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大阪茨木市 太田茶臼山古墳をめぐる旅

2016-03-03 01:46:11 | 古墳巡り
今回は、大阪茨木市の北東部にある太田茶臼山古墳をめぐる旅を紹介します。
阪急「茨木市」駅の北側バス乗り場から「花園・東和苑」行きのバスに15分ほど乗車し、「太田」で下車。
東の方向へ300mほど歩くと北側に古墳が見えます。これが、太田茶臼山古墳です。
太田茶臼山古墳は、宮内庁により「継体天皇三嶋藍野陵」として第26代継体天皇の陵に治定されている古墳です。
 
 
継体天皇は、507-531年に即位した26代天皇です。
 
この古墳は、前方後円墳で、墳長はおよそ230mで、後円部の径はおよそ140m、前方部の幅はおよそ150mです。
馬蹄形の周濠があるが、かつては二重濠であったと推定されています。
周囲には陪冢という小古墳が点在しています。
 
古墳の東南端から出発します。
 
まず、堀の向こうに古墳が見えます。
この東側には、藍野病院という大きな総合病院があります。
 
しばらく進むと右手に「くすのき公園」があり、この中に、「継体天皇陵陪冢」という小古墳があります。フェンスで厳重に保存されています。
 
さらに北上すると道路の中央に島のように「継体天皇陵陪冢」があります。
 
北上し、名神高速道路に沿い西に向かうと「さくら公園」があり、ここには「継体天皇陵陪冢」が2箇所もあります。
 
どの陪冢にも「継体天皇陵陪冢」と記載された石碑があるのみの木々の茂った小さな丘です。
 
ここから南下して行くと、太田東芝町の交差点があり、ここから西国街道を東へ向かいます。
 
暫くいくと太田神社の入口があります。
ここから太田神社までは参道のはずですが、普通の住宅地の道路です。
300mほど行くと神社の鳥居に到着です。
太田神社は、平安時代に建てられたとされている神社です。
 
拝殿があり、その奥に本殿がありますが本殿へは、立ち入り禁止です。
拝殿は、粗末な建物で、ただの物置になっています。
太田神社は、粗末な神社で期待はずれです。
 
気をとり直して東へ向けて歩いていくと太田公民館があり、 太田茶臼山古墳を説明する看板があります。
公民館からは、古墳の西南端の堀を見ることができます。
 
しばらく進むと遠くに継体天皇三嶋藍野陵が見えてきます。
一旦南下して、正式な継体天皇三嶋藍野陵の入口から入ります。

 
 
この天皇陵は、白い砂利を敷き詰めた天皇陵らしいたたずまいです。
 
太田茶臼山古墳は、公開しておらず、古墳南側と東側が少し見えるだけですが、
継体天皇三嶋藍野陵をみることができます。
 
古墳1週の散策には、1時間ほどあれば完了します。
 
古墳時代の古墳があった地域をめぐり、遠く古墳時代に思いを馳せる旅に行ってみてください。

長野県 茅野市 尖石縄文考古館付近を散策する旅

2014-11-24 01:11:57 | 古墳巡り
今回は、長野県茅野市の縄文考古館を巡る旅を紹介します。

茅野市は、諏訪市の東側の市で、八ヶ岳、白樺湖、蓼科高原、車山など観光資源を多く抱える諏訪地方の市です。
赤色部分が茅野市です。


JR中央本線の茅野駅からバスで20分 580円で尖石遺跡に到着です。
入場料500円です。

茅野市近郊は、縄文時代(紀元前3000年~2000年ごろ)に縄文文化が栄えた地域です。
この地域は、その後弥生時代に気温が低下し、人が住まなくなった地域です。

入口を入ると国宝「縄文のビーナス」、「仮面の女神」の複製が出迎えてくれます。

入口すぐに尖石遺跡が多数存在していた状況を模型で説明しています。

次に入口左手に、縄文のビーナスのビデオ説明があり、ここで縄文時代の土偶の役割と縄文のビーナスの生い立ちを説明してくれます。
縄文時代の小さな土偶はほとんどが壊され手足頭が別れて出土しています。
これは、土偶は人々の病の場所を治すために作られたものです。
病気の人が祈祷してもらった後、土偶を破壊して祈ったため、土偶は手足頭を分割して制作し、土で合体して製作され、最初から壊れやすいような構造にしていたそうです。
国宝の土偶2体は、比較的大きいものであり村の象徴的な役割であったため、破壊されずに残ったと言われています。
また縄文のビーナスには、雲母を土に混ぜ、土偶がうっすらと輝くようにし、村のシンボルにしていたようです。

