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本日分のブログは大量の再掲載

2014-05-24 17:32:06 | Weblog
昔のものばかりですみませんが、日経WagaMaga系の知り合いの方々以外はご存じないと思うので、はるか昔のso-netブログに出していたころのもの~、自分にとって大事なものをこちらに転載しました。お暇なときにでもお読みください。







      

記憶の確認  上野毛教会

2014-05-24 17:14:02 | Weblog
※ so-netの過去ブログから自分でも重要と感じるものをいくつか、こちらに転載しておきます。過去ブログですから状況が変わって、今では何があったのか知りませんが、たぶんまた上野毛にいつもの誹謗中傷が流れたのでしょう。九里師も中川師も何か誤解していらっしゃるようですが。かまいません。こちらとしても足腰がわるくなってそうそう上野毛まで出かけられる状況ではありませんから。しかし、これは忘れてはいけない重要な真実なのでこちらにだします。




月2回は上野毛教会の中川神父様の講座に行っています。本日はカルメルの霊性について。

練馬に近い杉並区の端から横浜方向の世田谷区まで出かけるので、時間も交通費も結構なものですが、それでも惜しくはないだけの内容です。

現実のカルメル会のシスター方を見るとがっかりしたりしますが大聖テレジアの生きた祈りに惹かれています。

こことは別に毎週土曜日の午前中は関口の聖書の集い(幸田司教様)に行き、こちらは聖書を通しての分かちあいによって、心のエネルギーを頂きます。この二つの集まりは私の信仰生活にとって大切な時間となっています。

朝は時間がないので、後からまた書き加えようと思います。



さて、後半です。

今日の中川神父さまのお話をうかがって、昔、まだお若かったころのリバス(sj)神父様から黙想学校という講座で教わったはなしともやっとここで一致し、しかも、生きた人間としてこの世に来られた神、キリストという点で正直なところ、いままでずっと日本人にとってなんというか神に対して恋人に向かうようにかかわる、愛するなどという感覚はとても掴みきれない、幼きイエズスの聖テレジアの教説なら非常によくわかるけれど、大聖テレジアのスペイン的、ヨーロッパ的な神への愛は今いちだと思っていたのが実はそうではなくて中心にあるのは人となられた神とのかかわりという点が問題なのだとわかりました。

それだったら、プロテスタントの信者だったころ、カトリックの求道中にイエスの小さい姉妹の友愛会の聖堂で見てハッとした赤ちゃんの姿のイエズスさまも、幼きイエズスの聖テレジアの教説もすべてが一つに繋がり、まとまります。人となられたキリストはまたパンの形にもなってくださってこの世の私たち人間の傍にいつもいてくださっています。そう信じていますよ、固く固く。

昔、リバス神父さまは三位一体の神の交わりの中で人間はではどこに位置しているのかということで、ミサの式文の、キリストによってキリストとともにキリストのうちにと唱えているように、われわれは、キリストの内にあって父である神に向かっていくのだとおっしゃっておいででした。今日、中川師が大聖テレジアの自叙伝を引きながらおっしゃったことも要は同じ意味で、キリスト教の信仰の中心は神が人となってこの世に来られ、私たちと一緒にいる、どんな人でも怖がらずに近づけるように、小さな赤ちゃんになり、パンになり、今も私たちと一緒にいて、父である神のところに連れて行って下さろうとしているということだと思います。

これ、実は「公園のお風呂ダヌキ」という童話の形で昔、書いています。知っている方は知っていて昔、さるお方もお読みになったという作品です。あれが結構、評判が悪くなかったのは、読んでそこがお分かりになった方が評価なさったのでしょう。書いた当人のこちらはやっと今頃全体の意味やつながりがわかったところなのですけど。やっぱり、あれは私が書いたというより心の中から生まれてきたのだというのが本当のようです。



記憶の確認 忘れられない懐かしい友人

2014-05-24 16:57:30 | Weblog
※ これもso-netブログに書いた友人の訃報。日経WagaMagaの時代のお友達だった方でオーストラリアに住んでいて奥様は向こうの方。お子さんたちは今どうしているのだろう。残しておきたい記憶のひとつ。



