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垂井 歴史を巡る旅

2013-08-03 00:37:23 | 旅行
垂井 歴史を巡る旅

今回は、大垣と米原の間にある垂井町をサイクリングしながら、奈良時代の垂井の繁栄を示す建物、竹中半兵衛の本拠地 を示す神社/寺院を巡る旅を紹介します。

垂井は、奈良時代の平城宮があった時代に美濃国の国府があった場所で、奈良時代から栄え、江戸時代には、垂井宿場があり、交通の要所として賑わっていました。
現在は、相川の桜、竹中半兵衛の本拠地としての史跡、垂井宿場町 が主な観光です。

JR垂井駅前の観光案内所でレンタサイクルを500円で借りてスタートです。
北西に約1kmの南宮御旅神社へ約10分ほどで到着。

当社境内の森が、美濃国府跡だったらしく、美濃国総社であったと考えられる神社です。
昔は、 美濃国府がこの辺りにあったらしいということで、付近からは国府の遺跡が多数出土しています。

次は、垂井から2.5km北西にある竹中半兵衛水車です。
半兵衛が農政にも力を入れていたことを記念する水車です。

水車から200mほど南側に竹田半兵衛の墓がある禅幢寺があります。

禅幢寺に入ってお参りし、半兵衛の墓を探しました。
一番奥から2番目の左端にある家のような形のお墓が、竹中半兵衛の墓です。

半兵衛は、36才の時、秀吉の中国地方「三木城責め」の際、肺病で死亡したとされています。
秀吉が軍師としての才能を半兵衛に見出し、家来にして参謀として黒田官兵衛とともに重用しました。それ以降半兵衛は、斬新な戦法で秀吉の勝ち戦に貢献しました。
いつの世も同じですが、名を残した人物は運命的な人に出会っているということです。
みなさんも運命的な出会いができ、成功するよう実力をつけておきましょう。

来年2014年の大河ドラマは、「軍師官兵衛」に決まり、竹中半兵衛は、主人公黒田官兵衛の良きライバルであったため、この垂井も来年は大河ドラマブームで観光客で賑わうことが期待されます。

次は竹中半兵衛の陣屋です。禅幢寺から300mほど南にあります。
竹中半兵衛の拠点であった陣屋跡には白壁の正門、がっしりとした石垣が残っており、堀の一部も残っています。この陣屋は、当時の一族の隆盛を偲ばせています。

半兵衛の立派な銅像も正門左にあり、南側から銅像と陣屋跡をいっしょに撮ると良い写真が撮れます。
次は陣屋から南南西に1kmほどいった伊富岐神社です。

ここには、本殿の左側に岐阜県の天然記念物の伊富岐神社の大杉があります。
幹周:6.3m、樹高:30m、根周り:9.6mと巨大です。

垂井の各神社は奈良時代から続くものが多いため、手水舎の水が出る所は、龍の口で芸術性のある美術品です。


ここから南東に20分ほどサイクリングして南宮大社へ行きます。

朱色の立派な本殿があり、その前には舞いのための高舞殿もあります。
大きな敷地に鮮やかな神殿で立派な神社です。
車のお祓いや人のお祓いがなされていました。

ここから西へ500mほど坂道を登って行くと真禅院に到着です。

ここには三重塔があり、高台で垂井の平野が一望できます。

ここから東に10分ほどサイクリングして、タルイピアセンターへ行きます。

ここは、垂井の歴史を勉強できる所で、常設展は、無料で宿場町などの歴史を勉強できます。

次に相川橋から垂井宿場町へ。

まず、油屋宇吉家跡です。
ここは商家で江戸時代の建物そのものが現存しています。
中へは入れませんが、現存なので外観だけでも見る価値があります。

続いて広重が中山道六十九次の垂井宿として描いた「西の見付跡」です。
今は、江戸時代とは景色が大きく変わっていますが、少し当時の面影も残っています。
江戸時代の広重の絵と現在の写真を見比べてください。

ここから東へ5分ほどサイクリングし、さらに100mほど南下すると垂井の泉です。
清水100選の澄みきった清流が湧いています。

鯉が泳いでいて、地元のお子さんが池の下流にある水貯めで涼をとっています。
湧いている水は、15度くらいで冷く気持ちがいいです。
この泉のそばの丘には、垂井城跡があります。

平塚氏の居城だったそうで、西軍の大谷氏のもとで関ヶ原の戦いを勇敢に戦ったそうです。
約4時間のサイクリングの旅でした。
レンタサイクルを返却して旅は終了です。


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