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正義の定義とは,時代によって変化するのもである!?

2006年09月05日 | 雑談
今回は,書きだめてあるマッタリ記事をアップしようと思いましたが,ホリエモンの初公判が行われたことに関連し,急遽予定を変更し,最近思っていたことを書いてみたいと思います。

皆様もご存知かと思われますが、ホリエモン裁判については、「公判前整理手続」という、あらたに設けられた手続きによって進められております。

読んで字の如く、「公判前整理手続」というのは、第1回公判までに、当該裁判の争点を裁判官、検察官、弁護人の間で協議し、公判段階にスピーディな審理を実現させることを目的とした制度であります。

この制度、一見裁判の迅速化が図れて素晴らしい制度に見えますが、実はこれ、従来の刑事裁判の理念を180度覆す制度なのであります。

大学の講義で刑事訴訟法を専攻した方なら「起訴状一本主義」という言葉を聞いたことがあるかと思います。
これは、簡単に言えば、裁判官に予断をもって裁判に臨ませないようにするために、第1回公判までの間は、担当裁判官には起訴状以外の事件の資料を見せてはならないという原則であります。

はっきりいって、この「起訴状一本主義」と今回の「公判前整理手続」とは、まさに相反する理念であり、弁護士会や法律学者などの間で議論を呼んでいるところでありますが、私が知るかぎりでは、この相反する二つの制度を共存させるうまい説明がなされている文献,解説を見たことがありません(単に私が勉強していないだけだという原因もありますが…)。

確かに、裁判官が被告人に対する予断を持たずに裁判に臨むという理念は、過去における人類の悲劇の歴史から産まれた美しい産物なのだと思われますが、あらためて思うに、今のご時世、大事件になればなるほどマスコミは騒ぎ立て、メディアにおいて報道合戦が繰り広げられ、当然裁判の前から裁判官もそれらの報道を見ているわけです。
その意味で,これまでも真の意味で「起訴状一本主義」が守られていたのかというと,否と言わざるを得ないでしょう。
(まあ,話題にもならない通常の事件なら問題はないでしょうが…)

本当に裁判官の予断を排除するならば,テレビも新聞も,パソコンもない隔離した部屋に裁判官を隔離して,第1回公判に望ませることまでしなければならないでしょう。

要するに,「起訴状一本主義」という実質的に機能を果たし切れているかどうか不明な理念を徹底して時間を無駄に費やすことと,裁判の迅速化とを天秤にかけ,産み出された苦渋の産物が「公判前整理手続」なのではないかと思われます。

ただ,この相反するいずれの理念を重視したとしても,忘れてはならないのは,裁判官は予断を持たずに裁判に臨み,客観的に事実を見いださなければならないということでしょう。

裁判官でも何でもない一般人の私がこんな偉そうなことを書いて,ホンモノの裁判官にでも聞かれたら怒られそうですね


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2 コメント

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一本でもにんじん (おかにゃん)
2006-09-07 00:29:45
こんばんは。

刑事訴訟法もそうですが,最近は基本六法のほとんどが毎年のように改正されるため,訳分からないですね(残るは憲法だけか?)。

公判前整理手続き,これは裁判員制度を踏まえて新設されたものです。まあ,おっしゃるとおり起訴状一本主義と相反するようにも見えますが,あくまでも審理方針と証拠の採否,さらには従来解釈でしか認められなかった検察官に対する証拠開示をある程度義務化するなどして訴訟をさくさく進められるようにしたもののようです。



んー,書いている自分でもだんだん意味分からなくなってきた(^_^;)「頭の中整理手続き」もほしい今日この頃です。
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>おかにゃんさま (ぴえる)
2006-09-07 00:41:43
コメントありがとうございました!

ホントに最近の法改正の嵐はめざましいですね

どうでもいいけど,改正にあたり,現場のことなどほとんど考慮されていないことが多いので,国会議員の先生たちには一度現場を体験してもらった方がいいですね。

後見制度などは業務の破綻が十分予想されるものでした(なんとか未だ持ちこたえられている現場の方々には脱帽です

裁判員制度が始まったら,おそらく本来の裁判業務3割に対し,裁判員のスカウト業務7割くらいの現場の負担割合になってしまうのではと心配です
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