先週の土曜日の夕方のミサで土曜聖歌隊は短いグレゴリオ聖歌を歌った。四旬節にふさわしく、歌われたのはキリストが、すでに死んで葬られ四日も経っていたマルタとマリアの兄弟ラザロを甦らせる場面で、「ラザロよ、出てきなさい」と墓の中の死者に呼びかけるところだった。

死んでお墓に入った人はもはや二度と会うことが出来ないのがこの世界の決まりだ。

しかし、キリストは死んだ友人を再び甦らせ家族のもとに帰した方だった。

そして、こうもおっしゃっている。私は復活であり、命である。私を信じる者は死んでも生きる、とも。

その言葉が何度も何度も思い出される。その言葉を信じないではいられない。

実はケータイの受信記録を見ていたとき、すでに削除した件が、別の方に転送してその答えとして戻ってきて残っていた。去年の夏にすい臓癌で亡くなったオーストラリアに住んでいた知人の最後の便りだ。内容はこれ。

※  
Mさんからの手紙転送いたします。

お便りありがとうございます。

私は今年の二月にすい臓癌を宣告され
このこの6ヶ月、キモセロピー(科学療法)をおこないました。
お医者様からはこれまでですと言われ
後は痛みを抑えて充実した、毎日毎日を送っていこうと生活しています。
皆さんとこの2年間楽しく過ごせましたことを誠に光栄と思っています。

又どこかでお話が聞けると楽しいですよね!




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XXXXXXさん

お便り有難う御座います。
私は毎日、毎日、笑顔で何かができるよう生活しています。

私の家族はローマンカトリックのキリスト教者です。
妻も子供達も私以上に笑顔を作って毎日を過ごしてくれます。
 そんな家族に迷惑を掛けてるのかな。

今は自分にできることやりたい事を挑戦しています。
今の医学の力は素晴らしいと思います。気持ちだけは何でも出来る様になるのですから!



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これがこの方の最後の便りだった。今日、日経新聞のweb版はこれまでの日経ネットがなくなり、新しく電子新聞として出発する。Mさんとは日経ネットのこれもすでにないSNS、WagaMagaで知り合った友人の一人だった。日経ネットもついに終わり、友人たちはそれぞれ新しいSNSやブログに移っているが、亡くなったMさんの思い出はいつまでも忘れない。いつか、再びどこかで会えると信じている。

遺された奥様、二人の坊やたちの上に神様の守りがありますようにと祈らずにいられない。



記憶の確認  マリア様のこと 1と2

2014-05-24 16:43:11 | Weblog
※ so-netの過去ブログからです。



明日、8月15日はカトリック教会では世界中で、聖母被昇天の祝日という、マリア様の大きなお祝いが行われます。日本ではキリスト教を知らない方でもマリア様のお名前はご存知の方が多いようです。でも、マリア様がどういう方か、ご存知の方は本当のところ少ないのかもしれません。

イエスさまのお母様ということはご存知でも、どうしてカトリックや正教会(ニコライ堂などの教派)、聖公会などではなぜ、マリア様が特別に大切にされ、まるで女神さまのように見えるくらい崇められているのか、よくわからないままかもしれません。何しろ、これを書いている当の筆者自体そうでした。実はもうずいぶん昔に、プロテスタント殻カトリックに改宗しました。でも不思議なことにその道筋を整えてくれたのはプロテスタントの先輩の方でした。

その方は今は浦和のプロテスタントの教会で牧師の夫君を助けながら伝道の仕事をされている牧師夫人です。昔、その方は、千葉の某高校の教師でした。あるとき生徒の一人が家出をして北海道に行ってしまい、向こうのトラピスチン修道院から引き取りを頼まれて子供を引き取りに行った事もある方です。浦和のカトリック教会の関係者ではご存知の方もおいでと思います。

