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津和野、萩を巡る旅

2014-04-30 07:06:56 | 鉄道とバスの旅
今回は、津和野から萩を巡る旅を紹介します。

津和野に夜到着し、津和野の旅館「よしのや」で1泊します。
「よしのや」は、古民家を改造した小京都の趣きのする旅館です。
旅館の昔ながらのサービスを受けられます。

翌朝8時、津和野を散策します。
まず、殿町通りのコイを見ます。水路に色とりどりの大きく太ったコイが泳いでいます。
水路には、菖蒲が植わっており、5月に来れば花とコイが鮮やかです。

次に津和野カトリック教会を訪れます。
この教会は、木造で、一面に畳が敷かれています。
祭殿には、マリア様の像があり、こじんまりとした美しい教会です。

お祈りをします。
次に道の向かいにある津和野役場へ行きます。
木造の旧役場が今は、観光マップなど観光資料を置いてあります。

ここから南に向かって歩いていくと、津和野大橋のたもとに設置されている「鷺舞のモニュメント」が、見えます。鷺舞(さぎまい)は、京都の八坂神社で行われていたものを大名 大内氏が持ち帰り、津和野で受け継がれている国の重要無形文化財です。
京都では、鷺舞(さぎまい)は廃れたので貴重です。

ここで休憩して、津和野名物 源氏草子 の和菓子をいただきます。
適度な甘さのこしあんで美味しいです。

次に永明寺へ向かいます。
この寺には、津和野生まれの森鴎外、本名 森林太郎の墓があります。
本殿と反対側の石垣の上にあります。

時間がないのでお墓の写真を撮って、急いで次の乙女峠マリア聖堂へ向かいます。

永明寺から15分ほどして乙女峠マリア聖堂に到着です。
ここは、江戸時代、長崎浦上村のキリスト教信徒153名を収容した寺で、津和野藩により信徒に対して拷問が行われ、36名の殉教者を出した所です。
その際、日本国内ではじめて聖母マリアが顕現したといわれる場所です。
その後、1948年にマリア聖堂が建造され、ステンドグラスには当時の悲劇の様子が描かれています。
痛ましい状況で、胸が痛みます。

次に津和野城へ向かいます。
津和野駅から南西に40分ほど歩き、リフトに乗って山上に向かいます。

リフトを降りて、15分ほどすると城跡に到着です。
津和野城は津和野盆地の南西部に横たわる標高367メートルの山城です。
鎌倉時代に吉見頼行公が築城し、江戸時代は津和野藩亀井氏の居城です。
現在は石垣が残るのみです。城跡からは正面に秀峰青野山、眼下に津和野の町並みが見渡せます。


昼飯を津和野でいただき、津和野駅前からバスで、山口県萩へ向かいます。
JR益田から山陰本線でも行けますが、電車の便は少なく、バスが便利です。
100分ほどバスに乗るとは東萩駅に4時過ぎに到着です。
萩では、城下町を散策し、晩飯は、新鮮な日本海の魚の刺身を食べ、1泊します。

翌朝萩市内を散策します。
まず、駅前でレンタサイクルを借りて松陰神社へ向かいます。
1890年に吉田松陰を祀って建てられた神社です。

松陰神社前の大きな鳥居から入っていきます。
神社の本殿までには、吉田松陰歴史館、松下村塾、松陰神社宝物殿 があります。

吉田松陰歴史館では、松陰などを蝋人形で見れ、その歴史を勉強できます。
松下村塾は、当時の塾が小さな家として保存されています。

神社は、学問の神様です。ここで参拝します。

次に萩市の中央にある高杉晋作の生まれた家を訪問します。
建物は江戸時代のものより縮小されていますが当時の面影をよく残しています。
敷地内には、晋作ゆかりの品や句碑・産湯の井戸などがありますが、立ち入り禁止で、見れる所は少ないです。

晋作は、松下村塾に通い、我が国初の軍事組織“奇兵隊”を創設し、討幕戦を指導した人物です。1867年結核のため、29歳の若さでなくなりました。

昼飯を食べ、午後は、萩城跡を訪れます。
萩市の西端にあります。
萩城は1604年に毛利輝元が築城。現在は石垣と堀の一部が残っています。

天守閣跡、梨羽家茶室、旧福原家書院、万歳橋、東園などの旧跡があります。
関ヶ原の戦いで敗れた毛利氏は、周防国・長門国の2ヶ国に減封されたため、広島城に代わる居城として1604年に築いた城です。

