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余呉湖と景勝地 賤ヶ岳を散策する旅

2013-08-26 01:04:15 | JR御殿場線の旅
余呉湖と賤ヶ岳
 今回は、長浜市北東部にあり、賤ヶ岳(約422m)を一つ隔てた琵琶湖の北にある余呉湖と景勝地 賤ヶ岳を散策する旅を紹介します。


JR余呉駅で下車すれば目の前に湖が広がっています。

余呉駅で駅員さんからレンタサイクルを借り、出発です。

余呉湖は、面積1.8km²の小さな湖で、琵琶湖の北端近くに位置します。
琵琶湖と同時期に出来たと言われ、古琵琶湖に包含されていたものが、約3万年前に独立したと言われています。
琵琶湖とは、古戦場として知られる「賤ヶ岳(標高422m)」で隔てられています。
夏は水面近くをフナの大集団が回遊する姿が見られ、冬には水鳥も飛来します。
湖畔には、遊歩道などの施設が完備されており、キャンプ場もあります。

レンタサイクルで大岩山登山口へ行き、ここから登山の開始です。
賤ヶ岳は、450mほどの低い山ですが、登山道は所々傾斜が大きく結構疲れます。
滑りやすい所もあり、キャラバンかジョギングシューズが必要です。
登山道は、高木で覆われており、途中でどこを歩いているかわからなくなることもあります。
地図のアプリでチェックしながら登山することをお勧めします。
途中2箇所で休憩をとり、約1時間半ほどで賤ヶ岳に到着です。

賤ヶ岳は、奥琵琶湖随一の景勝地となっているだけあり、余呉湖、琵琶湖が見れます。

賤ヶ岳は、賤ヶ岳の戦いが有名です。1583年豊臣秀吉と柴田勝家との戦いで、秀吉はこの戦いに勝利し、
その後日本統一を果たします。

山頂には賤ケ岳合戦の戦跡碑、戦没者の碑があり、柴田勝家の戦に敗れガックリと肩を落とした像があります。

私は、若い頃は、織田信長が好きでしたが、大人になり起点が聞き情けのある秀吉を尊敬し、今は、戦に敗れた武士を詳しく調べ、その生き様に興味をもっています。
柴田勝家は、信長の筆頭家臣でしたが、真面目な性格が災いし、秀吉の策略で戦に持ち込まれ、秀吉の相手をあざむく戦に敗れました。
私は、一途で正攻法に固執したガムシャラな武士 柴田勝家に魅力を感じます。
柴田勝家の肩を落とした像は、落ち込んだ表情が見れ、なかなかリアルな像です。
是非見てください。

夏でも山頂は、涼しい風が吹いており、気持ちいいです。
山頂で1時間ほど景色を眺め、また元の登山道を戻りました。
下山後、余呉湖をサイクリングして一周しました。

余呉湖を巡らないのであれば、木ノ本駅からバスで賤ヶ岳リフトまでいき、リフトで賤ヶ岳山頂までいけば体力を使わず絶景を見ることができます。
山頂までリフトで約6分、片道400円 往復760円。

大阪からも近く、余呉湖でキャンプをするのも良いです。

明知鉄道 岩村城 の旅

2013-08-19 00:43:50 | 城を巡る旅
今回は、岐阜県にある女城主で有名な岩村城、そして日本大正村 の旅を紹介します。

JR恵那駅で下車し、明知鉄道に乗り、岩村駅を目指します。


明知鉄道は、JRから第三セクターとして生まれた会社で、恵那から明智までを結んでいます。
1両編成の電車で、土日は観光客が多く列車は満員のときもあります。
今回は、旅行会社の明知鉄道に乗ってハイキングをする団体と同じ電車のため、満員です。
恵那駅から30分ほど田畑と山の周辺を進んでいくと岩村駅に到着です。
駅を降りると小雨が降りだしてきたので駅員さんからビニール傘を貸していただき、出発です。
往きは少し雨が降ったので傘は助かりました。



駅から10分ほどすると旧宿場町の岩村本通の町並みに到着です。
岩村本通りは商家の町並みとして、国の重要伝統的建造物群保存地区に選定されています。
岩村は江戸時代には、岐の政治・経済・文化の中心として栄えた城下町で、町家地区が、歴史的景観を良好に伝えており、「遊歩百選」にも「城址と古い町並み」として選ばれています。
現在も、保存地区内では地元の商店街が営まれており、生活感のある町並みが旅行者を穏やかな空気で包んでくれます。
保存地区内には、木村邸・土佐屋・勝川家・柴田家・上町まちなか交流館といった旧家が一般公開されています。
岩村名物「かんから餅」を食べました。


かんから餅とは、おはぎ のようなお餅を一口大に丸めたものです。
素朴な味でなかなかおいしいです。
店内では、お客さんがこの餅を食べています。人気があるようです。

一服して、岩村城へ向かいます。

岩村本通を通過して、山が見えてきます。
ここからは山道の始まりです。
傾斜はゆるいので普通の皮靴でもOKですが、ジョギングシューズがお勧めです。
ここから岩村城の本丸まではさらに約30分ほどかかります。
しばらく歩いていくと本格的な山道になります。