若かった私がある日、何気なく、聖書の中で一番すばらしい女性って誰、と尋ねたとき、彼女の答えはなんと、「マリアよ」というものでした。がちがちのプロテスタントの教派ですよ。カトリックのマリア崇拝はけしからんといっていた教派でですよ。こちらはまだ二十歳をすぎてまもないころでしたから、びっくり仰天しました。何でマリア?という思いが広がりましたが先輩だし質問できませんでした。で、それ以来ずっとその答えが胸の中にあって、何故、と思い続けていました。

何年もたったある日、お告げの場面を読んでいて、ふと、わかったのです。そうか、マリアの承諾がなければ、神さまが人間になって地上の世界に生まれてくることはできなかったのだ。我は主のはしため、仰せのごとく我になれかし、でマリアが大天使の挨拶に、そんなのはいやよと断って「仰せのようになりますように」といわなかったら、人類の救いはなかったんだ、イエスさまはいらっしゃらなかったんだ、と思ったのです。

それ以来、先輩の言葉は何の疑問もなく自分のものにもなりました。カトリックはマリアに向かって祈るのはけしからん、といいますが、プロテスタントの教会でも、兄弟姉妹同士で、祈ってくださいと頼んでいます。マリア様に祈るというのは、正確に言えば、「どうぞマリア様、お祈りください」、と頼んでいるのです。めでたしの祈りの最後のところを見ても、わたしたちは、「祈ってください」と言っているのです。

というわけで、わたしはプロテスタントの先輩のおかげで、カトリックになってしまったのでした。マリア様のすばらしさは、神様への信仰の深さ、信頼の深さで、それはカトリックのとは申しません。すべてのキリスト教を信じている人たちの模範だからなのだと思っています。そういう方だからこそ、教会は特別な方として考えるのだと思っています。

もちろん、複雑な学問的な面から言えば、ユング心理学でいう、キリスト教にに対する女性原理の補完的存在とか、さまざまな見方もあるでしょうけれど、「母なるもの」の存在は、人間の心にどんなに安心感を与えてくれているかは計り知れないものがありそうだ、というところでこの話は終わりと致します。





マリア様のはなしは本当はまだ続きがある。ただ、この20数年の間になんどとなく一部の方々には話したのに、何故か握り潰されて消えてしまった。事実は小説より奇なりと言う言葉の通りでありすぎて信じてはいただけないらしい。

まぁ、極東の非キリスト教国の話の真実がそう簡単にローマに届くわけもないし、信仰のというより人間的な思惑のさまざまな裏の動きがあったのだろう。

当方も今回はただ書く場所を確保するに留める。証拠も証人も今はすでに殆どはこの世にいなかったり、忘却の国をさまよっていたりする以上言うだけ無駄だろう。

いつか、この先当事者が一人もいなくなったころに、歴史のベールの裏の隠されたものに関心をもった第三者の研究者が何かを見つけるかもしれない。期待できるとすればそれだけだ。

神秘を切り捨てる宗教の命は長くはないのだが、すべて言うだけ無駄だ。




記憶の確認 霜山徳爾先生の訃報

2014-05-24 16:39:15 | Weblog
※ これもso-netの過去ブログからです。



霜山徳爾先生がお亡くなりになった。90歳。

はるか昔のことだが、私がまだ中学生の頃、ラジオの心のともしびというキリスト教の番組があり(今はテレビ番組もあるが)、毎朝それを聞いていた。そのうちに出演者の中でもお気に入りが次第に定まり、シモヤマトクジさんという方のお話はいつも心に響き、何かを考えさせられていたのだった。シモヤマトクジさんと言うのはどういう字を書くのかも知らず、適当に下山得二と当てはめて考えていたのを思い出す。

この方のお話や、こちらも今は亡き遠藤周作先生の文学作品との出会いが、私をカトリックに導いたといっても言い過ぎではないと思う。

そして時が流れ、当時、神保町の会社に勤めていた頃、毎日のように昼休みは古本屋めぐりをしていたので、ある日、本棚の片隅に見つけた一冊の本があった。カッパブックスで「明日が信じられない」。著者は霜山徳爾。でもその当時はなぜかその名前にピンとこなかったのですねえ。