指月山の山麓にある平城(天守閣、本丸、二の丸、三の丸)と山頂にある山城(詰丸)で構成されています。本丸は、250年余りの間、長州藩の中心でした。

城は明治時代に取り壊され、石垣や堀のみが保存され、指月公園(しづきこうえん)として、二の丸入口近くに旧厚狭毛利家萩屋敷長屋があり、松下村塾や侍屋敷などとともに萩市の観光名所となっています。
二の丸南門近くには、毛利輝元の像があります。この像は新しく、2004年に萩開府400年を記念して設置されたものです。

山口県萩市は、幕末から明治維新の時代に中心となった地域で、多数の観光スポットがあります。
萩市を訪れてみてください。

島根県 石見銀山をめぐる旅

2014-04-26 20:08:22 | 鉄道の旅
出雲市からJRとバスで世界遺産 石見銀山をめぐる旅を紹介します。

JR大田市駅前からバスで石見銀山へ向かいます。
バスは、1時間に1本の割合で、大森代官所跡まで行きます。
630円で、25分で到着です。
大森代官所跡の前にあるレンタサイクルで電動サイクルを2時間700円で借ります。
その時に、お店の方が石見銀山の観光スポット、所要時間など教えてもらえます。
自転車でめぐる際の時間の目安は、急いで2時間、ゆっくりで3時間必要です。
徒歩では、急いで3時間、じっくりとなら4時間かかります。
自転車は、電動式でないと登りで疲れるので、電動式がお勧めです。
まず、銀坑道の龍源寺間歩へ向かいます。
大森代官所跡からは3kmですが、登り道です。
まず街並みを1kmほど通ります。ここは平坦とゆるやかな登りです。

素朴な江戸、明治時代の商店街があります。
ソバ、ソフトクリーム、民芸品などの店、武家屋敷などが所々にあります。信州の奈良井宿に比べると1/4くらいの店の数です。
街並みを過ぎると小川に沿ってややきつい坂道を登って行きます。
電動サイクルを選択したので楽に登って行けます。
所々で写真を撮るので30分ほどして龍源寺間歩に到着です。

間歩の手前の駐輪場に自転車を止め、入場料410円で坑道に入ります。
この石見銀山には、間歩(まぶ)という坑道が600ほどもあります。
龍源寺間歩へ行く途中にも間歩が道の脇に多数あります。
幅30cm、高さ60cmほどの小さいものが多く、小さい間歩は、這いつくばって地表近くの鉱脈から銀鉱石を掘ったものです。
石見銀山は、16世紀中ごろの戦国時代から大正時代まで約400年発掘された銀山で、日本で最初に発見された銀山です。
江戸時代初期がピークで年間40トンも取れたそうです。
街の人の話では、江戸時代末期には、石見町に数万人もの人々が住み着き、石見町が活気に満ち、海外からの輸入品も街に出回っていたそうです。
龍源寺間歩は、大規模な坑道で幅1m、高さ1.8-2mほどあります。
ひんやりとしており、水が所々で落ちてきますので気をつけてください。
坑道はライトアップされていて、メインの坑道に沿って小さな間歩が多数彫られています。

鉱夫は、螺灯(らとう)というサザエの殻に油を入れて火を灯した灯りだけを頼りに掘り、換気が悪かったため30才くらいでじん肺などが原因で死ぬ人が多数でした。しかし、給料は高く優雅な生活を送れたようです。
螺灯をイメージキャラクターにした「らとちゃん」がマスコットで土産になっています。
龍源寺間歩は、全体の1/3(160m)ほどの坑道が公開されています。
立ち入り禁止の所の前は、広いスペースになっていて、先の間歩をバックに記念写真を撮れます。

ここから左折すると出口に向かう登りのトンネルです。トンネルの壁には、銀山の鉱夫の労働、生活を描いた絵と説明が展示されています。


龍源寺間歩見学は、30分ほど時間を確保しておいてください。
出口で銀鉱石を見せていただきました。銀色ではなく濃い茶色の細い線のみが銀です。

次に、清水谷製錬所跡へ行きます。来た道を1/5ほど戻って右折し、少し坂道を登ると石垣とレンガの製錬所が見えます。5箇所製錬する炉があります。石垣が6層になっていて炉は、4層目にあります。城跡のようで周囲とマッチした風景は、石見銀山で1番美しい場所です。
丘になっているので周囲の景色も見てください。

次に石見銀山公園を過ぎて五百羅漢へ向かいます。羅漢寺で500円払って、向かいにある羅漢という石仏を見ます。
中国にあるような石山をくり抜いて、石仏がある寺です。
多数の石仏が3箇所に設置されています。
色あせていますが、江戸時代はさぞ美しい石仏だったと思います。

