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著書『芸術家たちの生涯』
『ほんとうのこと』
『ねむりの町』ほか

8月31日・マリア・モンテッソーリの教育法

2013-08-31 | 科学
8月31日は、ダンボールの芸術家、日比野克彦が生まれた日(1958年)だが、イタリアの医師、教育者、マリア・モンテッソーリの誕生日でもある。
自分がモンテッソーリについて知ったのは、ごく最近のことで、彼女は、モンテッソーリ教育法という、世界でも有名な教育方法を開発した女性だった。

マリア・モンテッソーリは、1870年にイタリアのキアラヴァレで生まれた。父親は公営のたばこ工場に勤める役人だった。父親の転勤で、ローマに引っ越したマリアは、13歳で工科学校へ進み、はじめ技師になるつもりだったが、後に医学の道を志した。
20歳でローマ大学に入り、23歳のときに医学コースに進んだ。イタリア最初の女子医学生となった彼女は、さまざまな面で差別された。大学の行き帰りは付け添いが必要で、男子学生たちが着席した後でないと講義室に入れてもらえなかった。彼女の優秀さに嫉妬する男子学生のいやがらせも多かった。そうしたハンディを乗り越え、小児科や救急医療の現場で経験を積んだ彼女は、26歳で大学を卒業しイタリアで初の女性医学博士となった。卒業後はローマ精神科クリニックで、心身障害児のケア、研究にあたった。
彼女は、精神の発達が遅れ、感情に障害がある子どもも、訓練することで、ふつうの社会生活を送るようになると考え、彼らを訓練する特別な学校施設を整備する必要を訴えた。モンテッソーリは雑誌に論文を発表し、新聞の取材に答えた。彼女は有名になり、彼女の講演には多くの人が詰めかけた。彼女は、女性を劣ったものとしてみなす男性側の論理の愚かさを批判する講演をおこない、各地の女性解放運動を盛り上げた。

モンテッソーリは、障害児の施設で、字が覚えられなかった子どもたちに、木で作ったアルファベット文字のおもちゃを渡すところからはじめて、ついに読み書きができるところまでもっていた。子どもたちに、読み書きの国家試験を受けさせると、外の一般の児童より優秀な成績をおさめ、奇跡だと大評判になった。
モンテッソーリはつぎに、ローマのスラム街の貧困層の幼児を集めた「子どもの家」で教育の研究を重ね、「モンテッソーリ・メソッド」と呼ばれる教育理論を確立した。これは、子ども自身のなかにある「自分を発達、向上させようとする力」を開花させるべく、子どもの「1 自由にまかせる。」「2 取り組みに集中する。」「3 達成感を得る。」という手順によって、子どもたちの自己発達を促そうというもので、「子どもの家」の成果を受けて、イタリア各地に「子どもの家」ができた。
モンテッソーリ・メソッドは、世界各国で支持され普及していき、彼女は欧州のほか、米国、インドでも受け入れられた。
1952年5月、モンテッソーリは脳出血のため、ネーデルランドで没した。81歳だった。

精神科クリニック時代、マリア・モンテッソーリは、同僚の医師と恋に落ち、28歳の年に未婚のまま男の子を出産した。彼女は結婚よりも仕事を続けることを選び、二人は子どもを田舎の乳母に預け、たがいに誰とも結婚せずにいる約束を交わした。が、男性医師がべつの女性と結婚して裏切り、マリアは大学病院を去った。彼女は息子が十代になるころに引き取って、いっしょに暮らすようになった。息子は成長し、母親のパートナーとして、モンテッソーリ教育の普及に努めた。
女性に閉ざされていた医学の道を切り開き、画期的な方法論を教育分野に開いた。母子家庭のシングルマザーだったモンテッソーリは、自立した新しい女性の偉大な先駆者だった。まったくたいした女性だったと感服する。
(2013年8月31日)



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