すばらしい内容の本だったので何度も読み直し、いつもよく読む本の棚に入れてあったというのに気がつかなかったものだ。それが24、5歳の頃だ。

そして、昔からどうも人様よりもすべてのことで歩みの遅い人間だった私がカトリックに改宗し、シスターになりたいと思ったことから28歳にしてようやく親元を離れアパートを借りて独立したわけだが、それからが全然順調ではなかった。どうしてそうなるのかさっぱりわからなかったが、司祭にまるで理解されず、シスターになりたいという希望だけは持ち続けていてもまるで相手にされなかった。こちらからは向こうが見えるのに、向こうからはこちらが見えていなかったのである。

のろまさんでも、一度こうと思ったら後に退かない頑固な人間なのだ。理解されようとされまいと、自分の方向はこれと感じていたからしつこく司祭に話しに行った。それでどういうつもりでおっしゃったのかわからないが、フランクルの「夜と霧」を読んで見るようにといわれ、その本を読んだ。おやっと思ったのは、この内容、前にどこかで読んだ筈だと気がついたからだ。

著者の名前と並んで訳者の名前が出ている。見ると、霜山徳爾。その時になってやっと全部結ぶついて、自分をカトリック教会に導いてきたのは霜山徳爾先生だったのかとやっとわかったのだった。はるか大昔の話だ。

あれから30数年、ずいぶんいろいろなことが起こり、初めの希望からとんでもなく遠いところにいる現在の状況だ。この世を去った方は今はすべての真実を目前にしているのだろうか。今となってはどうにもならないことだけれど。

とにかく、何がどうあれ、霜山先生に対しては今も尊敬と感謝の思いを持ち続けているし、子供の頃から受けてきた影響は消すことなど出来ないだろう。先生の影響でシスターになりたいと思うようになったのだ。しかし、いまやこちらも還暦を目前にして、高血圧だ、心肥大だ、腰痛だ、坐骨神経痛だ、お目々も緑内障だ、と、まったくのおばば化に一途前進中の現実だ。

実のところ、さすがに先の見通しがつかない今、書くはずの物語も全然書けなくなってしまっている。いったい、自分が今しなくてはいけないのは何なのか、わからなくなっている。イエズス会の司祭で相談できそうな人物がいると思えない。現実に起こったことはあまりにも奇妙な話ばかりで、簡単には信じてもらえそうもないようなことばかりだった。今、その事実に関係していた人物がまた一人この世を去ったのだ。

思い出すことはたくさんあるが、今はただご冥福を祈るばかり。


記憶の確認  まともな神秘主義

2014-05-24 16:16:22 | Weblog
※ これは当人も忘れていたくらい何年も前にso-netブログのほうに書いたもの。



神秘主義というとどうも怪しいもの、頭のおかしい人を連想することが多い。実際、見ていると夢想的なものや、自己顕示的なもの、本物の精神的なご病気による思い込みとしか思えないもののほうが多いようだ。日常の現実を無視した思考、常識の裏打ちを欠いた言動は困る。

しかし、そんなご病気系の似非神秘主義や、宗教の仮面をかぶった営利目的、金儲け主義の怪しげなものではない真実の求道というのもあってもよいのではないのだろうか。おそらくそれは都会の生活の中では難しいだろう。イエスの小さい姉妹会がむかし唱えていた、世俗の真っ只中での観想という理想は、今では見る影もないようだ。今のあの会が観想の道を生きる会とはとても思えぬ。かといって、観想修道会に観想者がいるのかというと、どうもそうではないようだ。

むかし、鎌倉のレデンプトリスチンの当時の院長さまと面接したことがある。その方は非常に現実的な方でいらっしゃった。観想修道会の生活イコール観想生活ではありませんとおっしゃっていた。観想修道院の生活はひとつの具体的な現実の生活で、それにはやはりそのために必要な素質とか適性のあるなしが問題になるのだという。共住の集団生活のさまざまな要素に耐えられるかどうかが最大の問題だそうだ。