次に街並みへ行き、旧河島家を見学します。武家屋敷です。
ここで4館共通券を1000円で購入します。500円お得です。
2回には立派な鎧兜が展示されています。

ここで2時間となり、自転車を返却し、後は徒歩で巡ります。
石見銀山資料館で銀鉱石や銀山の歴史を学びます。

次に、熊谷家住宅です。
銀山の経営、酒造業、郵便事業など多くの事業を手がけた実業家の家です。
広大な敷地に数えきれない多数の部屋があり、裕福さが伝わってきます。

次にバスで世界遺産センターへ向かいます。
ここでは、銀の製錬方法、銀の鉱脈など模型とビデオで説明してくれます。

ここから、バスで大田市へ戻り、津和野で1泊します。
津和野の旅については、次回紹介します。

鳥取市、米子城、出雲大社をめぐる旅

2014-04-23 00:04:35 | 鉄道の旅
鳥取市、米子城、出雲大社をめぐる旅を紹介します。

大阪駅から新快速で姫路、上郡へ行き、上郡駅から智頭急行の「特急いなば」に乗ります。1時間20分ほどで鳥取駅に到着です。

鳥取駅北口から真っ直ぐ北へ本通りを10分ほど歩いていくと袋川の桜土手に到着です。
桜は、満開から散り始めの状態です。

4/5,6に「きなんせ広場」で鳥取さくら祭りが開催されるため、会場準備で
TV局の撮影準備がされています。

鳥取から米子へ快速で行く途中、日本海の荒波、山陰最古の駅舎:御来屋駅(みくりや)、大山口手前の巨大な風力発電が見れます。

伯耆大山駅では、雄大な大山が近くに迫って見え、迫力があります。
大山は、高校生の時に夏山で登った山で、当時のことが懐かしくよみがえります。

伯耆大山駅からしばらくすると米子に到着です。

駅の西口から出て真っ直ぐ北東に向かい、5分でメインストリートを左折し、彫刻ロードを川に沿って米子城跡へ向かいます。

国道9号を渡り、アスファルトの坂道を登って行くと本丸跡中海展望所の掲示板があり、階段を登ると直ぐ中海展望所に到着です。
一服して、本丸を目指して登っていくと10分くらいして石垣が見えて来ます。
その上が本丸です。

本丸は、芝生が植えられていて結構大きな面積です。
本丸から先に天守閣跡があります。
米子城は、1591年に吉川広家が建設。1601年に中村一忠が五重の天守閣を築き、山陰一の名城になっています。
明治時代に解体され、現在は石垣をとどめるだけです。

天守閣跡には、基礎の石が多数残っています。ここは、山頂でもあり、日本海と米子の街が見渡せる素晴らしい景色です。
城跡を多数巡ってきましたが、この米子城の眺めは1、2位を争うほど素晴らしい眺めです。

米子からは、米子が始発の快速アクアライナーに乗ります。
アクアライナーは車両も新しくスピードも出て快適です。

出雲市に到着し、ここで一泊します。

翌朝、出雲市駅に乗り入れている一畑電車株式会社(いちばたでんしゃ、Ichibata Electric Railway Co.,Ltd.)に乗って出雲大社へ向かいます。
一畑電車は、出雲市にある一畑寺への参詣者輸送を目的としてできた電車で、
北松江線・大社線があります。


2010年に映画「RAILWAYS 」で使用された電車「デハニ50形」がホーム横に展示され、中を見学することができます。主役の中井貴一の名演技が懐かしいです。


出雲大社前終点で下車し、北へメインストリート(神門通り)を歩いていくと商店街があり、その先に鳥居があります。ここから出雲大社の敷地です。

参道を進むと右手に大きな柱が立っています。
これは、大和時代に出雲大社の横に高さ48mの高層の神殿があった時の柱を再現したもので、太い柱を3本束ねて高層建築を支えたそうです。

さらに進むと右手に大国主命が幸魂(さきみたま)奇魂(くしみたま)を拝戴している像があります。

御本殿(ごほんでん)は、大国主を祭っており、大国主大神さまのために建てられた宮です。高さ約24メ-トルの偉容は、御神徳(ごしんとく)にふさわしく比類のない大規模な木造建築の本殿です。本殿は、国宝です。本殿で拝みます。
2礼4拍1礼が出雲大社式の拝み方です。4拍は初めてです。