結構草が生い茂っているので、クモの巣には気をつけてください。
15分ほど歩くと石垣が見えてきます。
岩村城の入口に到着です。

ここから坂道は険しくなってきます。

安土城ほど険しくありませんが、櫓をすぎ、門をくぐっていくと二の丸、本丸が見えてきます。

本丸跡地は、広い場所で高度もあるので、周囲は、絶景が見渡せます。


岩村城について紹介します。
岩村城は恵那市の南部に位置し、明知鉄道明知線岩村駅の南東に位置する山城です。
城は明治6年に全て取り壊され、現在は城壁のみとなっています。
本丸が諸藩の居城の中で最も高い海抜717mに位置しており、日本三大山城の一つに数えられています。
三大山城: 岩村城(岐阜県恵那市)、高取城(奈良県高取町)、備中松山城(岡山県高梁市)
山城としての規模は大きく、また、その石垣は見事なものです。

本丸の外側に二の丸、西外側には出丸、二の丸の外側に三の丸を配置。本丸には二重櫓が2基あったが天守はなく、三の丸大手口にあった三重の到着櫓が天守の役目をしていました。

戦国時代には鉄壁の守りを誇る天下の名城で、武田氏と織田氏の間で争奪戦が繰り広げられた城です。
岩村城は、戦国時代 遠山氏の本城で、武田氏に備えていました。

信長の命で信長の叔母お直の方は、岩村城の遠山氏に嫁ぎますが、城主は、病死し、お直の方は、信長の六男の信吉を養子に迎え、岩村城の女城主となります。
このお直の方が女城主として現在有名になっておられる方です。
このような城の歴史をよく調べて旅に行き、現地を観光すると味わい深い旅になり、見るものすべてが意味深いものとなります。
本丸跡地で休憩し、岩村駅へ向かいます。

次に、明知鉄道の終点明智駅の日本大正村へ行きます。

ここは、大正時代を再現した町で、駅から20分くらいで大正ロマン館へ到着です。

この建物は、大正ロマンを感じる建物で、高台にあるため明智の街並みを2階のベランダからみれます。
次に、大正村役場を見て、大正村資料館で大正村、明智の歴史にふれます。
名前が明智ということで、明智光秀が生まれたと言われている場所です。
明智の南部丘陵、「千畳敷」の砦趾に明智光秀が生まれたことを示す「光秀公産湯の井戸」と称するものもあります。「光秀公の供養塔」もあります。
時間があれば、ゆっくり巡ってみたい所です。

今回は、歴史を愛する方々に岩村城をお勧めします。
駅から少し遠いですが、行ってみてください。
城はないですが、城を想像して歩くと楽しいものです。

富山県 黒部峡谷鉄道の旅

2013-08-12 01:36:56 | 鉄道の旅
黒部峡谷鉄道の旅

富山県宇奈月から欅平までを黒部峡谷鉄道で巡る旅を紹介します。
まず、名古屋から富山へ前日に入り、JR富山駅から富山地方鉄道で宇奈月温泉まで行き、宇奈月温泉で一泊します。

宇奈月温泉駅前には、温泉噴水があり、噴水の高さはコクコクと変化しています。

翌朝、黒部峡谷鉄道の宇奈月駅から鐘釣、欅平へ向かいます。

黒部峡谷鉄道は、座席分しか乗車券を販売しないため、土日は混みますので、ネット予約をしておきましょう。
黒部峡谷鉄道は、トロッコ列車で、春から秋だけ運行しており、冬は運休です。
冬の間は、雪に埋もれるため、黒部峡谷鉄道の横に掘ったトンネルで関西電力の黒部川第三発電所へ物資を補給しているそうです。

まず、宇奈月から鐘釣まで向かいます。料金1660円です。
列車は、軌道幅762mmのナローで、結構揺れます。
しかし、抜群の峡谷の眺めと涼しさを体感できます。
鐘釣から欅平で、涼しさは寒さへと変化しますので、夏でも長袖を準備しておきましょう。
宇奈月から約1時間で鐘釣に到着です。

ここで下車し、黒部川の川岸へ降りていきます。
目の前には、万年雪が夏でも見れます。


この川では、川原のいたるところで温泉が湧いていて、自分で石をどかして穴を作ると温かい湯が湧いてきます。
水着を用意しておき、さっそく露天風呂をこしらえます。

約30分もすると立派な川原の露天風呂が完成です。
万年雪を眺めての温泉は格別です。
手作り温泉に入った後、周辺を散策して終点欅平へ向かいます。

まず昼飯を駅で食べ、
欅平駅から奥鐘橋へ行きます。橋の向こうには、人喰い岩があり、山の下をくり抜いた歩道があります。
30分ほど散策して奥鐘橋を戻り、関西電力の黒部川第三発電所を遠くから眺めて
黒部峡谷鉄道で宇奈月まで戻ります。

