ペパキャンのサバイバル日記

円形脱毛症で髪の毛がなくなりました。今はスキンヘッドライフ満喫です。
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人はなぜ物語を求めるのか。

2006-02-22 00:00:00 | インポート
 トリノオリンピックを観ていて思うのは一つ一つの競技自体にストーリーがあるんだなあということ。試合や競技展開そのものにも一つの物語があるし、選手がオリンピックに出場するまでの経緯や、あるいは冬季五輪独特の用具メーカーの苦労話なども一つのエピソードとして語られている。

 もし私がアフリカ出身で何語を喋っているのかわかない、ルールも何もわからないトリノオリンピック中継を観ても何かそこに物語性を感じるというものなのだろうか?答えはたぶんイエスだ。それは多分に私達人間が自然と物語を欲しているからなんじゃないかと思うからだ。だから病気や怪我やお国の事情で出場を挫折しかかった人がメダルを手にすると皆必要以上に喜ぶのではないだろか。

 古代から私達人間はきっと物語と共に生活してきた。字を持たない時代の人々は夜火を囲んで車座になって村の長から口承という形で民話や寓話やあるいは教訓めいた話を聞いただろう。巫女やシャーマンのお告げもきっと一つの物語に違いない。宗教と言う形が確立されてからは、人々は聖書の教えや仏教の説法やイスラム教の経典の中に物語を見出したに違いない。

 物語は今や私達の生活の周りに氾濫しているといってもいい。先に述べたオリンピックのようなスポーツは物語を語る上での格好の材料だ。映画、小説、ドラマ、音楽の中はもちろん、仕事、恋愛、受験、就職といった日常生活の中にも物語は日々存在する。そして私達はそれを語ったり、文章にしたり、映像や音楽にして人から人へと伝える。人は何故こうも物語を求めるのか?これを科学的に証明できたらノーベル賞ものだと思わない?