大雪の日のまじめな話

2013-01-14 21:15:20 | インポート

昨日の天気予報では東京は雨か雪で、雪が降るといっても都内は積もるほどではないとか言っていたのに、今日のこの天気は何? とんでもない大雪になってしまってまったく。

今日はカトリック東京教区では年始の集いがあるというわけで、まさかまさかの大雪になるとも知らず、荻窪行きのバスに乗ったところから、これはどうも雪の降り方が尋常ではないと気がついた。なにしろ、バスの走る青梅街道は大変な渋滞で、運転席のほうの広いガラス窓いっぱいに見えるのは雪景色ばかり。

行くのはやめようかなと思いながらそれでもとにかく電車に乗ると、こちらも当然見えるのは雪景色で、こんなに大降りの雪の中のお出かけは何年かぶりだから、大人の心は滑って転ぶと面倒なことになるから帰ったほうがいいと言っているのに、心の中の子供が面白い、楽しい、雪の中で歩き回りたいと騒ぎ出して、ついに大雪の中をカテドラルに出かけてきた。

まあ、いろいろあって帰ってきて大司教書簡を読み直したところ。正直にいうと、なるほどと思いながら、実践となると日本のそれも都会の、普通の、現役の働いている信者だったら難しいかもしれないとか思ってしまう。でも、だからといってはじめから何もしないのではどうにもならないわけで、できることからしてみるしかないのだろう。

大司教様も大分ご苦労を重ねてさすがにどんな相手にもちゃんと対応できるようで、そうでないとトップたるものご自分が疲れて潰れてしまうばかりか、全体にも気を配るなんていう大変な仕事はできるわけがない。よく言えば経験をお積みになったということだろう。わるく言えば、タヌキさんの仲間になってきたのかも。いずれにしても大組織の長は大変だ。

こちらは若いころから組織の中の仕事といっても自分の裁量の利くタイピストやオペレーターのような仕事ばかりだったから、今になるとどうも戸惑うことだらけだ。え、どうやって、だれにこれから自分がやりたいことを相談すればいいの、というところだが、とにかくあちらの顔色から見て動かにゃなるまいとは思っている。

しかしなあ、子供のころから尼様のように絶対的なものに仕えたかったのだなんて、どう説明する。もともとそういう気持ちだったのが、ありそうにも無いような事態に巻き込まれて、利用され、今の状況になって、それでもまだああいう生き方はほかの人達のためにも役に立つものだと思っているなんて、どう説明する? 何処から手をつければいいのだ。

それでも今回は何とか動き出すしかあるまい、というのが今の気持ちだ。何とかなるという気がする。