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著書『芸術家たちの生涯』
『ほんとうのこと』
『ねむりの町』ほか

9月1日・「明解」小澤征爾

2013-09-01 | 個性と生き方
9月1日は防災の日。1923年のこの日に関東大震災が起きた。この日は、『富士に立つ影』を書いた作家、白井喬二が生まれた日(1889年)だが、指揮者、小澤征爾(おざわせいじ)の誕生日でもある。
自分は学生時代にはじめて買ったクラシック音楽のレコードが、小澤征爾指揮のベートーヴェンの第九交響曲だった。2枚組のLPレコードで、たしかA面に第一楽章、B面に第二、第三楽章、C面に第四楽章が入っていて、D面にはリハーサルの模様が収録されていた。練習の終わりに小澤はオーケストラに英語で言っていた。
「I think we've got it.(われわれは、つかんだと思う)」
オーケストラに拍手がわいた。それを聴いて以来、自分は小澤征爾ファンになった。

小澤征爾は1935年、当時満州国の奉天(中国の瀋陽)で生まれた。父親は歯科医で、満州国協和会の創設者の一人だった。征爾は男4人兄弟の3番目で、満州事変を起こした関東軍の二大参謀、板垣征四郎と石原莞爾から字をもらって名付けられた。
征爾が5歳のとき、母子たちは日本へもどり、後に父親も帰国した。ピアノの練習をしていた征爾は、16歳のころから指揮者、齋藤秀雄の指揮教室に通いはじめた。
齋藤が教授を務める桐朋学園の短期大学を22歳で卒業した後、齋藤の助手をしていたが、かつての同級生たちが欧州留学から帰り、つぎつぎと華々しくデビューしていくのを見て渡欧を決心。齋藤の制止をふりきり、23歳でヨーロッパへ渡った。
パリに着いた小澤は、留学やレッスンもなく、演奏会を観て歩いて勉強した。ある日、フランス東部の街、ブザンソンで指揮者コンクールがあると知った小澤は、アメリカ大使館の音楽部に飛び込み、頼んだ。係官の女性は彼に尋ねた。
「お前はいい指揮者か、悪い指揮者か」
すると、小澤はこう答えた。
「自分はいい指揮者になるだろう」
係官は笑いだし、ブザンソンに電話をかけて、受験できるよう便宜をはかってくれるよう依頼したのだった。(小澤征爾『ボクの音楽武者修行』新潮文庫)
コンクールに出場した小澤は、ブザンソン国際指揮者コンクールで第1位をとり、ヨーロッパ各地のオーケストラに招かれ客演指揮するようになり、独ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団のヘルベルト・フォン・カラヤンの弟子となり、また米ボストン交響楽団のシャルル・ミュンシュの弟子となり、またニューヨーク・フィルハーモニックのレナード・バーンスタインの副指揮者となった。そうやって世界の歴史的な名指揮者たちの薫陶を受け、世界各地のオーケストラを指揮した後、38歳のとき、米ボストン交響楽団の音楽監督に就任。67歳で同監督を辞した後も、楽団の育成に、演奏会の指揮に、若い演奏家たちの指導にと、世界を駆けまわって活動しつづけている。

素人の自分の感じでは、小澤征爾指揮のよいところは、明解さだと思う。指揮者が理解したその曲のよさ、特徴をはっきりと、なるたけわかやすい形にして聴衆に示す。それが小澤の誠意であり、特徴だという気がする。小澤自身も、
「西洋音楽の伝統のない日本人が、どこまでやれるか。自分はその実験である」
という内容をコメントしていたが、彼はそれで、誰にも通じるわかりやすさを目指すのかもしれない。まさにグローバル時代にふさわしい世界的指揮者だと思う。
小澤をとくにかわいがった師匠のカラヤンは、小澤にこう教えたそうだ。
「理性的に盛り上げて行き、最後の土壇場へ行ったら全精神と肉体をぶつけろ」(同前『ボクの音楽武者修行』)
(203年9月1日)



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『9月生まれについて』(ぱぴろう)
小澤征爾、棟方志功、長友祐都、矢沢永吉、ジミー・コナーズ、シェーンベルク、ツイッギー、アンナ・カリーナ、スプリングスティーン、メリメ、マーク・ボランなど9月誕生30人の人物論。9月生まれの人生論。ブログの元になった、より深く詳しいオリジナル原稿版。

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