そういえば男子のほうのレデンプトール会の神父様もおなじようなことをおっしゃっていた。とにかく、修道院というのは綺麗ごとで済むような生活ではないことは確からしい。世間の生活以上に生々しい現実と聞く。それで、そこに真の観想への道というか、生きた神秘主義の道が開けていないとしたら、なるほど、それは犠牲の生活だからという意味付けを持ってくるのもむべなるかなということになりそうだ。

では神秘主義をまともに生きることは不可能なのだろうか。それもそうは思えないのだ。

ただ、これはどうも誰にでも可能な道とはいかないような感じで、かなりの部分、素質とか恩寵によるのではないかと感じる。ひとつ間違えばご病気系と紙一重の危険な橋をわたることが要求される。けれど、それがその人に与えられた道なら必ずさまざまな守りがあるし、橋を渡りきれることになる。経験からそう思っている。

そして、その人は仲間というか、似たような他の人と出会い助け合うことも可能だろう。ただし、そんなに多くはない。似ていても偽者もいる。金儲けに利用しようとする人たちもいる。

そんな人が、あるいは人たちが正しく自分の行くべき道を歩んで、かつ他の一般の人たちとも持っているもの、持っていないものを分かち合い、助け合って生きることはできないものか。どこかに可能性はないものだろうか。あちらはあちらで、自分を引き立てる人や場を求めている今は、こちらはこちらの道を探っていくしかないのだが、、、、、これはただの夢だろうか。(この段階ではある友人を想定した部分です。が、人様のことなのでこれ以上は申しません)




記憶の確認 住友正友

2014-05-24 16:12:15 | Weblog
※ これは日本とキリスト教の接点を求めるうちに出てきたもの。



このブログの書き手は、政治・経済・商業などにはからっきし弱い人間です。難しいことはまったくわかりませんし、たいして興味も持っていなかったのです。しかし、新しいコーナーを作ったのでここにはどのような内容を中心に書いたらよいかと考えたわけです。そこで、自分のこれまでのものにはない全く新しい分野を探して思いついたのが日ごろお世話になっている日経新聞にも関係の深い大企業の存在の始まり、歴史、人物に焦点を当ててみたらどうだろうかということでした。ただの好奇心の産物なのです。

そんなわけでまず初めは、身近なところで三井住友銀行の三井と住友の始まり、歴史を調べてみることにしました。

まず、三井を検索してみて、自分が如何に何も知らないかがわかって、非常に恥ずかしくなりました。江戸東京博物館に行く度に毎回、越後屋のミニチュアを眺めていたというのに、どうしてあの店がそこにあれだけ大きく展示されているのか、実は何もわかっていなかったのでした。大変恥ずかしい話です。  http://www.mitsuipr.com/history/mitsukoshi.html

次に、住友を検索してここでもまた吃驚仰天したのでした。こちらは、住友の祖の住友政友という人物に驚いたのです。

     http://www.sumitomo.gr.jp/history/index.html

初め、僧籍にあったこの方が諸事情から還俗して、京で本と薬の店を開いたのがすべての始まりで、元々がお坊さんだった方ですから周りの人々にも大きな影響を与えて、慕われていたのだそうで、「文殊院旨意書(もんじゅいんしいがき)」「遺戒(ゆいかい)」など多くの書簡が残されているようです。

驚いたのはこの方の、教えていたという、「正直、慈悲、清浄」を基本に、神仏を敬い、事に当たっては慎重確実を旨とし、倹約を怠らないことで、これらの精神は、永く受け継がれ、住友の「企業精神の根幹」になったというこのことでした。

日本とキリスト教の問題で、日本人の宗教性を調べていったとき、この正直、清浄、慈悲の念に出会っていたからです。これこそは本来の日本人の深層に生きていた宗教性であろうと思っていましたが、住友政友の教えもまたそこに根ざしていたことに驚いたのです。

