない。まして、原爆が落とされたのは、長崎市でもキリスト教徒の多い浦上地区だった。自分たちと同じ信仰を持つ米国人が、そんな無慈悲なことをするとは信じられない。人間ではなく、きっと虫になってしまったのだ。そんなあきらめにも似た思いが伝わってくる。
だが、それは「しょうがない」という気持ちとは違う、と長崎市の平和推進室長を務める青来氏は言う。「多くの被爆者は長い時間をかけて過去の傷をのみこんできた。もうこの先、地球上で核兵器を使わないようにするのならと、心の中で決着をつけてきたんです」
被爆者には、仕返ししたい気持ちや恨みに思うことがあっただろう。だが、自分たちのような悲惨な体験はこれで最後にしたい。そう考えることで、多くの被爆者は、仕返しや恨みの気持ちに折り合いをつけてきたのだ。
そうした複雑な感情も知らないで、被爆体験のない人から「原爆投下はしょうがない」などと安易に言われてはたまらないということだろう。
●「非核」をどう訴える
病理学者で原爆投下の歴史に詳しい土山秀夫・元長崎大学長は、むしろ久間氏が「しょうがない」の後に続けた言葉に注目する。「国際情勢とか戦後の占領状態などからいくと、そういうこと(原爆投下)も選択肢としてはありうるのかな」という部分だ。
直接的には過去のことを語っているが、現代でも場合によっては、核兵器を使うことができるとも聞こえる。現職の防衛相の言葉だけに、被爆者は怒りを増幅させたというのだ。
世界を見渡せば、インド、パキスタンに続き、昨年は北朝鮮が核実験をした。核保有5大国の核軍縮は進まず、核不拡散条約(NPT)の信頼が揺らぐ。
国内では麻生外相らが核保有の議論をすべきだと説く。そこへ、久間発言である。核兵器への抵抗感が、政治家の間で薄れているのではないか。そんな不安にかられたのは被爆者だけではない。
だが、果たして日本の国民は、久間氏の発言を一方的に非難ばかりできるのだろうか。そんな自問もしてみたい。
日本はかつてアジアの国々を侵略し、米国に無謀な戦争を仕掛けた。しかも、無数の人命を犠牲にして、負け戦をずるずると引き延ばした。その揚げ句に落とされた原爆なのだ。
一方、戦後の日本はといえば、圧倒的な軍事力を持つ米国と安保条約を結び、「核の傘」に頼ってきた。それでいて、「非核」を訴えるという居心地の悪さもある。
そうした事実を直視し、考えるきっかけにしなければいけないのではないか。
問題は、だからしょうがないではなく、世界に同じ悲劇が起きないように、日本が何を訴えていくかだ。過去の歴史を反省し、アジアの国々と手を携える必要があるのはいうまでもない。
●米国にも変化の兆し
久間発言を支持したのは、多くの米国民だったかもしれない。
米国では「原爆投下で戦争が終わり、100万の米兵が救われた」というような正当化論が依然、根強いからだ。
だが、その米国にも変化の兆しがないわけではない。
この夏、日系米国人のスティーブン・オカザキ監督の映画「ヒロシマナガサキ」が日本で公開されている。
この映画が画期的なのは、米国で4000万世帯が加入するケーブルテレビが、制作資金を出したことだ。そのケーブルテレビで6日から全米に放映される。
映画は被爆者14人と、原爆を投下した米軍機の乗員ら4人の証言でつづられる。投下の瞬間や、治療を受ける被爆者の映像が生々しい。500人の被爆者から話を聞き、完成まで25年を費やした。
オカザキ監督は「9・11のテロ以降、米国人は核兵器が使われるのではないかということに現実味を感じている。今ほど被爆者の体験が重要な意味を持つ時代はない」と語る。
広島では14万人が犠牲になり、長崎の死者は7万人に及んだ。生き残った人や後から被爆地に入った人も放射能の後遺症に苦しんだ。その恐怖を米国も共有する時代になったのだ。
久間発言によって鮮明になったことがある。日本の国民には、核を拒否する気持ちが今も強く生きているということだ。それを世界に示したことは、思わぬ効用だったかもしれない。
この怒りを大切にすること。それは日本の使命である。
朝日新聞
原爆の日が、まためぐってきた。6日に広島、9日に長崎へ原爆が落とされ、62年がたつ。
今年の被爆地は昨年までとは、いささか様相が異なる。長崎県出身で防衛相だった久間章生氏が原爆投下について「しょうがない」と述べたことが、さまざまなかたちで影を落としているのだ。
久間氏の発言をもう一度、確かめておこう。
「原爆が落とされて、長崎は本当に無数の人が悲惨な目にあったが、あれで戦争が終わったんだ、という頭の整理で今、しょうがないな、というふうに思っている」
