いにしえのキリシタンの時代に思いを馳せているうちに、いつの間にか今の日常の教会生活や賛美歌・聖歌、グレゴリオ聖歌に心が流れ、日ごろ好きな歌を集めてみた。
いまはカトリック信者だがプロテスタントからの改宗なので、すぐに出てくる歌はラテン語よりも賛美歌のほうなのだ。
その昔、もう40数年も前になったが、関西のフォークソング運動に関心を持ち、コンサートはもちろん、フォークソング関係の集まりなら何でも出かけてみたことがあった。なぜかと言うと、歌だけではなく、講演などで、歌のもつ力の話を聞いて、もっとよくその辺を知りたいと思ったからだった。
キリスト教の賛美歌・聖歌、詩篇の祈りをうたうグレゴリオ聖歌、どれをとってみても音楽や歌がどれだけ人の心を動かし、宗教心に働きかけていくかをまざまざと教えられるではないか。信仰と心の思いを歌うことで引き出すこと、これは本当は宣教の面からもかなり重要な要素なのではないかと思える。
日本のキリスト教人口は本当に少ないけれど、賛美歌・聖歌は人の心に福音の種をまくためにも案外大きなちからになるのではなかろうか。
いまはカトリック信者だがプロテスタントからの改宗なので、すぐに出てくる歌はラテン語よりも賛美歌のほうなのだ。
その昔、もう40数年も前になったが、関西のフォークソング運動に関心を持ち、コンサートはもちろん、フォークソング関係の集まりなら何でも出かけてみたことがあった。なぜかと言うと、歌だけではなく、講演などで、歌のもつ力の話を聞いて、もっとよくその辺を知りたいと思ったからだった。
キリスト教の賛美歌・聖歌、詩篇の祈りをうたうグレゴリオ聖歌、どれをとってみても音楽や歌がどれだけ人の心を動かし、宗教心に働きかけていくかをまざまざと教えられるではないか。信仰と心の思いを歌うことで引き出すこと、これは本当は宣教の面からもかなり重要な要素なのではないかと思える。
日本のキリスト教人口は本当に少ないけれど、賛美歌・聖歌は人の心に福音の種をまくためにも案外大きなちからになるのではなかろうか。