時代は移り、国際化の波に乗っていやでも変わらざるをえない日本と日本人ですが、変わってしまってはいけないものもあるのだと思いました。

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以上、こんな記事を書いていたことが判明。書き直したものとあまり変わっていないので一安心。

記憶の見直し 愚痴もちょっとでてきたが 

2014-05-24 13:51:23 | Weblog
以前は土曜日といえば夕方の土曜聖歌隊に行く日、という生活サイクルだったのが去年、いや、一昨年あたりからか、アレルギー性の咳の症状がひどくなって、すっかりのどを痛め、歌いたい気持ちはあってもだんだん声がでなくなってきて、いまや下の会衆席のほうに移動だ。特に大きな行事のときも咳のことがあるから歌う気が進まない。たまに顔を出しても毎週続けることが出来なくなってきて、いずれ自然に引退というところか。致し方無しだ。

それはとにかく土曜日はやっぱりなんとなく気分が違う。朝からのんびりパソコンを開いてツイッターを覗いたりして、だらだらと時間をすごして、ふと思い出したことがあった。最近はほとんど開かないso-netや、ココログにも、しばらく使ってみた時期があって、書き込んだもので重要なものは後でplalaに移したりしたわけだが、一応今度はここにも記録程度に入れておこうか。so-netさんは今も会員扱いしていただいているので、はてなと同じく、たまにメインに出しにくいものがあるときはあちらに入れておく場所に残してある。

はてなはgooとリンクして公園のお風呂ダヌキその他、数点を探し出しやすいように場所を借りている。so-netはそういう使い方はしていないけれど、昔の記録やちょっと大事なものがおいてある。

今、読み返して、そういえば以前星野師がカルメル会士で上野毛の主任だったころはずっと上野毛に通っていたのだった。ただ正直な話、カルメル会の神父様は人を見る目はおありでいらっしゃらないようなので、通うほどのところでもないと思うようになって、いつのまにか行かなくなったのだ.それでも星野師には公園のお風呂ダヌキの2と3、書いた当人の私ももう持っていないコピーを差し上げたのだけど、あれはどうなったことやら。どうでもいいけどね。中学生の女の子がお風呂ダヌキに出会うものと、社会人の若い女性がお風呂ダヌキに出会う版だったのだけど、私の手元には残っていないものだ。

まあ、あのころは今よりやたら誰でも信じてしまっていたから、だれかれかまわずコピーを差し上げていたので、自分の手元にぜんぜん残っていないものもいくつもある。亡くなった誰かさんに横取りされた分以外にも何点も消えてしまっている。

無くなった物を今頃とやかく言っても仕方がないわけで、この年月、おかげでわかったこともたくさんある。カルメル会の司祭や、シスターたちでも差し上げたものに書いたことの意味がわからない方はわからないのだ。だから山口のカルメル会などは、それなら返してほしいと送り返していただいたのだった。なぜなら山口のカルメル会はイエズス会があの地に招いて出来たことも知っていたから、これは駄目だと思ったのだった。

不思議でならないことはいろいろあるが、愚痴でしかないからやめておこう。そういうものだと思うしかない。

ちょっとくだらないはなしを書いてしまったが、このままにしておく。これがこれまでの年月の事実の一部なのだから。それよりso-netの話に戻ろう。

so-netのタイトルは「戻ってきました」上野毛のこと以外にもこちらと同じく日々雑感をあれこれ書いていますが、so-netさんが残しておいたおかげで助かったのは日本とキリスト教にも大きくかかわる気がしている、日本古来の宗教観の典型的な姿を考えさせられた住友正友のことが残っていたのは実にありがたいことだった。

gooブログからso-netブログにリンクはできないようなので別にそのまま載せたいとおもう。so-netを読み直して気がついた。yahooブログとplalaのあいだがso-netブログだったのだ。使いやすいブログを探して転々としていた時期で、当時本当にメインだったのは今はない日経のSNS「WagaMaga」だったわけだ。今のfacebookの友人の3分の1くらいは日経以来の方で、実際に会った事もある方々だ。記憶の見直しをした一日、このへんでおわりにする。