時はめ~ぐり~、また春が~来て~…でお馴染みの仙台は伊達、伊達の牛たんカレーなるものを頂きました。勿論貰い物でレトルトで。地元では普通に店で食べられるらしいのですが、さすがに行けないので、レトルトにて食させて頂きました。
これが美味い!
湯煎したレトルトを取り上げ開封。この時やはり、袋から出て来るのはあの牛たんをイメージしていたのだが、出て来たそれは牛たんのギの字もないほど煮込まれて溶けたモノで、ギの面影が残るばかり。しかしその面影が多くちりばめられていたので多くの牛たんが仕込まれたに違いないと、一人ご満悦。量も500gとバッチリ。
で、一口…美味い!
てな訳で速攻完食。おいしく頂きました。
「頂きました」と言えば、先日職場の同僚からこんな話しを聞いた。何でも小学校やら中学校の生徒を持つ一部の父兄から、給食の際食べる時「いただきます」と言わせないでと学校側に言ってると。理由は給食費を払ってるのに「いただきます」と言うのはおかしいという事らしい。
…何と馬鹿馬鹿しいことか。
俺自身この話しを聞いただけでニュースやらで確認した訳じゃないからやたらめったら何かを言える訳じゃないが、ホントに馬鹿らしいと思う。
お金の流通という意味だけで考えれば、ある種サービス的な考えも成立するんだろうが。
感謝する事。それは何かに感動する事。それは教えられてどうにかなる部分とならない部分があるように思う。その機会を摘み取る事は、とても悲しい事なんじゃないだろうか。
これが美味い!
湯煎したレトルトを取り上げ開封。この時やはり、袋から出て来るのはあの牛たんをイメージしていたのだが、出て来たそれは牛たんのギの字もないほど煮込まれて溶けたモノで、ギの面影が残るばかり。しかしその面影が多くちりばめられていたので多くの牛たんが仕込まれたに違いないと、一人ご満悦。量も500gとバッチリ。
で、一口…美味い!
てな訳で速攻完食。おいしく頂きました。
「頂きました」と言えば、先日職場の同僚からこんな話しを聞いた。何でも小学校やら中学校の生徒を持つ一部の父兄から、給食の際食べる時「いただきます」と言わせないでと学校側に言ってると。理由は給食費を払ってるのに「いただきます」と言うのはおかしいという事らしい。
…何と馬鹿馬鹿しいことか。
俺自身この話しを聞いただけでニュースやらで確認した訳じゃないからやたらめったら何かを言える訳じゃないが、ホントに馬鹿らしいと思う。
お金の流通という意味だけで考えれば、ある種サービス的な考えも成立するんだろうが。
感謝する事。それは何かに感動する事。それは教えられてどうにかなる部分とならない部分があるように思う。その機会を摘み取る事は、とても悲しい事なんじゃないだろうか。
勉強以前に、
あれこれ躾を教えなければならない生徒が山ほど。
現実なんですよね。
でも、
それ以前に、常識を教えなきゃいけない親が山ほどですからね。
でも、おかしな教師も山ほどなんですよ。
病んでますね・・・(笑