次に本殿の北西に彰古館という出雲大社の資料館へ行きます。
ここは、200円で出雲大社の歴史や出雲大社全体の模型があり、出雲大社の建物全体を把握できます。
模型は、2階にあります。高校生が製作したもので結構精巧にできています。
この模型で出雲大社の全体を把握できるのでお勧めです。

出雲大社は、昨年平成の大遷宮が5月に終了し、吹き替えられた屋根が美しいです。
ただし屋根以外は部分的な修理だけで、伊勢神宮のようにすべてを新築にするものではありません。

出雲大社は、縁結びの神社として有名です。
出雲大社は、昨年5月の60年ぶりの大遷宮で本殿が美しいですので、それを見に行ってください。

午後から次の訪問地 石見銀山へ向かいます。
次回、石見銀山をご案内します。

京都 奥嵐山 千光寺を訪ねる旅

2014-04-17 01:08:14 | JR御殿場線の旅
今回は、嵐山の西奥:大悲閣 千光寺を散策する旅を紹介します。

JR京都駅で山陰線嵯峨嵐山駅で下車し、まず、JR嵯峨嵐山駅の5分ほど北側にある染屋宗兵衛の会席料理をいただきます。

嵐山は、物価が高い地域で、昼食で3000円を少しオーバーしたコース会席料理をいただきます。
この会席料理は、天ぷら、豆腐など「だしの味」が良い日本食です。
12:00を過ぎるとどの店も満席になるので、11:30くらいの早い時間に行くのがお勧めです。

昼飯の後、渡月橋を渡り、中の島公園を過ぎ、桂川上流の保津川の左岸を奥嵐山へ向かいます。
嵐山は、渡月橋、嵐山公園、天龍寺を巡るのが観光コースですが、今回は、奥嵐山を訪れます。
途中、もみじの若葉が黄緑で、木の幹も苔むしていてグリーンに染まったもみじの小道を保津川に沿って登っていきます。

渡月橋から1kmほど上流には大きな岩が川の左岸に広がっています。

さらに進んでいくと、行き止りとなり、千光寺の参道が石段で始まります。
しばらく登って行くと受け付けがあり、400円を払って寺に入ります。

しばらく登って行くと鐘打ちがあり、1人3打売って良いとの掲示がありましたので、打ってみました。
大晦日の除夜の鐘でNHKで放送されたこともある鐘のため、ゴーンと鳴った後の音が永く続く良い音色です。

さらに登ると本堂があります。
本堂には、木像があり、縁側があって、保津川、嵐山、トロッコ列車、遠くに京都盆地が見渡せ、大文字山も見えます。


トロッコ列車が保津川の川沿いを走る姿は、まさに絵になる素晴らしい風景です。
トロッコ列車の通るダイヤを調べてシャッターチャンスを狙ってください。
幸い川向こうにトロッコ嵐山駅があり、ここで停車するので写真も撮り易いです。
双眼鏡も置いてあるので椅子に座ってしばし絶景を鑑賞ください。

今まで何度も嵐山へ行ってきましたが、山の奥にこんなに景色の良い寺があることを知りませんでした。
千光寺の本堂前では、抹茶もいただけます。
愛想の良い女性の店員の方が、本堂からの保津川の眺めは最高ですと自慢気に話され、トイレもありますと案内され、行って見ると最近できた美しいトイレを使用できました。
千光寺へは、渡月橋から往復3kmほどあり、嵐山の駅からは往復5kmほどにもなりますが、行ってみて良かったと納得できるみごとな景色を楽しめます。
保津川沿いには、ボート乗り場、遊覧船もあります。アベックならボートがお勧めです。

人ごみで賑やかな嵐山から一足伸ばすと、あまり知られていない寺と絶景をのんびりと満喫できます。是非、奥嵐山を散策してみてください。

高知市をめぐる旅

2014-04-13 19:33:29 | 鉄道の旅
徳島に続いて、高知市をめぐる旅を紹介します。

徳島県の大歩危からJRで高知駅に夜到着します。
高知の3英傑が駅前に立っています。

晩飯に、高知定食でカツオのたたきを食べます。
大阪や関西でもカツオのたたき定食はありますが、魚の鮮度の問題か何かで高知で食べるカツオのたたきはうまいです。
「はりまや橋」の近くで1泊します。

高知県は、土佐藩で明治維新の立役者 坂本龍馬の出身地で、四国で最大の面積を占める温暖な所です。

翌朝、坂本龍馬の生まれた場所へ向かいます。
高知駅から土佐電の路面電車に1日フリー切符500円を購入し、東西線の上町1丁目で下車し、すぐに「龍馬の生まれたまち記念館」へ向かいます。