●人が虫になった
「原子爆弾を炸裂(さくれつ)させた時、ひとは神さまを捨てて、みんな虫になってしまったのだとわたしは思います」
被爆2世である芥川賞作家の青来有一(せいらい・ゆういち)氏は、小説「爆心」で、長崎の被爆者の心境をこうつづっている。
天災ならまだしも、心のある人間が、これほどの大量殺人を犯すわけがない。まして、原爆が落とされたのは、長崎市でもキリスト教徒の多い浦上地区だった。自分たちと同じ信仰を持つ米国人が、そんな無慈悲なことをするとは信じられない。人間ではなく、きっと虫になってしまったのだ。そんなあきらめにも似た思いが伝わってくる。
だが、それは「しょうがない」という気持ちとは違う、と長崎市の平和推進室長を務める青来氏は言う。「多くの被爆者は長い時間をかけて過去の傷をのみこんできた。もうこの先、地球上で核兵器を使わないようにするのならと、心の中で決着をつけてきたんです」
被爆者には、仕返ししたい気持ちや恨みに思うことがあっただろう。だが、自分たちのような悲惨な体験はこれで最後にしたい。そう考えることで、多くの被爆者は、仕返しや恨みの気持ちに折り合いをつけてきたのだ。
そうした複雑な感情も知らないで、被爆体験のない人から「原爆投下はしょうがない」などと安易に言われてはたまらないということだろう。
●「非核」をどう訴える
病理学者で原爆投下の歴史に詳しい土山秀夫・元長崎大学長は、むしろ久間氏が「しょうがない」の後に続けた言葉に注目する。「国際情勢とか戦後の占領状態などからいくと、そういうこと(原爆投下)も選択肢としてはありうるのかな」という部分だ。
直接的には過去のことを語っているが、現代でも場合によっては、核兵器を使うことができるとも聞こえる。現職の防衛相の言葉だけに、被爆者は怒りを増幅させたというのだ。
世界を見渡せば、インド、パキスタンに続き、昨年は北朝鮮が核実験をした。核保有5大国の核軍縮は進まず、核不拡散条約(NPT)の信頼が揺らぐ。
国内では麻生外相らが核保有の議論をすべきだと説く。そこへ、久間発言である。核兵器への抵抗感が、政治家の間で薄れているのではないか。そんな不安にかられたのは被爆者だけではない。
だが、果たして日本の国民は、久間氏の発言を一方的に非難ばかりできるのだろうか。そんな自問もしてみたい。
日本はかつてアジアの国々を侵略し、米国に無謀な戦争を仕掛けた。しかも、無数の人命を犠牲にして、負け戦をずるずると引き延ばした。その揚げ句に落とされた原爆なのだ。
一方、戦後の日本はといえば、圧倒的な軍事力を持つ米国と安保条約を結び、「核の傘」に頼ってきた。それでいて、「非核」を訴えるという居心地の悪さもある。
そうした事実を直視し、考えるきっかけにしなければいけないのではないか。
問題は、だからしょうがないではなく、世界に同じ悲劇が起きないように、日本が何を訴えていくかだ。過去の歴史を反省し、アジアの国々と手を携える必要があるのはいうまでもない。
●米国にも変化の兆し
久間発言を支持したのは、多くの米国民だったかもしれない。
米国では「原爆投下で戦争が終わり、100万の米兵が救われた」というような正当化論が依然、根強いからだ。
だが、その米国にも変化の兆しがないわけではない。
この夏、日系米国人のスティーブン・オカザキ監督の映画「ヒロシマナガサキ」が日本で公開されている。
この映画が画期的なのは、米国で4000万世帯が加入するケーブルテレビが、制作資金を出したことだ。そのケーブルテレビで6日から全米に放映される。
映画は被爆者14人と、原爆を投下した米軍機の乗員ら4人の証言でつづられる。投下の瞬間や、治療を受ける被爆者の映像が生々しい。500人の被爆者から話を聞き、完成まで25年を費やした。
オカザキ監督は「9・11のテロ以降、米国人は核兵器が使われるのではないかということに現実味を感じている。今ほど被爆者の体験が重要な意味を持つ時代はない」と語る。
広島では14万人が犠牲になり、長崎の死者は7万人に及んだ。生き残った人や後から被爆地に入った人も放射能の後遺症に苦しんだ。その恐怖を米国も共有する時代になったのだ。
久間発言によって鮮明になったことがある。日本の国民には、核を拒否する気持ちが今も強く生きているということだ。それを世界に示したことは、思わぬ効用だったかもしれない。
この怒りを大切にすること。それは日本の使命である。
朝日新聞
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