展示室Aから入ります。

ここには、尖石遺跡発掘の歴史が考古学者の紹介で説明されています。


展示室Bには、国宝「仮面の女神」、「縄文のビーナス」が展示されています。


仮面の女神は実物ですが、縄文のビーナスは、複製です。
「仮面の女神」は、4000年前と推定される土偶で、中空の構造で、軽くできています。
土偶の横に出土状況が模型で紹介されており、横たわった状態で出土しています。

次に「縄文のビーナス」の複製です。

この土偶は中実で重く、5000年前と推定されています。
妊婦を表しており、子孫繁栄を願ったものと推定されています。

次に展示室Cに向かいます。

ここには、茅野市の尖石遺跡で発掘された土偶、土器が多数展示されています。

展示室Dには、縄文人の服装が服を編んで作った様子、縄文時代の暮らしがビデオで紹介されています。

この奥には土器・土偶作りの体験ができる学習コーナーがあります。
これで管内の展示は終了です。

次に考古館の外にある与助尾根遺跡の復元住居に向かいます。
竪穴式の住居が6棟あります。

登呂遺跡のものとよく似た構造です。

次に道路を渡って尖石遺跡へ行きます。

ここには住居跡があり広大な公園になっています。
石で囲われた竪穴式住居の跡が数カ所あります。

この公園を進んでいくと尖石があります。
この石は先の尖った石で神の石としてあがめられていたものです。

バスでJR茅野駅に戻り、駅の東口にある茅野市民館に向かいます。


この市民館は、2005年に建てられたコンサートホール、アトリエ、ギャリー、図書室がある芸術的な会館です。
外側がガラス張りで駅に沿ってあり、茅野市で一番芸術的で近代的な建物です。


椅子も多数あり、休憩や図書室での読書もできる市民の憩いの場所です。

茅野市といえば、蓼科、白樺湖、八ヶ岳などが有名ですが、現在茅野市は、「縄文の里」というキャッチフレーズで尖石縄文考古館を売り出しています。
茅野市「縄文の里」へお立ち寄りください。

大阪高槻市 「今城大王の杜」前方後円墳の紹介

2014-09-16 23:26:15 | 古墳巡り
今回は、大阪北東部の高槻市にある古墳を紹介します。

JR摂津富田駅で下車し、北部へ徒歩30分ほどで「いましろ大王の杜(だいおうのもり)」に到着です。
バスの便もありますが本数が少ないので、徒歩がお奨めです。

「いましろ大王の杜」には、今城塚古墳があり、「今城塚古代歴史館」、「今城塚古墳公園」があります。

まず、古代歴史館から訪問します。

入場無料です。時々開催される特別展は有料です。

史跡今城塚古墳は、531年に没した第26代継体天皇の陵墓と考えられており、淀川流域で最大の前方後円墳です。
西向きの墳丘の周囲には二重の濠がめぐり、総長約350メートル・総幅約340メートルの大きさです。

今城塚古墳は、2004年から史跡公園として整備され、10年にわたる発掘調査の後、日本最大の家形埴輪や精緻な武人埴輪が発見され、古代体験ミュージアムとして2011年に開館しました。

常設展示室
3世紀から7世紀の「古墳時代の三島」をテーマにした常設展示。実物の埴輪(はにわ)や豊富な出土品を展示しています。


祭祀はにわ群 
発掘された断片を貼り合わせ復元しています。


家形石棺 
断片から明らかになった九州産の石材を使って実物大に復元。
中に大王の遺体がどのようにあったかを実物大で展示しています。


企画展示室
春と秋の特別展のほか、小中学生・家族向けの企画展など、テーマをしぼった企画展示をします。

体験学習室
ロウ石の勾玉(まがたま)づくりや、本物の土器片にふれられる体験学習などが楽しめます。

次に、今城塚古墳公園へ向かいます。
ここも無料です。

外堀の堤防に埴輪が多数配置されていて見事な景色です。


内堀では市民がキャッチボール、テントを張ってくつろいでいます。

実在の前方後円墳に入ることができます。
内堀に水は無く、古墳の中央部から登って入って行きます。

丘の上のような場所で後部へ向かって歩いて行きます。

古墳には、特に珍しいものはなく、ササの繁った道を歩いていきます。
古墳後方には、小さな広場が後部中央、後部西端にあります。

ここには、多数の埴輪が立っていた場所です。
次に、古墳前部へ向かいます。
前部の広場には、排水溝があったそうです。

次に、古墳から出て内堀を渡り、外堀の堤防から古墳全体を眺めます。

早大な古墳です。

最後に、今城塚古代歴史館に戻り、体験学習室で勾玉(まがたま)づくりを体験します。
300円で1.5時間ほどで勾玉(まがたま)を造ることができます。


スタッフが丁寧に指導してくれます。

古墳のなかに自由に入ることができ、公園として利用できる古墳は、この今城塚古墳のほかにありません。

鉄道下車後、3kmほど歩くため、少し遠いですが、感動します。
一度お立ち寄りください。