入場料300円で、龍馬が若いころ住んでいた高知の街と歴史を紹介しています。
座敷に上がって龍馬と乙女姉さんと記念写真が撮れますので、順番を待って是非撮ってください。

次に、記念館の近くにある坂本龍馬誕生地の石碑が路面電車の通る中村街道にあるので、寄ってください。
立派な石碑です。

次に路面電車の高知城前で下車し、5分ほど北の高知城に向かって歩いて行きます。
追手門から入ります。
追手門をくぐると、「板垣退助の像」が見えてきます。
右手を挙げて立派なポーズをとっています。

次に石段を登ると、「山内一豊の妻像」が夫 一豊のためにお金をはたいた馬といっしょに見えます。
次に石段を4回登ると二の丸跡に到着です。

二の丸跡は、広い公園になっています。
ここから橋廊下を通って、本丸に到着です。
天守閣、本丸御殿があり、入場料金420円で両方に入れます。

天守閣は、4層6階になっていて、最上階から高知市街が一望できます。
高知城は、木造の天守閣がそのまま残っている全国12城の中でも、本丸も残っている唯一の城です。
本丸は、天守閣と廊下でつながっています。
本丸には、NHK大河ドラマ功名が辻で、仲間由紀恵さんが着た着物が展示されています。その他、上段の間があります。

本丸にしては、小さめの建物ですが、これほど当時の木造を残せている城は、他にはありません。
じっくりと鑑賞してください。
「山内一豊の像」も城の公園にありますので、お忘れなく。

土佐には、長宗我部元親という地元出身の武将がいて秀吉に従うまでは、四国をほぼ統一していた四国の英雄です。
長宗我部は、関ヶ原の戦いでは、西軍について義を守った大名です。
高知城の地には、長宗我部氏の城があった場所ですので、高知城に地元の英雄 長宗我部氏の記念館を建立して長宗我部をたたえてほしいと思います。

次に、城の南側の日曜市が日曜の朝から17時まで開催されています。
レモンの苗木、瀬戸物、古着、骨董品などが並んでいます。

日曜市の通りから2つ南側の通りに「はりまや橋」があります。
25年ほど前には、赤い橋だけがありましたが、16年前に、はりまや橋を掛け直し、東西にせせらぎを通して散策ができるように美化されています。

この橋は、江戸時代に、高知の豪商である播磨屋と櫃屋(ひつや)が、互いに本店が堀で隔てられていたため、この両建物の往来の為に架けられた橋が、美しかったため、「播磨屋橋」(はりまや橋)として現在に受け継がれています。
はりまや橋近辺で「カツオのたたき」をいただきます。高知のカツオのたたきは、うまい。

続いて、「自由民権記念館」へ向かいます。
高知駅前を南北に結ぶメイン道路の路面電車に乗り、南の方の桟橋車庫前で下車します。
まず、土佐電鉄の車庫がありますので、記念写真をとります。
車庫には、色とりどりの列車が並んでいます。

高知市は、土佐電の路面電車がほぼ5分ピッチ運転されていて、非常に便利です。
車庫から2分ほど北に向かうと「自由民権記念館」があります。
ここは、高知市出身の板垣退助の自由民権運動を記念したものです。
まず、国会のような階段を2階に上がり、ビデオで板垣退助の自由民権運動の歴史を把握し、展示品を見て行きます。

男女平等運動、板垣退助の書斎などが見れます。

バスで桂浜へ向かいます。
40分ほどで到着です。

ここでレンタサクルを借ります。
まず、坂本龍馬像を見て、桂浜を眺めます。
太平洋からの大きな波が打ち寄せており、夏でも海水浴はできません。
次に自転車で15分ほどで、「若宮八幡宮」へ参拝します。

長宗我部元親はこの神社に戦勝を祈願したといわれる神社です。
この神社から5分ほどで「長宗我部元親の像」に到着です。
左手で四国をつかもうとする勇敢な姿です。
ここで記念写真を撮り、海岸を走って桂浜へ戻ります。

桂浜からバスで高知駅に戻り、駅前から大阪行きの高速バスで帰宅します。
途中吉野川や鳴門の渦潮、明石海峡大橋を通り5時間ほどで大阪駅に到着です。
高知は、四国でも鉄道のアクセスが不便なため、バス利用がお勧めです。
南国高知へ 坂本龍馬、長宗我部元親を尋ねる旅がお勧めです。