今年は、ゲリラ豪雨が発生しますので、警報がなれば即駅に戻って脱出できるようにしましょう。
この黒部峡谷鉄道は、9月末からは、秋の紅葉も有名です。
秋には、ひと足速い紅葉を見にいきましょう。

帰りに富山駅で富山ライトレールのヨーロッパ風の路面電車「ポートラム」に乗ります。
ポートラムは、路面電車ですが、揺れが少なく座り心地のよいものです。

終点の岩瀬浜から富山湾の夕日を見て、名古屋に戻ります。
黒部峡谷の美しさ、涼しさを味わえ、トロッコ列車 / 富山ライトレールのポートラム に乗車できる旅です。


垂井 歴史を巡る旅

2013-08-03 00:37:23 | 旅行
垂井 歴史を巡る旅

今回は、大垣と米原の間にある垂井町をサイクリングしながら、奈良時代の垂井の繁栄を示す建物、竹中半兵衛の本拠地 を示す神社/寺院を巡る旅を紹介します。

垂井は、奈良時代の平城宮があった時代に美濃国の国府があった場所で、奈良時代から栄え、江戸時代には、垂井宿場があり、交通の要所として賑わっていました。
現在は、相川の桜、竹中半兵衛の本拠地としての史跡、垂井宿場町 が主な観光です。

JR垂井駅前の観光案内所でレンタサイクルを500円で借りてスタートです。
北西に約1kmの南宮御旅神社へ約10分ほどで到着。

当社境内の森が、美濃国府跡だったらしく、美濃国総社であったと考えられる神社です。
昔は、 美濃国府がこの辺りにあったらしいということで、付近からは国府の遺跡が多数出土しています。

次は、垂井から2.5km北西にある竹中半兵衛水車です。
半兵衛が農政にも力を入れていたことを記念する水車です。

水車から200mほど南側に竹田半兵衛の墓がある禅幢寺があります。

禅幢寺に入ってお参りし、半兵衛の墓を探しました。
一番奥から2番目の左端にある家のような形のお墓が、竹中半兵衛の墓です。

半兵衛は、36才の時、秀吉の中国地方「三木城責め」の際、肺病で死亡したとされています。
秀吉が軍師としての才能を半兵衛に見出し、家来にして参謀として黒田官兵衛とともに重用しました。それ以降半兵衛は、斬新な戦法で秀吉の勝ち戦に貢献しました。
いつの世も同じですが、名を残した人物は運命的な人に出会っているということです。
みなさんも運命的な出会いができ、成功するよう実力をつけておきましょう。

来年2014年の大河ドラマは、「軍師官兵衛」に決まり、竹中半兵衛は、主人公黒田官兵衛の良きライバルであったため、この垂井も来年は大河ドラマブームで観光客で賑わうことが期待されます。

次は竹中半兵衛の陣屋です。禅幢寺から300mほど南にあります。
竹中半兵衛の拠点であった陣屋跡には白壁の正門、がっしりとした石垣が残っており、堀の一部も残っています。この陣屋は、当時の一族の隆盛を偲ばせています。

半兵衛の立派な銅像も正門左にあり、南側から銅像と陣屋跡をいっしょに撮ると良い写真が撮れます。
次は陣屋から南南西に1kmほどいった伊富岐神社です。

ここには、本殿の左側に岐阜県の天然記念物の伊富岐神社の大杉があります。
幹周:6.3m、樹高:30m、根周り:9.6mと巨大です。

垂井の各神社は奈良時代から続くものが多いため、手水舎の水が出る所は、龍の口で芸術性のある美術品です。


ここから南東に20分ほどサイクリングして南宮大社へ行きます。

朱色の立派な本殿があり、その前には舞いのための高舞殿もあります。
大きな敷地に鮮やかな神殿で立派な神社です。
車のお祓いや人のお祓いがなされていました。

ここから西へ500mほど坂道を登って行くと真禅院に到着です。

ここには三重塔があり、高台で垂井の平野が一望できます。

ここから東に10分ほどサイクリングして、タルイピアセンターへ行きます。

ここは、垂井の歴史を勉強できる所で、常設展は、無料で宿場町などの歴史を勉強できます。

次に相川橋から垂井宿場町へ。

まず、油屋宇吉家跡です。
ここは商家で江戸時代の建物そのものが現存しています。
中へは入れませんが、現存なので外観だけでも見る価値があります。

続いて広重が中山道六十九次の垂井宿として描いた「西の見付跡」です。
今は、江戸時代とは景色が大きく変わっていますが、少し当時の面影も残っています。
江戸時代の広重の絵と現在の写真を見比べてください。

ここから東へ5分ほどサイクリングし、さらに100mほど南下すると垂井の泉です。
清水100選の澄みきった清流が湧いています。

鯉が泳いでいて、地元のお子さんが池の下流にある水貯めで涼をとっています。
湧いている水は、15度くらいで冷く気持ちがいいです。
この泉のそばの丘には、垂井城跡があります。

平塚氏の居城だったそうで、西軍の大谷氏のもとで関ヶ原の戦いを勇敢に戦ったそうです。
約4時間のサイクリングの旅でした。
レンタサイクルを返却して旅は終了です。